mixiユーザー(id:411965)

2020年08月06日00:24

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僕にもM資金くれよう

 終戦記念日に向かって様々なメディアで「戦争の痛ましさ」「戦争の傷痕」「戦争の悲惨さ」などが取り上げられる。
 これはまったく正しいことで「戦争は外交の一手段」と自民党支持的な覚悟でいてもいざ戦争になれば虫けらのように(自軍や他軍に関わらず)殺されるのは我々だということをきちんと認識しておかなければいかないよな。

 で、まあそういう「戦争の悲惨さ」はどこも共通だと思うのだけれども、日本の権力者の凄い特質の一つとして「いざとなったときの逃げ足の速さ」というのをもっときちんと覚えておかなければいけないと思う。

 今月号の医師向け雑誌「月刊保団連」は「敗戦後の混乱期を生き抜いた人々」という特集。戦後のヤミ市の成立や少年時代にどうやって生き延びたかと言う体験談に混じってその中に一文で紹介されていたのはいかに戦争直後から当時のエリート達が莫大な日本軍の隠匿物資を横領していったというもの。
 1946年に米軍によって東京湾から多量の金銀プラチナの延べ棒が発見されたという事件はM資金関係の小説を読んで知っていた。海軍施設のあった江東区・越中島の一角に海軍が後から引き上げようと思って沈めたそうだ。
 同時に当時の軍隊が様々な物資を隠匿していて、それは本土決戦のために国民からかき集められたもの。で、軍部が解散するまでの2週間の間に当時の政府から陸軍機密指令(陸機363号)が発布され、大量の物資を軍人、軍隊の関係者、軍用商人などに分け与えろということで彼らは途方もない利権を得たということで、つまりこれは国民の財産を不正に横領することを国家が黙認するという秘密指令だったのだ。
 事実、米軍が東京に進駐する8月28日までのわずか2週刊の間に装備、衣服、食料はじめ膨大な軍需物資の大半がきれいさっぱり倉庫から消えてしまったのだ。
 さらに政府機関の機密文書も略奪され当時の戦争中の行動や計画、責任を示す文書のほとんどが(軍関係者によって)略奪され焼却されてしまったという。

 いやあ、すごいなあ日本官僚の「重要書類ありませんよ、どっかに行きました」体制はこのときから健在だったのだ。
 名作『私は貝になりたい』で「全然そんなことはないのに、捕虜の死刑を命じたことにされた主人公」という設定に「戦争中だったからなあ」と普通に納得していたけれども、何のことはない、本当に死刑を命じた上官を記した文書は官僚によって焼却されていたのか。

 いまだに詐欺の手口として名前の挙がる「M資金」だけれども、多分ひっかかる人は戦後のそういった軍部関係者の略奪・横流しの事実を知っているからなのかな。
 しかし、こういった事実の公表や怪しい軍部関係者の名前がマスコミに出ることはないのだろうな。そういったマスコミを作っているのも多分関係者の息がかかっているとか、スポンサーがそういった関係者なのだろうなあ。

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