■電車での大量殺人、容疑者「以前から思い描いていた」
(朝日新聞デジタル - 08月08日 11:20)
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「恩を仇で返す」って人は、必ずいるよね。
人間の表情って色々あるんだけど、俺の中で「無表情」になる瞬間があるヤツ、そして、例えば俺が「褒められる」時、目の色が変わる者ーーーー暗い光、そういう手合いとは、早晩必ずトラブルを起こす。
どこにでも、そいつはいた。病的に突っかかってくるヤツ、
容姿を褒めてくれる人がいた時、その人の横で、無表情になる別の者がいた。
俺が二十代前半、音楽に打ち込んでいた時、
さあ、評価もばっちり(少なくともお客さんの)、後は学祭に向けて、全力疾走するだけ、というタイミングで、ある事件が起きた。
その時の俺は、ギャラリーが、俺の演奏を待ち望んでいる!とさえ考えていた。実際、たかが学生のバンドに、一体何を求めるというのか。趣味なら趣味で、一生懸命やるっきゃない。今までの経験上、絶対客に評価される!と考えていた。
実際、練習スタジオのオーナーの評価も良かった。俺は周りの人にも、何一つ、不実な事はしていない。
だが、不実な集団には、俺の理屈は通用しなかった。スタジオのオーナーや、お客さん云々ではなく。
例えば趣味の集団が、自分の生活の一部分に過ぎない人は良いだろう。他につながりもある。
だが、その趣味の集団しか居場所がない人は、必要以上に、そこに群れたがる。
ある人に言われたんだけど、「チーム」と「コミュニティ」は違うのだそうだ。
「サッカーチーム」とは言うが、「サッカーコミュニティ」とは言わない。前者が試合など通じて「結果」が求められるのに対して、後者はとどのつまり、サッカーを通じた交流の場であった。
僕はこの時、思い違いをしていた。
その、僕が当時いた集団は、要するに明るい集団から外れた、音楽の名目で集まって日常の傷を舐め合っている「だけ」の連中だったので、俺みたいなヤツは、はっきり言って、場違いである。そして今思えば、この人たちに、絶対に関わるはずもなかっただろう。
そういうわけで、この小田急の被告も、そのサークルが合わなかっただけで、他に気の合う人たちがいたのかもしれない。
見た感じはハンサムに思えたが、得てして美形は、慕われるか、虐げられるかの二択である。そして、このタイプが、無難に生きていくという事は出来ないだろう。
美形が、自己肯定感を得るのは、後になってからだと思う。今はSNSもあり、吉沢亮や菅田将暉など、現在、名だたるイケメンが、自己プロデュースすることに余念がない。ただこの人は、おそらく僕よりも数年上の世代なので、まさに、嫌な思いをしてきた時期の人ではないだえおうか、繰り返すが、美形は優越感を享受できる一方で、妬みそねみに巻き込まれる機会も尋常ではない。この人は、そういった過去を克服できないままーーーーー凶行に手を染めてしまったのだえろう。
彼の者のしたことは、決して許される事ではないが、私は一抹の同情を禁じ得なかった。
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