5月27日の朝日新聞のオピニオン&フォーラムは「『鬼滅の刃』が映すもの」というタイトルで3人の識者が同作を論じていた。ファン代表椿鬼奴、ゾンビ研究家の福田安佐子氏、フランス文学家の中条省平氏。うーむ、福田氏は無理矢理鬼をゾンビにしてしまってピントがずれている、中条氏は「ここまでみんなを夢中にさせるものが何なのか、私にはよく判りません」と思考放棄。結局椿鬼奴氏の意見が一番しっくりきていた。
Youtubeでは田中敦彦氏がやっぱりその魅力を語っていて、「従来のジャンプ的、男性的な外郭の中に女性的な要素を持ち込んだ」という意見の方がまだ納得できる。
で、僕が思う「この作品が大ヒットした理由」だけれども、それは「主人公炭次郎の時代劇でこそ成り立つ保守的精神の肯定」ではないかと思う。主人公の炭次郎は最初の登場シーンから最終話まで精神的には一切成長しない。体技や剣技はもちろん成長するのだけれども、途中で目上の柱にお説教するし、対峙して誘惑してくる鬼にさえ前は間違っていると説教する。
おおよそ主人公なら一度はあるであろう戦いへの葛藤とかはなく、全くブレることがないのだ。
要するに「貧しいけれども、それを恨むことなく温厚で暖かい家庭に愛情一杯で育てられたから道理が身についている善良な少年」なのだ。果たしてそんな主人公が魅力的か?
まだ「戦闘への欲望」「海賊王という地位への欲望」に忠実な悟空やルフィに対して主人公の動機は「妹の病気を治したい」という家族への想いだけという小市民的な願いなのだけれども、多分それが今の時代に合致しているのだろう。
若者は反逆するべきであるといういわゆる少年マンガ的摂理や「今の世界をぶっ壊したい」「今の世界から出て異世界に行きたい」という破壊・脱出願望作品などに対して「誰に対しても牙を向けられない。でも、いつかいざとなったときに底力をきっと発揮できる可能性を持った自分の肯定」つまり「小市民の肯定」をこの作品はしてくれるのでないかと思う。
まあ、別に僕が思っているだけだから。
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