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2021年09月30日16:04

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「色絵 竹文 小皿」

 今回は、「色絵 竹文 小皿」の紹介です。

 なお、この小皿につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文に若干の修正を加え、それを次に掲載することをもちまして、この「色絵 竹文 小皿」の紹介とさせていただきます。

 



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              <古伊万里への誘い>

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*古伊万里随想45 「竹ノ絵」の鍋島の皿 (平成26年6月1日登載)(平成26年5月筆) 

 
写真1: 皿が10枚入っていたと思われる箱(片側5枚づつ)・・・(写真省略) 
 
写真2: 箱の文字の書かれている側面・・・(写真省略)  
 
写真3: 箱の箱の文字の書かれている側面の拡大写真・・・(写真省略)
     墨書文字は「竹ノ絵中焼物皿」と読める
     残念ながら、他の2ヶ所は消されていて、何と書かれていたのかは不明 
 
写真4: 皿の下に新聞紙を詰め込み、あたかも10枚入っているかのようにしたところの写真(笑)
     実際には、一番上の2枚しか入っていない(><)
 

 

 5年程前、箱に「竹ノ絵中焼物皿」と墨書された後期鍋島の皿を購入した。

 私は、あまり、ネットショップなるものを利用しないのだが、これは、ネットショップで発見し、購入したものである。

 私が、あまり、ネットショップを利用しないのは、写真だけで真偽を判断して買いたくはないからである。焼物の場合は、やはり、実際に手に取ってみて、造形の厳しさの有無、手に取ってみた際の重量感、微妙な色合い等々から総合的に判断して真偽を確かめ、納得のうえで買いたいからである。

 ところが、この後期鍋島の皿は、遠方に実際の店を構えている方が開いているネットショップに展示されていたものだったので、わざわざ遠方まで出向くわけにもいかず、やむなく、実際に手に取ることなく、画像だけで真偽を判断して買うに至ったわけである。というのも、私は、この皿が気に入ったわけではなく、それが入っていた「箱」に目が留まり、その「箱」が気に入ったからなのだ。「箱」ならば、焼物とちがって、実際に手に取ってみなくとも、画像だけでも十分に判断できると考えたからである。

 ネットショップには、もともとは10枚揃っていたのだろうけれど、そのうちの2枚が欠損し、完器の皿5枚とニューやホツのある傷物の皿3枚の計8枚、それに、それらの皿が入っていた「箱」(これらの皿を10枚分収納できるもの)が展示されていた。そして、1枚ごとにバラでも売るが、まとめても売るとのこと。また、5枚以上まとめて買った者にはその「箱」をプレゼントするとのこと!

 私としては、特に皿には魅力を感じなかったが、「箱」は欲しい。皿は、その「箱」の中にどんな物が入っていたかの証拠になるものが残れば十分なので、1枚手に入ればそれでいいわけである。

 そこで、厚かましいが、安くすませるために、駄目もとで、「傷物の皿1枚だけでの購入でも「箱」をプレゼントしてくれるでしょうか?」とメールをしてみたところである。

 そうしたら、当然というか、案の定というか、皿1枚の購入では「箱」は付けられませんとの回答。 

 ただ、幸いなことに、そのネットショップの店主とは過去に1度だけではあるが会ったことがあるし、何度か取引をしたこともあるので、けんもほろろの回答ではない。もう少し条件が合えばなんとかなりそうである。

 何度かのメールのやりとりの結果、完器1枚と傷物1枚の計2枚を購入するなら「箱」も付けるということになった。そこで、完器1枚と見込みの左下方向に4〜5センチメートルのニューのある傷物(ちょっと見た目には何処にニューがあるのか、ほとんど分からない程度の傷)の計2枚を購入することとし、「箱」を手に入れることが出来たのである。

 なぜ2枚になったかというと、店主が、「箱の下の方に新聞紙でも詰めて上げ底にし、一番上に現物を載せれば、10枚全部入っているように見えるでしょう。ですから、最低でも2枚は買っていただきたいんです。そうすれば、こちらとしても、箱を付けてさしあげます。」とメールで言ってきたからで、それを見て、私も、なるほどと思ったからである。

 ところで、何故、私がこの「箱」を気に入ったかというと、いかにも古く、この皿達が生まれた頃の江戸時代に設えられた物と思われたからである。また、その「箱」には文字が書かれていたからでもある。しかも、その文字と中身の皿とが合致すると思えたからである。古い「箱」が付いていても、どこかから寸法の合いそうな古い「箱」を見つけてきて、その中に皿を入れるというような場合がほとんどなので、箱に書かれた文字と中身が一致するということは珍しいことなのだ。

 ただ、残念なことは、この「箱」に書かれた文字は、「竹ノ絵中焼物皿」の部分しか読めないことである。あとの2ヶ所は消してあって読むことが出来ない(><) 古い「箱」には、よく、「年号」や「所有者名」も書かれることが多い。消された部分に「年号」でも書かれていたとすれば、それは残念なことである。

 なお、この皿の口径は、完器のものが16.0センチメートル、ニューのある方が15.9センチメートルなので、それぞれ、「小皿」ということになる。

 そうであれば、「箱」には、「・・・中・・皿」と墨書されているから、「箱」に書かれた文字からいえば、「箱」の中には「中皿」が入っていなければならないわけなので、実際には「小皿」の現物が入っていたのでは、箱に書かれた文字と中身は一致しないのではないかと指摘されそうである。

