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2020年08月09日16:00

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焼け野原の少年

 たまたま、DVDに残していた。「原爆の夏 遠い日の少年」。この少年の写真を撮影したのは元米海兵隊のカメラマンのJ・オダネルさん。彼はハワイで終戦を迎え、日本に占領軍のカメラマンとして赴任を命ぜられる。本来の任務は軍事目的で占領の状況を撮影することだった。プライべートの写真は禁じられていたが、彼は撮りためていた日本人たちの姿を写したフィルムを密かに持ち出していた。
 この少年の写真は彼が忘れられない特別な一枚。番組は戦後70年がたちオダネル氏が長崎や博多などを訪れ、少年を探す旅を記録したもの。
 少年は焼け跡の仮設火葬場のそばに立っている。背中の弟はなくなっており順番を待っている。オダネル氏は声をかけたかったができなかった。長崎の原爆投下後の写真。
 「彼は泣くまいと耐えているようだった。まるでソルジャーのように」。キヲツケのように指先がまっすぐ。なぐさめようとしたができなかった。「彼は必死に現実を耐えようとしていた」。少年の家族を探したが見つからなかった。
 オダネルさんは長崎を歩いた被爆者でもあり、後遺症に苦しんだ。長崎の写真をもって核実験に抗議し、原爆を落としたB29の展示会では機体にけりを入れたという。警備員の注意を受けたが、何度でも同じことをするといった。
 オダネル氏は番組で長崎のほか佐世保、博多などを訪れる。すべてが焼け野原になった各地で写真に撮った様々な人と再会するけど、少年には会えずじまいだった。
 文字に書いてるとむなしい。ユーチューブで見られると思うので、機会があったら見てほしい。
 オダネル氏はこの番組がとられた3年後の2007年のの8月九日に亡くなった。
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