mixiユーザー(id:42002624)

2022年06月04日10:00

256 view

教育環境の重要性2

その乾修とは、昨年帰道された米国在住の中国人S.L氏です。
彼は超真面目で礼儀正しく、落ち着いているのに笑顔がひょうきんで、
語る言葉には誠意が溢れ、大抵の人から敬愛されていたと推測いたします。

現に、帰道されたS.L氏の為の誦経会に、このコロナ状況にも拘わらず、
台湾在住でないにも拘わらず大勢参加する様子が台湾道院の「道慈研究」の
表紙裏にカラー掲載されています。若々しい風貌でしたが、寿82歳との事。

私はS.L氏とお会いしたのは数回だけです。また、言葉の壁もありました。
けれど、キーワードを言えば、詳しく説明せずとも色々な事が分かり合えて、
いつも自然に気持ちが通じる、私にとって仲良しの兄のような同修でした。

太古の頃、人と草木が意思疎通できたのは微妙な感覚が媒介となっていた、
という事と共通するかもしれません。私達の場合は少し言葉が必要でしたが、
シンプルな言葉で十分で、互いにリラックスできる、今は希な雰囲気でした。

彼はフーチの纂方の家系に生まれて、幼少時から訓練を受けていたそうです。
多分、心坐守窔の練習が主であったでしょう。それ故か、神霊的な現象なども
見えていたようで、台北道院の賑わいの中から私にアクセスして来られました。

フーチの技術的な事、ご自身の家系の事など、簡単な英語で話してくれました。
また、現在の台湾のフーチを批判はされていませんでしたが、急に思い付いて、
その辺にあった紙切れにサラサラと文章を書いて見せてくれたりもしました。

常に静黙を基本としている様子でしたが、普通に会話も食事もされていました。
世間から隔絶していた生活でもなく、エンジニアの職業を持ち、年に何度か米国と
台湾を往復する余裕もあり、道慈に関する素晴らしいスピーチもできる人でした。

最後にS.L氏に会ったのは香港で集会があった折で、米国の修方の代表として
北京語でスピーチされました。私には細かい内容は分かりませんでした。けれど、
響きの良い声で静かに或いは熱く道慈を語るなど、大変感動的なスピーチでした。

その後、私の姿を見つけて来てくれましたので、香港道院で用意された飲み物を
一緒に頂きました。楽しいひと時の後、飛行機の都合で先に退席する時刻になって、
S.L氏は涙ぐんでいました。いつもの「Next」という言葉が出てきません。

その理由は、聞こうと思う前に伝わってきました。次は無いということですね。
香港のフーチが終了した際も、これで終了というお言葉が出たのではなくて、
次の日時が示されず終息したそうです。私は一揖して「再見」と言いました。

この世界の全員が同様の修養環境で生まれ育つのが善い、などとは申しません。
各々固有の天命や因縁がありますから。ただ、彼は善い人だったと思い出します。
現在は、国際的な特別のお役目を担う霊人として益々活躍されているようです。

全員に必要と思われる事は「日常生活の中で無理なく自力を養ってゆく」事と、
「天地神仏や周囲から自然に好かれて援助され易い人になる」事の習得でしょう。
その方針で自己自身を教育し、周囲や子供達の為の教育環境が整えられるなら、

この世界はどれほど善くなるでしょうか。たとえ衣食住の生活環境や対人関係に
多少問題があったとしても、逆にそれらの問題解決を自己訓練に利用する等して、
人々が各自の努力で着々と成長してゆく可能性は非常に高くなると思われます。

そのために絶対に注意すべき事は、自己を含む対象者、特に幼少の子供たちに、
自分が他者より賢い、偉いなどという幻想、妄想を持たせない事だと思います。
誰にでも長所や適所、得意分野があるという認識を早くから持つ事は有益です。

そして、賢明な人や生き方、有益な理論や技術に対して率直に敬意を感じて、
善い事は見習い、役に立つ事は取り入れ、問題のある人に対しては助け励ます、
そういう気持ちを続けるならば、自然に誰からも好かれる人になるはずです。

それから、たとえ適正な事、理想的な事であっても、あまり深刻な使命感は
持っても持たせても善くない気がいたします。S.L氏の場合は三男坊のため
重圧が少なく、また家族から可愛がられていた立場が幸いであったようです。

読者の皆様は、きっと知的な学習体験の多い経歴であろうと推察いたします。
そして、動機は様々でしょうけれども、宇宙の真理に関心がお有りでしょう。
そうでなければ、こうして道院の理論に縁じる機会も無かった筈ですから。

そのような皆様にこそ、そして今この時期にこそ、ご自身の記憶を振り返り、
周囲から教わり見聞きして信じてこられた物事を思い出し、それらが道理的に
適性か、その影響などを心坐しつつ静かに吟味してみて頂きたいと思います。

結局は各々が自己自身を教育しながら、良くも悪くも一つの見本のようになり、
その姿を見て声を聞いて感じた人々各々がまた自己自身で考えて学習してゆく、
それが最も無理がなく、お互いに嘘偽りの介入し難い教育環境かもしれません。

私の場合は幸い、天命の実行に必要な教育環境であったと感じております。
そして今は、自分を飾る必要もない立場ですので、普通に気楽に静かに、
大道だけは離れず、真坐だけは忘れず・・・のように過ごしております。

では又、皆様お元気で!
10 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する