mixiユーザー(id:2223977)

2020年12月12日00:38

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新型コロナウイルス感染症の拡大現象で、普通は人が気づかないこと

話を論理的に進めると
いつまで経っても言いたいことに辿り着かないので
理解されないことを承知で
結論を最も単純化して言えば

新型コロナウイルス感染症の拡大現象は

(1)宗教的修行に最適な環境を提供してくれていること。

(2)密を避ける事は
   非常事態の臨時措置であるというよりも
   むしろ
   普遍的に必要な環境であるということ。

この2つ。

(1)普段は経済活動に忙しくて
   自分の心の中を深く掘り下げて観察する事はできない。

   けれども今はむしろ
   「自宅に一人で居なさい」
   が要請されているのだから

   宗教的修行を行う環境を
   社会が作ってくれている。

   なのに
   どの宗教も
   「今こそ宗教の原理を掴むのに最適な環境が与えられている時」
   だということに触れない。

(2)疫病が蔓延しない為の必要十分条件を満たした環境は
   疫病が発生した時だけのことではなくて
   むしろ
   普段からそうしていれば
   そもそも疫病が発生する可能性をなくすことが出来る。

その2つに
なぜか誰も気づかないし
主張しない。
(「経済活動」が
 「最優先」することを「旨」とする
 「資本主義社会」の欠陥?)

(2)疫病の蔓延現象が発生したことは
   我々に
   疫病が蔓延しない環境の条件を
   可視化してくれている。

また

(1)宗教という行為(本来の宗教は、お金を目的とする行為ではない)
   あるいは
   哲学という思考(一銭にもならない思惟活動)
   が
   経済的な活動時には
   経済的活動(busy な事=business)が邪魔をして
   出来なかった事が

   経済的活動が出来なくなることによって
   経済活動時には不可能な
   宗教的修行や
   哲学的思惟が
   可能な環境が用意されている。

   こういう環境は
   疫病が蔓延しなければ
   なかなか出来ない機会なのに

   みんな
   経済活動の再開だけに
   注意が行って
   精神活動の不毛を回復する事に
   注意が回らないのが
   私は不思議で仕方がない。

生きていく為には
経済活動だけでなく
宗教的行為も
哲学的思考も
必要なのに

経済だけを旨とする社会が
今の資本主義社会だ。

これからの社会は
資本「主」義ではなく
資本も宗教も哲学も
(資本活動が
 宗教活動や哲学活動の
 邪魔をする社会
 ではなく)
資本の活動が
宗教や哲学の活動を
妨害しないで
それらがみな
(つまり経済も含めて)
自由に活動可能な社会で
あって欲しい。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    

以上のことが
「普通は人が気づかないこと」
だということを
具体例で言えば

例えば
東日本大震災。

これも
細かいことを言っていると
いつまで経っても言うべきことへ辿り着かないので
理解されないことを承知で
結論を言えば

(1)津波が来た場所までは
   人が住める場所では無いことが
   判明したのだから
   その場所よりも高い場所にのみ
   人を住める場所を作るように
   復興すれば
   この先永遠に
   津波の被害に合わない住環境を確保できる。

この理屈は
「新型コロナウイルス感染症の拡大現象は
 非常事態ではあるけれども

 この非常事態を生む原因である
 経済活動の
 宗教活動や哲学活動に対する
 過剰を
 非常事態時のみならず 
 普段から抑制して

 経済活動と
 それ以外の活動
 特に
 宗教活動と哲学活動などの
 精神活動との
 バランスを保っておくこと
 に加えて

 三密を避けること
 だけでなく
 衛生面での徹底
 特にマスクの正しい着用方法を
 皆が修得することを
 常態化しておけば

 そもそも疫病の異常発生を
 起こすことのない社会環境が
 確保できるということ」

同じ論理。

「マスクの正しい着用方法」
の参考例としては


(2)原子力発電は
   自然災害によって
   破壊された場合に
   人間の技術で制御できなくなる
   ということが判明したのだから
   制御できる技術が確立するまでは
   原子力発電技術を
   電力供給の方法として
   用いるべきではないということ。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    

具体例として
事実例ではないけれども
人の意識が
なかなか向かない「真実」の例として
例えば
映画『ゴジラ』シリーズ

特撮テレビドラマ『ウルトラマン』シリーズ。

これも
論理的に正しい厳密な表現方法を
採用すると
いつまで経っても
「永遠の真実」へ到達しないので
理性の理解を越えていることを承知で
先に結論を言うと

(☆)映画『ゴジラ』も
   特撮テレビドラマ『ウルトラマン』も

   「初代『ゴジラ』や

フォト

    特撮テレビドラマ『ウルトラ Q』では

フォト

フォト

フォト

    人間の自然破壊に対する警告の象徴として
    「ゴジラ」や「怪獣」が
    登場しているのに
    人間は
    人間自身の過ちを反省して
    自然破壊をやめて
    自然を保護できる人間活動へ
    改めようとする
    のではなく

    人間の自然破壊を
    戒める存在である
    「ゴジラ」や「快獣」を
    「駆除」すべく
    「人間の代表」としての「ウルトラマン」を
    ヒーロー化して
    または
    人間社会の「軍事力」によって
    「快獣」や「ゴジラ」を
    「殺して」しまう。

    「真実」は
    「人間のエゴ」に「気づくこと」であり
    「人間のエゴ」を「戒める象徴」である
    「ゴジラ」や「怪獣」こそ
    本当の「ヒーロー」だということ。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    

映画『AKIRA』だって
「人間が触れてはならない神の力」

「人間がコントロール(制御)して
 人間のエゴイズムに利用しようとすること」
への
「警告」が
含まれている。

フォト

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最終更新
令和2(2020)年12月12日 午前2時00分
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