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2020年10月05日23:51

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武田薬品が面白い

 業界内のウワサで、日本最大の製薬会社・武田薬品のお寒い話が入ってきたので、休憩時間に薬局長とちょい雑談。
「てか、タケダってどっから来た社名ですかね」
「創設者の苗字?」
「いやまぁ、タナベもバイエルもそうですけどー」
 と、スマホ検索。
「‥‥大変です薬局長。タケダさん、大河ドラマになってもおかしくないくらいドラマチック」
「何が?」
「とりあえず竹田長兵衛、検索して下さい」

****

 竹田長兵衛。というか竹田長三郎。1750年、奈良に生まれて6才の時に大阪で綿商を営む叔父・河内屋武兵衛の養子になる。
 もうこの時点で、本来はムリゲー。この頃はなぁ、バブル崩壊に近い経済状況で商売関連は最悪な状況だったんよ。商人の町大阪で商人の跡取りになるとか、バットエンドしか見えない。
 案の定、8年で河内屋終了。14歳で跡継ぎのぼんの立場から薬種商・近江屋の丁稚の立場まで身分は激落ちしたのに、しかし彼は強かった。
 丁稚→手代→番頭、と順調に出世し、ついには主人の跡継ぎ息子が幼すぎるので、その代理にまで成り上がる。この時点での名前は近江屋・長兵衛。苗字なし。28歳。

 ところが今度は近江屋が不正取引問題でほぼ取り潰し。
 幸いなことに、長年の奉公に感謝した主人が、長兵衛に分家として薬種商を経営する権利を取ってくれた(ように彼が仕向けたかもしれないけど記録に残ってない。怪しい)。そして32歳、晴れて分家独立――が、名前はやっぱり近江屋・長兵衛。
 この長兵衛という名前が大事。以後、長兵衛の跡取りは長兵衛という名前を世襲することになります。

 二代目と三代目は、「分家の主人」と「本家の代判という名の黒幕」を兼ねたまま、店を地味地味と大きくしていく。
 そして三代目長兵衛の三男・亀蔵は、京都の薬種商、松屋喜兵衛へ丁稚奉公へ。そしてまた本家で起こる「ロクな跡継ぎが居ないのに主人が急死」事件。呼び戻された亀蔵、四代目へ。
 曖昧だった本家と分家はここでようやく統一。なんか‥‥いや、陰謀論はやめておく。

 てなところで、はい明治維新キタ。

 四代目の近江屋・長兵衛は、ここで武田(竹田)長兵衛に名を改めます。100年前の実家の名前を持ってきた訳ですね。
 商いも、和漢薬から洋薬の卸問屋へと大転換。
 以後、商いを大きくしながら四代目から五代目、五代目から六代目、と長男相続が続きました。
 ところが、六代目ったら38歳で社長に就任してから31年もその座におり、その後も会長として君臨し続け、当然ながら長男もそれなりの年齢に。七代目武田長兵衛を継ぐべき「六代目の長男」は、昭和55年、急逝しました。
 結局、六代目の弟である中継ぎ社長の小西新兵衛→六代目三男の武田國男と社長職は相続されたのですが、彼が七代目長兵衛を名乗るべきところ、断固拒否。そらそーだ、第一線でバリバリ働いてる壮年男性が、平成5年という時代背景で改名なんて受け入れられるか。しかも「ちょうべえ」だ。
 本人が居ない席での笑い話にしかならんわ。

****

 という訳で、経済面より血統面の方で、滅茶苦茶面白いんですよこの会社。
 ちなみに今のように大会社になった最大の理由は、アリナミンだそうです。ビタミンBの重要性が判明したの、けっこう最近なんだよね。
 さらにちなみにその可能性を無視して「兵士は白い飯が楽しみで来ているのだから麦飯など問答無用!」と、戦場にビタミンB1不足症(いわゆる脚気)による栄養不足死を蔓延させたのが、森鴎外(職業・偉い軍医)な。
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