原作は84年に田辺聖子が発表した短編で、国内・国外で数多く映像化された作品だ。大学生の恒夫と車椅子に乗る山村クミ子ことジョゼの純愛と性愛の物語。劇場版アニメは原作を下敷にエロティックな部分を排除。全年齢向けの作品になっている。
本作は実写映画やテレビドラマとくらべ原作を大幅に脚色した。
まず性愛ではなくプラトニックな恋愛に注力している部分がひとつ。もうひとつは前向きで今風の視点だ。原作と実写の障碍者への目線は今から見れば後ろ向きだ。*1
監督はこれをなおし現代的なテーマでジョゼを再生する。それは障碍者と健常者の理解と共感、受容の未来だ。
恒夫が海洋生物学者をめざし、ジョゼは絵を描く事が得意。
この独自路線を柱に原作どおりにジョゼは障碍者が社会に出るきびしさを知り、ときには嫉妬でイヤな子と化し、健常者の恒夫との差を感じる。恒夫はジョゼに寄り添うが、やはり彼女と自身が持つ違いが実感できない。*2
監督は車椅子利用者が抱く不便や不利の「断裂」を丁寧に描写し、*3 2人の差を表す有効的なツールとして使用する。展開としてはやや便利すぎるが、*4 恒夫がジョゼの世界を身を持って体験するアニメオリジナルの要素も同様。障碍者のジョゼが失意の恒夫を得意の絵で支え持つ部分も機能する。
2人の関係をあらわす心象風景とジョゼの空想を表現する色彩たっぷりの世界が劇場版アニメの最大の魅力。遠くから近くへと踏み出す2人の距離を彩る。
※1 どの作品にもその作品を発表した時代時代の背景が存在する。当時も今も続く社会的な障碍者への差別も存在する。一方において過去とはくらべものにならないほどバリアフリーを整備する社会が成立し、人々のもののかんがえが変化したのも事実ではある。この事実はやはりネガティブではなくポジティブなものとして受け取るべきだろう。
※2 作品は無理解な「管理人」の恒夫と、ジョゼを「一個人」として認識しない人々を登場させ、彼女に辛く当る場面を回避せず描写する。事実で現実だからだろう。
※3 この丁寧さは本当に感心する。障碍者の苦労と同時に健常者の我々がいかに手を差し伸べられず、ふがいないかもつきつけられる。
※4 恒夫に恋を抱き、ジョゼにとっては恋敵となるアニメオリジナルキャラクターの二ノ宮 舞と、ジョゼ同様にフランソワーズ・サガンを愛読していて、彼女の友達になる岸本花菜を「ジョゼと同じ目線」にたたせるには、必要なイベントであるとは思うのだけど――。
ログインしてコメントを確認・投稿する