脳溢血というのは、右脳・左脳、どちらかで起こる。
あたしのは、左脳である。
出血のようすを撮影したドデカイ フィルムを見せられて、説明されたのだが、その画があんまりにも面白かったので、笑いそうになったのだが、場をわきまえて、神妙に聞き入った。
画の感じで言うと、荒川放水路が決壊したようだった。
ただし、足立側ではなく、荒川区が水浸しになったようだった。
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あたしの場合は、よっぽどの運が良かったらしく、高次の障害が出なかった。
ただし、右半身にさまざまな運動障害が出た。
要は、体の各部位と脳をつなぐ神経の何割かが死んじゃったので、命令がうまく伝達されないのである。
見てわかる徴候というのが、口の右端が下がっていることで、唇を動かす筋肉に指令が届いていないことがわかる。
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もちろん、うまくしゃべれないわけで、今までいちばん難しいと感じた日本語は、
なぞなぞ
である。今でもうまく言えない。
なぜだかわからないのだが、ドモるようにもなった。たぶん、吃音者と言うべきなのだろうが、自分のことを描写しているので、ツベコベ言われる筋合いでもなかろう。
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歯を磨けなくなった。歯ブラシを持って左右に動かすというのは、至難の技である。
ノックができなくなった。
スリッパが履けなくなった。今でも、階段を下りる途中で、右のスリッパが飛んで行くときがある。天気を占っているわけではない。
アゴが外れやすくなった。仕事終わりで欠伸をするといけない。要は、アゴを引っ張る右の筋肉がバカになっているのだ。
いちど、6時間、アゴが嵌まらなくなったことがあって、夜中で歯医者に行くわけにもいかず、かといって救急車を呼ぶ 【案件】 でもなかろう、というわけだ。
ネットでアゴの嵌め方を見つけて、難しいプラモデルの説明書と首っ引きのようにして、1時間で嵌めた。
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パンツ、ズボンは、今でもうまく穿けないので、座るか、手すりにつかまって、転倒しないように注意する。
とてつもなく危険な転び方をするので、Yo-Yo 要注意なのである。
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小学生のような文字しか書けなくなった話は、またの機会にして、キーボードなのである。
あたしは高校生の時に、赤いオリヴェッティを買ってもらった。
すぐにブラインドタッチを覚え、数字も原稿を見ながら打てた。
I/O に乗っているマシン語リストなんぞも、一晩あれば入力できた。マシン語は16進なので、0〜9、A〜Fで入力する。テンキーは使えない。
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退院後、キーボードを打っていて、あることに気づいた。
あるスピード以上で打ち始めると、文字化けしたようになる。
単に、指が正しいタイピングをできなくなったのだ、と思っていた。正しく打ったつもりだったのに。
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理由がわかったのは、かなり後だ。
脳が打てと指令を出して、指が動くまでの時間が、左右で異なるのである。
あるスピードを越えると、右手が指令をこなす前に、左手が次の指令に反応してしまうのだ。
打ち上がった物は、一見、デタラメな文字列にしか見えないのだ。
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自分が何をしてしまっているのか気づかない、という、不思議な障害である。
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