mixiユーザー(id:11073381)

2021年02月03日05:39

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西千葉ストア

考えずに書き始めるので話が何処へ飛ぶかわかりません、、あせあせ
時々思い出していたんですが、、実家の国電最寄り駅だった西千葉、昔は鄙びた駅でした。1942年に出来た駅だそうで、それは丁度駅前に当たる土地に東京帝国大学第二工学部が出来た年なので、大学に通う人のために作られた駅なんだろうと思います。戦後、東大の生産技術研究所へと改編され、僕が小学生の頃はヘリコプターのローター実験とかを柵の外から眺めていた記憶がある。柵の辺りにはドングリが沢山落ちていて、策を超えてドングリ拾いをしていた。僕が小4のとき、それまで通っていた弥生小学校から新設された緑町小学校に転入になったが、この緑小の土地は第二工学部の寮があった場所だ。
で、西千葉駅だが、駅前は砂地でタクシーが数台停まっているだけ。周囲には商店が数軒あっただけ。その中で特異な存在が西千葉ストアだった。ここはアーケードというよりは小さなパサージュといった雰囲気で、2階建ての建物の中の通路両側に様々な商店(思い出せるだけで、洋品店、履物屋、八百屋、魚屋、床屋など)が入っていた。買物はここへ来れば一通り揃った。母は通勤の途中になるので割と頻繁に来ていたようだ。家から15分なんだが、子供の頃は西千葉駅は結構遠く感じられた(一番近い駅は徒歩5分、京成の黒砂(今のみどり台)だった)。このストア、モルタル2階建てでモダンな雰囲気だったが、駅前が栄えて来るにつれ(西友とかが出来た)、段々と寂れて行った。二階の方は店舗の住居だったのか、アパートだったのか、よく判らない。この西千葉ストアが一度だけ有名になったのは、この二階の一室で赤軍派の会合があって、官憲に尾行されていたメンバーが翌日だったか大菩薩峠で一網打尽にされた、という事件。当時、千葉は成田闘争が激しく繰り広げられていて、僕も千葉の街中で何度もデモの蛇状行進を見て子供心に「スゲー!」と思ったりしていた。理論の千葉大、実戦の早稲田(僕はこの両方に行ったので雰囲気は良く覚えてます。入学当時早稲田はまだ学園封鎖で期末試験がなかった、、)と言われていたように、千葉は学生運動・労働運動(千葉動力車労組は凄いストで有名だった)の一つのピークだった。千葉大に行ってた時期には西千葉ストアは既に閉鎖になっていたと思う。ストア通路の入り口近くに養老の滝があって、教授達と毎週のように煮込みで酒飲みながら論戦を挑んでいたのが懐かしい。終電を逃すと、じゃぁ送って行きますから、と酔ったまま車で教授の住んでた青山までひとっ走りして、そこで朝まで寝かしてもらったりしていた。そんな学生生活って今はあるんだろうか、、、西千葉自体はどんどん変わって行き、帰省する度に判らなくなって行ったが、西千葉ストアは何故か廃墟化したまま残っていた。それが取り壊されたのが10年前位だろうか、何か僕の人生の中で大事なものが消えてしまったような気がしたものだ、、
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