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2020年12月18日13:55

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「伊万里 染付 盆栽文 小皿」

 今回は、「伊万里 染付 盆栽文 小皿」の紹介です。

 これも、昭和59年に(今から36年前に)、「東京・平和島全国古民具骨董まつり」で買ったものです。

 当時は、積極的に東京まで出向いて、特に、「東京・平和島全国古民具骨董まつり」に出向いて買っていたことが分かります。

 その頃は、今と違って、「東京・平和島全国古民具骨董まつり」会場内は凄い混み様で、人とすれ違うのもやっとの状態でしたから、会場内を一巡するだけでも、相当に時間を要しました(><)

 当時は、骨董ブームだったんですね。従って、古伊万里の値段も高い時代でした。

 コロナ禍の現今なら、「三密」もいいところで、当然、開催は中止でしょうね(~_~;)

 それはともかく、その「伊万里 染付 盆栽文 小皿」というものは、次のようなものです。



写真1: 表面
     時計の針の9時半くらいの所にニューがあります。

写真2: 側面(斜め上から見たところ)


写真3: 底面



製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;13.7cm 高台径;8.5cm



 なお、この「盆栽文 小皿」につきましては、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介していますが、次に、それも紹介いたします。





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             <古伊万里への誘い>


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*古伊万里ギャラリー102 古伊万里様式染付盆栽文小皿 (平成18年10月1日登載)


 この小皿は、昭和59年に我が家に来ている。もう22年が経過した。

 盆栽文の小皿は、よく5枚組みになって美術館や図録に登場する。

 なかなかに、キリリと締まった上品なものが多いので、無傷で5枚組となると相当に高額である。

 結局、私が買えたのは、傷があり(時計の針の9時半くらいの所にニューがある)、しかも1枚だけの半端なこの小皿だけだった。

 前述のように、これを買ってから既に22年が経過しているが、その間に、盆栽文の小皿はこれ以外には購入していない。

 恐らく、この先も、無傷の5枚組のものは購入し得ないことであろう(涙)。

 卑近な、盆栽という題材を写し取っているだけにすぎないのであるが、日本人にとっては、盆栽は身近な魅力に富んだ存在であり、それを写し取った盆栽文の小皿には、汲めども尽きない魅力を感じるのである。

  
     江戸時代中期    口径:13.7cm  高台径:8.5cm



         ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*古伊万里バカ日誌41 古伊万里との対話(盆栽文の小皿)(平成18年9月筆)      

登場人物
 主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
 凡 才 (古伊万里様式染付盆栽文小皿


・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、なるべくこの時分に合ったものはないかと押入れ中を家捜し(?)していたら、たまたまコレクション番号が101で、盆栽文の小皿を発見した。『盆栽文なら季節を問わないだろうし、今回の「古伊万里ギャラリー」への登場番号も101となるわけだから、ちょうどいいや。』と思って喜んだ。ところが、今回の「古伊万里ギャラリー」への登場番号は、実際には102となることに気付いた。
 前回に登場させればちょうどよかったわけである。残念ながら番号を一つ勘違いしたわけだ。そこで、主人は、ちょっぴりとまどったが、そこは生来のズボラ、また捜すのは面倒とばかりにその盆栽文の小皿を押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

主人:お前と会うのも久しぶりだな! 我が家にはこんなものもあったのかと思ったよ。

凡才:それはそうでしょうよ。どうせ私なんか、ごく平凡なつまらないものですから、忘れ去られていたんでしょうよ。(涙)

主人:いや〜〜、物は良いんだがね。(ミエミエのお世辞)
 1個しかないし、ニューもあるもんだから、つい忘れてしまった。
 無傷で5個も揃っていたらすごいもんだよ。美術館入りかな。(ご機嫌取りに一所懸命である。)
 それはそうと、伊万里には盆栽文がけっこう多いね。盆栽は身近なところで見られるし、立派な枝振りの松の盆栽なんかには感動させられるものね。昔の窯元も、盆栽文のものを作ると売れると思ったんだろうね。

凡才:盆栽文は多いんですか?

主人:そうなんだ。
 もっとも、盆栽文にはけっこう良い物が多いから、大切にされてきたので残っている数も多いのかな?
 物余りの現代だってそうだろう。安物は消耗品感覚ですぐに捨てられたりしてしまうが、高級品は大切にされて残るものね。この物余りの時代にあっても、高級品を買って、じっくりと楽しみ、大切に使っていくべきだろうね。

凡才:そうすれば、私のように傷になっても、1個だけになっても残るんですね。(すっかり主人のペースに乗せられ、有頂天である。)

主人:そうだ、そうだ。
 古伊万里にはそんな面もあるな。古くさく、カビくさいだけが古伊万里じゃないよ。そこには美が存在し、それを発見したときの大きな感動、心の震えがある。大きな満足を得られることがあるし、やさしく癒されることもある。時には、今言っているように、「物を大切にしましょう!」というような教訓までも示してくれる。

凡才:良いことずくめですね。

主人:そうよ! 皆んなに古伊万里を好きになってもらって、皆んなに心豊かになってほしいと思っている!!
 それにね、高級な無傷の大作物だけが心豊かにしてくれるわけではない。美術館にある名品だけが心豊かにしてくれるわけではないんだ。傷だらけの小さな古伊万里にだって美は宿っているし、人の心を癒す力も宿している。
 要は、その美を見い出すだけの感受性を備えているか否かであり、心を癒してくれることを感じ取るだけの豊かな感性を持ち合わせているか否かだろう。見る側に備わった感受性なり感性の力に応じて、相手はそれに応えてくれるのだと思う。
 私には、それだけのものを備えているからこそ、お前のような傷だらけの半端な小さな古伊万里にだって大きな魅力を感じるわけだよ。あれれれれっ、大きなことを言っちゃったな〜〜〜!

凡才:私のようなものを、それほどまでに想ってくれてありがとうございます。(涙)

主人:「豚もおだてりゃ木に登るとはよく言ったもんだ。」と独白。









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