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2022年05月31日20:29

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小学校

尾木直樹氏、小学校の“さん付け”指導に疑問「強制は多様性の否定」「便利だと思いますが、、」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6977488



学校の教室ってのは、めちゃイケのような感じ、色々あっても許される所があった。私も大概問題児立ったが、他にも変わってるのは、たくさんいた。



要するに、巡り合わせによるのだろう。小学校の高学年の時、所謂「太った女子」をネタにして、仲間を増やす男がいた。そいつは兄がいる弟だったが、兄の不出来な部分を参考にして、同じ轍は踏むまいと、改良をして、仲間を増やしていった。



だがそんな彼も、今では東京で役者志望だった。彼が俺の地元にいたのかってぐらい、存在感が薄いヤツになった。東京に行けば、チャラになるのか?



一方僕は、人生でぶちギレた時は中学二年の時だった。まるで明日のジョーの矢吹丈が、段下段平にマウントポジションでボコボコにするかの如く、やらかした。



もちろん発端はこいつと、ある教師である。俺は二度と、彼らに関わる事はないだろう。




さて、キレるというのは、自分を守る事でもあるのだが、僕はそれを抑え込む嫌いがある。母に怒鳴り散らす息子もいるだろうが、僕はそうはしない。ただ、母とは距離を置いている。この人が近くにいると、自己肯定感がどんどん下がっていくからだった。




今まで、「俺は、特に女性に、心のうちを話した事があっただろうか?」と思えた。



母が教師だった頃、とにかく「女性に寄り添ってもらう」って体験が、本当のマジで出来ていなかった。女の子が、所謂ショーウインドウに入っているように感じ、どうしても一線が越えられんって思っていた。一線越えるって、それは恋人じゃねーか。



そこまでは行かずとも、要するに「女の子に自己肯定感」を上げてもらうって基本的な事が出来なかった。過去の「選べない状況」で不利な事を押し付けられたと俺は言っていたが、とどのつまり、「そういう状況」で「自分を守る」ということが出来なかったのが、事の発端だった。




それは過去の出来事云々じゃなくて、究極の所、「俺と母」との関係だった。「母があれこれ指図して、ババア黙れ!」なんて男尊女卑の思考ではない。



指図などはしない、ただ私を「感情のゴミ箱」にするだけであって。





さて、僕は「怒り」を抑え込んではいるけど、蓄積はされている。ただ、母に近づくと、自己肯定感が下がるので、何で埋めるかって言えば、他者依存的な傾向の強いものは、何に近づくのか。




そういえば、今思ったら、父も「私の母に依存」している節がある。「しゃーないしゃーない」で済ますなや。


父も大兄弟の末っ子なので、母の愛情のかけられ方が、かなり薄かった。血気盛んなのは、軽んじられる事への反動か。




そして母は「自分一人だと、何をしていいのか分からない」という人種だった。母が休職した時、毎日僕の弁当を作っていた。今までやった事もないのに。母からすると、「息子を思って」ではなく、要は「自分が暇になりたくないし……」である。暇潰し、手持ち無沙汰。暇か忙しいって以前に、あんたはそれを「選んだ」のか?俺の事はいいから、交流会でも茶話会でも行ってこいよ。




話を戻すと、俺の場合は、「本当なら」俺のファンになってくれる人と一番一緒にいたい。ファンと僕は対等であり、上下なんてつけとーない。




博愛主義であるので、大抵の人であっても、「俺の味方になってくれやー」って絡んでいく。



ただそんな僕でも、絶対に無理な人種がいる。男の一人っ子だった。今の僕がもし、同じ状況に居合わせたら、不和を起こすのは時間の問題であった。




不和が起きるのはいい。時にはケンカになることもあるだろう。



僕が意図せず、今まで色んな人に相当ボコられてきたので、ケンカは不毛だと思う。人を悲しませても、何らメリットはない。むしろ、調停や調整、交渉によって距離を縮めようじゃないか、よ思った。



ただし、「ケンカは不毛だからケンカはしない。」とはいえ、「自分を守るため、最大級の悪意と暴力を備えた上でケンカしませんか」or「御しやすい相手と見なされて、ケンカしたらダメだ!自分さえ我慢すれば…」とどっちの姿勢をとるかと言えば、今の俺なら、言うまでもなく前者だ。



それは何故かって言えば、僕の本日が「暴力的でケンカになったら容赦しない」からである。一を食らった2で、2を食らったら4で、倍返しだ。換言すれば、やられてやり返さないヤツが、この世にいるか?ケンカってのは取り返しつかねーんだよ。卑怯な真似は誓ってもしない、関係ない人には手を出さない。その代わり、正々堂々、倍返しさせてくれよ。



もはや「服従」ていうのは、僕の中では有り得ない。むしろ、こんなにも心痛まず、人を傷つけられる事に、快感を覚えるぐらいになっていた。



ちなみに、「いつでも辞めれる」「ケンカできる」って気持ちが切り替わった時、その相手と言うのが、全速力で「逃げ出して」行く気がした。




ケンカすると、ケンカのリスクはもちろんある。ただ、ケンカが「有り得ないぐらい弱い」のだそう。男の一人っ子は。そりゃそうだ。力任せに攻撃したら、必ず倍で返してくる。怒ることは何もない。ただ「キレてる」だけだ。僕がただじゃ済まない事より、そいつを殺す(つもりでやる)気力の方が勝っている。




と、ここまで考えても「いや、ごちゃごちゃ考える前に、辞めたらいーじゃん」って。




辞めりゃいいじゃんというのは、そこがとりもなおさず「居る価値がない集団」であるからだ。







中学の卓球部に関して言えば「いる価値ねーな」とも思えたt。基本的に、素人顧問の先生をバカにしてサボっている、クズの集まりだった。真面目な同級生をバカにする先輩を見て「ああはなりたくねー」とさえ思えた。



ハンド部に関して言えば、辞めない方が奇跡だと思った。もうなるようにしかならんだろ、という感想以外が出てこない。





と思ったけど、ハンドボールよりサッカーが好きな友達とは気があった。そこから僕は率先して「お笑い要員」になった。一緒にいて、面白いヤツの方がいいだろう。


奇しくも、中三では「バリバリのサッカー少年」と仲良くなった。率先して、笑われるのは、人を助けに行くのは、勇気がいる事である。




そういうわけで、彼と同じ高校に進めたとき、後悔はなかった。いや、もっと近場で人気校が…とも思ったけど、過ぎた事は仕方がない。良いメンバーと同じところで、そこからやりたいことや、出きることを考えるのは鉄則だった。





今思ったら、ジャズサークルって、中学の卓球部や、高校一年の男子や、素人いやいや顧問そっくりだなと思った。好きでもなんでもない。しかし、自分自身もそんなとこしか居場所がない&押し付けられた&成り行きで一緒になったとき「イジメ」で徒党を組んだ…




もちろん僕には「関わりたくない」「素人の僕から見ても、ヤバくない、この顧問?」「消去法的にこのクラブでいいか…」等、本当にろくでもない。




カウンセリングでは、「分離」と「受容」が必要不可欠である。






要するに俺にとって「選べない状況で、合わさなければ死ぬ」という心理と、「職場を初め
塾や友達を選ばない」という心理が同一化していた。

どうしても僕は「分離」が出来ても、「受容まで」はなかなか到達しなかった。



受容するのは「女性」である。




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