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2020年11月30日21:28

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武道随感  指導の難しさ

 前々回の稽古の時、K先生がおらずT先生一人だったので、手が回らない感じだった。で、T先生が、「すいません、ハルカさん、ちびっこたちをお願いしていいですか?」と言うので、「判りました」と、ちびっこたち=二人の小学一年生女児+うちの娘を相手にすることになった。

 子供に教えるのは、こんなに難しいことか、と痛感する。難しい言い方をすると判らないし、複雑な動作や精妙な動作はうまくやれない。集中できる時間が短く、すぐに飽きる。これはちびっこたちも、うちの娘にも同様に言えることだった。

 できる事が限られてるので、教えられる事が限られてくる。同じことを反復する練習は、少しやると飽きるのでちょっとしかできない。こういう中で教えてると、こちらの『教えられる駒」の手持ちが切れてくる。これは大変だ、と痛感した。

 いつもK先生は、こんな事をやっているのか…大変だなあ、とか思ってたが、その後はそういう機会もなかったのでそのままだった。大体、僕は人に教えるより、教わる方が圧倒的に多かった人間である。教えるとか指導するとか、正直、あまり興味がない。

 薙刀の合同稽古では、練習の後に段級は別にして、互いに気づいた事を注意し合うというのが慣例である。そういう時、僕は自分の稽古に集中していて相手の事をあまり見ておらず、いつも適切なアドバイスができないな、と思っていた。

 しかしT先生にしろK先生にしろ、本当の上段の先生というのは、人の動きを見てとって、その人の修正点をちゃんと指摘できる人である。僕もよく素振りをしていると、先生たちから「ハルカさん、ここはこういう感じで〜」と直される。有難い事だが、自分が同じ事を、僕と同じ三段相手にできるかと言うと、まったく無理だ。

 つまり「見て取れる領域」が、先生たちの方が全然、広くて深いわけである。僕はまだまだなんだな、と思う。で、この前の稽古の時、ちょうど僕以外で四人が組みになったので、僕は娘についてK先生にちびっこ達と一緒に教わることにした。

 実に感心した。K先生はちびっこたちが飽きないように、様々に変化を加えた動きを練習させ、しかもそれはちゃんと薙刀の動きに即している。良い所は褒めて悪いところは修正しつつも、年齢的にいますぐ直せないようなところまでは追及しない。その見極めとさじ加減が実に上手だった。

 そしてちびっこ達に早めの休憩をとらせたので、僕はT先生に教わってる奥さんたちの方に戻ってみた。奥さんがT先生に、かかりっきりで教わっている。羨ましい。もう一組の老婦人と小学六年のペアが漫然とした自主稽古をしていたので、そっちを見て、少し教えてみた。

 小学生も六年生くらいになると、合理的な話が通じる。構え方、中心を守る必要性、持ち替えの手の内など、比較的高度な事が教えられる。けど、よく判ったのは、教えられることは、『自分がその理合いを本当に理解して、自分でもできている事』だけだな、と再認識した。

 例えば薙刀の持ち替えの再、前の手で包み込むように、後ろ手を滑り込ませるのだが、これは僕がマイミクの武芸さんから教わった事だ。僕もそうだったけど、意外にこういう事が初歩の段階でちゃんと教えられてないことが多い。

 そこを武芸さんに教わったように、「薙刀の小手は、人差し指が独立してるでしょ。この人差し指と親指で薙刀を掴んで、残りの指を開いてそこに後ろ手を滑り込ませるように、あれはできてるわけ」とか訳知り顔で教える。みんな、武芸さんに教わったことだけどね!

 そんな風に、今まで先輩方に教わった事を、人に伝えていく。教わった事と、その人に感謝する。そうして、自分もそれを人に教えていく。そんな風に続いてきたのだし、これからも続いていくのだろう。そういう中に、僕も入っていくのだろうと思う。

 
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