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2020年07月19日03:02

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久々に奥の細道(山形編)続き

奥の細道の行程:7月14日山寺―大石田。大石田のマンホール。
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大石田で自転車を借りる。先ずは芭蕉と曽良が泊まった地、船問屋の高野一栄宅。
もう一人大石田の庄屋の高桑川水と言う2名は俳人であり、大先生をもてなしつつ句会を開いた。
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14日はくたびれたので俳句は無かったが、15日に開催、その後現在橋1つ分下流にある向川寺(この左にある)まで曽良を除く3人で参拝に行く道すがらも俳句をひねりながら行く。何か楽しそうだ。
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滞在中の成果を翌日に歌仙「さみだれを」として芭蕉自ら筆を取ってまとめて、地元に残したので
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一栄と川水はさぞ喜んだだろう。何しろ、五月雨を 集めて涼し 最上川 が入っている
教科書級の代物だ。この後の新庄から船に乗った時に、集めて早しに改変されるけど。

山形編、本当はこれから新庄、出羽三山、酒田まで続いて日本海側に出てしまうが、仙台の帰りの切符を取ったので全部行程に入れるのは困難。
また尾花沢に行く。尾花沢10泊のうち7泊は養泉寺に泊まった。が、写真が無い?撮り忘れたか消したのか。仕方がないから尾花沢のマンホール。近年銀山温泉が有名だけど、芭蕉の頃には温泉地じゃないのかどうなのか。
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大石田と尾花沢は終わり。天童に移動泊。温泉なのに温泉を取れなかった。芭蕉は山寺の時に通ったようで碑があった。
翌日は仙台に向かう。時間調整の時にC60見物。
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秋保温泉泊。ホテル裏手にある磊々峡。奥の細道とは関係ない。
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翌日は多賀城と本塩釜散策。
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多賀城の歌枕である沖の石と末の松山はセットである。奥の細道には末の松山の記述があって、恋愛の歌の枕である末の松山の下には墓が沢山あって、恋愛していた人も最後は墓の下かみたいなことが書いてある。寺があるので現在も墓。
近くの駐車場の塀。ここら辺は海から2キロ以上離れているが、これはやばい。
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本塩釜に移動。ここから船で松島に行った事があるが、芭蕉が乗ったのは埋め立て前なので、もっと内陸。籬が島は歌枕で名前が出てくる。
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もっと回りたかったが、思ったより時間を食ったのと疲労のため断念、仙台に戻る。
奥の細道と関係ないもう一つの目的、常磐線復旧を待って仙台から一気乗りする事。
津波後の修復状況や原発事故のその後を見るつもりだったが寝てしまった。ところどころ起きた時に汚染土の袋や空き家と見られる建物が見えて、以前とは様変わりしているのは確認した。
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以上、今回はマニアックであまり一般的参考にはならないな。


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