 しかし、江戸時代と現代とでは、大きさを示す呼称が変化していることに留意する必要がある。

 この点については、小木一良氏が、「鍋島 後期の作風を観る 〜元文時代から慶応時代まで〜」(創樹社美術出版 平成14年11月30日)の中で次のように記している。

 

「 次に江戸時代と現代で大きさを示す呼称が変化している点を付記しておきたい。
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私は江戸期の伊万里箱書品は多数調査してきたが、丸皿で口径14〜5糎の皿はすべて「中皿」と記されており、口径18糎程度になると「大皿」と記されている。例外は見た記憶はない。                        (218ページ)」
 

 つまり、現代の「小皿」のことを江戸時代には「中皿」と、現代の「中皿」のことを江戸時代には「大皿」と呼んだのである。

 したがって、この箱に書かれた文字と中身は、大きさの点からだけでも一致していると言えるであろう。また、文様から言っても、「竹ノ絵」であるから、ドンピシャリである。

 もっとも、後期鍋島には「竹文の皿」は多く見られるので、別物の後期鍋島の「竹文の皿」を他から見つけてきてこの箱に入れたとか、はたまた、後世の「写」を他から見つけてきてこの箱に入れたということも考えられないこともない。しかし、現代において、完器、傷物取り混ぜて8点も同じような物を見つけてくるということは至難の業であるから、これらの皿は、もともとこの箱の中に入っていたものと考えるのが妥当であろう。

 なお、この皿の用途は、当時、「焼物皿」であったこともわかるのである。

 以上のことから考え、この「箱」は、江戸時代に設えられ、江戸時代に墨書されたものと考えてよさそうであり、その中に入っていたこの皿も江戸時代に作られたと考えてもよさそうである。

 最後に、最新の「陶説」(「公益社団法人 日本陶磁協会」の月刊機関誌平成26年5月号・通算734号)の中に、小木一良氏の「箱書紀年銘による鍋島作品の一考察」という論文(「陶説」創刊60周年記念論文 日本陶磁部門 審査員特別賞受賞論文)が紹介されているが、氏が、その中で、「贋作箱」についての面白い例を記しているので、それを紹介して筆を置く。

 

「 蛇足だが世上には後年の紀年銘写し箱、即ち贋作箱がいろいろ存在している。参考までに一例をあげておきたい。
  器物は口径22.8センチの「色絵柿右衛門皿」であるが箱に、「今里柿右衛門錦出中皿 島津家」「此品上山松平候より御拝領品余里」と墨書されている。某雑誌に掲載されたこともあり御存知の方も少なくないと思われるものである。
 この箱書は後年の作とみざるを得ないものである。理由は22.8センチの皿をこの箱書では中皿と記している。このサイズは江戸期では大皿である。17.0センチくらいまでが中皿でそれ以上は大皿と呼称されている。
 このサイズを中皿と称するようになるのは明治以降である。
 この箱書は明治以降の文字記述であることを自ら立証しているものに他ならない。                                   (前掲「陶説」75ページ)   






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*古伊万里ギャラリー194 伊万里鍋島様式色絵竹文小皿   (平成26年6月1日登載)

        
写真5: 完器の皿の表面
     (口径:16.0cm、高台径:8.4cm、高さ:4.3cm)

写真6: 完器の皿の側面・・・(写真省略)


写真7: 完器の皿の裏面 
 

写真8: 傷物の皿の表面・・・(写真省略)
     見込みの左下方向に4〜5cmのニューがあるが、ほとんど分からない。
    (口径:15.9cm、高台径:8.5cm、高さ:4.2cm)


写真9: ニュー部分の拡大写真
     拡大すると、かなりの使用痕も認められるので、実際に相当に使われていたことが分かる。

写真10: 傷物の皿の側面・・・(写真省略)

写真11: 傷物の皿の裏面・・・(写真省略) 
 


 後期鍋島には、竹文の皿は多い。

 ただ、後期鍋島の場合は、そのほとんどが染付で、まれに色絵のものもあるが、その場合も、色は赤1色であることが多い。

 この小皿には、赤のみならず、緑と黄も使われている。いわゆる鍋島三色と言われる色が使われているのである。

 それは、後期鍋島の色絵としては希な例である。

 なお、この小皿は、古い、江戸時代に設えられたと思われる共箱に入っていたものであり、この小皿が、後期鍋島に属することを証明している。

 ところで、上の「ニュー部分の拡大写真」をみて気付いたことがある。それは、普通、鍋島の場合は、色絵を施す場合でも、色絵部分の下に細く薄く染付で文様を施し、その上を色絵でなぞっていくわけであるが、この小皿にはそれが見られないのである。

 色絵付けする部分が小さく簡単なので、染付の下描き無しでも十分に目的を果たせたからそれを省略したのだろうか、、、? ちょっと気になる発見ではある。



生 産 地 : 肥前 鍋島藩窯
製作年代: 江戸時代末期
サ イ ズ : 無傷のもの・・・口径:16.0cm、高台径:8.4cm、高さ:4.3cm
    傷 の も の・・・口径:15.9cm、高台径:8.5cm、高さ:4.2cm


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