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2022年10月13日11:36

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手を握られて

左目の白内障手術を受けたのは一昨年だった。
その数年前に左目の視力が落ち、霞んでいる気がして白内障を疑い眼科に行ったら「違う」と言われたことがあった。
その時、それじゃあ老眼が進んだのかと思い眼鏡の店で老眼鏡のレンズを作り替えた。

それからわずか2〜3年後に、やはり本が読みづらくなって、またもや老眼が進んだのかとレンズを作り直してもらうために眼鏡の店に行ったら「白内障だと思います」と言われた。

やっぱり!?

改めて眼科に行ったら案の定白内障だった。
数日後手術をしたら、その費用の方が老眼が進んだのかと思って作り替えたレンズ代のほぼ半額だった。
あの時白内障を見落とされてなければ…
イヤでも会計でそう思ってしまった。

その時、自覚もない右目も白内障だと言われ、1年半後の今年の3月に手術をすることになった。自覚はなかったが今度は迅速に対応しようとされたのだろう。

処がコロナの3回目のワクチン接種の予約をどうにか取った日が手術の前日だったことに後で気づいた。
気になって念のために眼科に問い合わせたら
「ワクチン接種翌日に手術なんてとんでもない!手術を甘くみないでください!」と女医に怒られ、術日は変更になった。

変更後、手術の説明を聞くため眼科に行ったら術後の翌日は経過をチェックするために、午前中に病院に来てくれと言われ、私は慌てた。
その日はコミュのランチの予定があったのだ。
「午前中は人と会う約束があるので、夕方ではいけませんか?」

女医は不機嫌な顔をして言った。
「ダメです!」
何故午後じゃダメなんだ?
それ、腹を立てて意地悪で言ってません?
一度ならず二度までも手術を甘く見て!と。

だったら私だって言わせてもらいたい。
そもそも左目が白内障じゃないかと聞いた私に違うと言ったのはあなたでしょう?
そのためにあたしゃあ、無駄に、ン万円もするレンズを買い替えたんだぜ!

もちろんそんな思いは顔に出さずに私は言った。
「でも、どうしてもその日の予定は変えられません」

明らかに女医はもっと不機嫌になった。そして苦々しく予定表を見ながら言った。
「それじゃあ術日は9月◯日になりますよ」
半年後だった。

ほんとにその日まで待たなきゃいけないの?
女医は術日を予定通りにしたいために嘘をついていない…?
そんな気がした。
言葉に「それでもいいの?」と言う圧を感じないわけにはいかなかったからだ。
でも私も譲れない。

「それでは9月でお願いします」
あっさりそう応えた私に女医はますます不機嫌になったような気がしたが、何しろ右目はまだ白内障の自覚もなかったし、急ぐ必要はなかった。

そして先月、術日を迎えた。
女医は私が検査の時から何かにつけてビクッと体が反るのに呆れ(実は私自身が一番呆れているのだが)「あなたはすぐビクッと体が動くから手術をするこっちが怖い」とも言われていて、それで私も恐縮していた。

だから「国立の眼科を紹介しますから、そちらに行かれてみますか?」と、女医にそうまで言われた時はさほど腹も立たなかった。
実は私も眼科を変えることは検討していたからだ。
けれどこの眼科が我が家から徒歩5分で近いというメリットは大きく、私と女医はあまり良好とは言い難い関係ではあったけれど、ここまで来て転院となると時間のロスも大きい。

したがって「あなたを手術するのはこっちも怖い」と言われたけど、そのイヤミとも思える言い方に「こっちだって高齢者のあなたに手術してもらうのは(絶対70代である)結構怖いんですが」と内心毒づきながらも私は耐えた。

処が手術台に上がったら執刀医は若い男性で、どうやら女医は院長ではあるけど、手術は若手に任せるようになっていたらしい。
そして女医は手術が始まったら私の左手を軽く握ってくれ、「大丈夫ですか?」「手術は順調ですよ」「もうすぐ終わりますからね」とずっと声をかけてくれたのである。

手術は2度目だったけど、私は緊張で身体が硬くなっていた。
けれどその女医の手から伝わる温もりには自分でも驚くほど気持ちがほぐれ、気がついたら私は縋り付くように女医の指を握り返していた。

そして感激していた。
病人や怪我人にはスキンシップが一番だという話は聞いたことがある。
もちろんそれで病気や怪我が治るわけではないが、心のケアは肉体に連動するものだ。

もし医師が男だったら手を握られた瞬間、その指先が「今夜どう?」なんて語ることもあるかもしれないし、握り返したら「もちろん、よろしくてよ」なんてな展開にだってなる可能性もあるけれど(無いか)私は心底女医に感謝し、術台に上がるまで彼女に抱いていた不信感を心から詫びた。

そして手術が終わった後私は言った。
「先生がずっと手を握ってくださってたおかげで落ち着くことができました。先生の手の温もりは忘れません。本当に有難うございました」

その時の女医の笑顔は今までになくフレンドリーだった。
前回「小さな奇跡のヒント」という日記を書いてから私は少し、自分が成長した気がしていたが、活字にしたことによって私はそれを確信した。
老いて何もかも退化していく中でも気持ちや心だけは成長できるのだ。

他人の優しさや思いやりに鈍感だった昔を私は今、非常に恥じている。

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