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2020年04月27日23:24

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高速鉄道のTGVに乗りたい

■高速鉄道のTGVに乗りたい

自力でフランスの西の端のレンヌ市へ行くチャンスがあった。パリから300kmくらいだったと思う。イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡が近く、海底トンネルでフランスの港町のカレーに鉄道で上陸できる。専用の貨車に車を積んでイギリスとフランスを移動も可能なのだ。

当時はEU圏内だったので、イミグレーションによる厳しいパスポートチェックや荷物のチェックはなかった。国際列車の座席に座っていると、制服を着た車掌がチケットとパスポートのチェックにやってくるだけで、貨車のところへ書類を持って預けた車を受け取りに行く。今はチェックが厳しくなったかな。

日本を出るときには、夕方までに成田まで車で移動して、メンバーになっているパーキングに寄って車を預ける。待機している空港行きのコースターに工具や機材を移して、航空会社を言ってターミナルビルまで連れて行って下ろしてもらう。

エールフランスがスポンサーだったので、時間がきていれば出発フロアのカウンターに行くか、まだチェックインできない時は荷物預り所へ一旦荷物を預けてしまい、自由に動き回れるようにする。必ず立ち寄るのが成田空港内の築地のすし岩だ。そして、旅行保険会社のカウンターで、海外で病気や事故や盗難に合うととんでもないお金がかかるので、絶対に加入する。

友人が日曜日にハワイでバイクで転んで、救急車に乗せられて運ばれてしまったという。携帯に電話が入って、慌ててハーレーで病院へ駆けつけた。診断する整形外科の先生と、実際に手術する先生、麻酔医、看護師が2人呼び出されて、数針縫う手術を受けて、ホテルへ帰ろうとすると、事務職のおばちゃんに、海外旅行保険に加入しているかと聞かれる。

成田空港でもちろん加入しているけど、小銭は持っているけど、クレジットカードや証書はホテルの部屋へ置いてきたというので、クレジットカードは持っているかと聞かれたので変わりに払うことになった。プリントアウトされてきた請求書の金額を見て驚いた。日曜日の民間の救急車はなんと15万円、休日出勤手当が医師3人で15万円、医師への支払いが30万円、手術代が30万円、なんと合計が90万円だった。

日本みたいな国民皆保険制度はなく、全ては実費を払うことになる。だから、選手にも、スタッフにも、年間を通じて海外旅行保険をロードレース参加やスタッフのリスクに合わせて金額を設定してもらって、高額だったけど加入していた。緊急の場合はドクターヘリの手配もできる内容にした。今回ももちろんお守り代わりに加入した。

油分が多くて塩分が濃い機内食が苦手なので、いつものように鯖寿司とおにぎり4個と、いちいちCAさんを読んで飲み物をもらうのが嫌なので、お茶の大きなペットボトルを買って持ち込んだ。気を使うのが嫌なので、座席は必ず通路側にしてもらっていた。それでもお腹が空く時は、ギャレーにテクテク歩いて行って、カップヌードルを3つくらい食べさせてもらっていた。

エアフラの夜の便でいつも移動していたので、着く時間もわかっている。朝6時ごろにイミグレを出る。シャルルドゴールからパリ中心地のモンパルナス駅へタクシーで移動して、チケット売り場でレンヌまでのTGVの指定席を手に入れた。いくつものホームがあって、掲示板には予約を入れたTGVのナンバーが表示されたホームに行くと、チケット売り場で英語で言われた番号と違っていた。大丈夫かと思いつつフランスで初めて電車に乗った。

車内アナウンスはちゃんとあった。停車駅が近づくと駅名が告げられた。どこに止まるのも知らないでチケットを買ったので、結構緊張したままだった。落ち着いてくると、座席のカラーが綺麗なこと、部分によって座席のデザインが違っていて、これはこれでオシャレだった。広い出入り口にある、荷物の収納スペースは大きく、キャスター付きのトランクが10個は置けるスペースがある。

幅が広いボディで、窓ガラスは少し大きめだが航空機的なシェード付きだ。座席も大きくてゆったりしている。広軌の線路は快適で、振動もとても少なくて、エアコンも適度に効いていて、室内は静かで小さな話し声も聞こえるほどで超快適だ。しかもパリ市街を脱出すると速度がぐんぐん上昇して、麦畑の広がる丘を突き切る路線は直線的でかなり列車のスピードは速い。踏切も全くなくフェンスで囲まれていて、最高速度は300km近いだろう、1時間と少しであっけなく着いてしまった。

レンヌの駅は味もそっけもないベージュ色にペイントされた合理的な駅だった。鉄製の柱にはレンヌの小さな看板が数カ所付いているだけで、日本みたいな行き先を示すような親切な看板やフロアの矢印もない。ホームは低く40cmくらいしかなく、線路に降りて隣のホームへ行けてしまう感じだ。てくてく歩いてトランクを転がして改札口へ向かうと無人だった。

駅前のロータリーでトランクに座って休んでいたが、成田を夜の11時ごろに出発して、12時間のフライトで、朝6時にシャルル・ド・ゴールに着いて、あまり眠れなかったので、眠くなっていた。乗ってきたTGVが静かにスタートして行った。もうちょっと乗っていたかった〜。セントレールイゾンボベから迎えの車が来れば乗って行くだけだが、迎えが来なければタクシーで行けばいいかと、のんびりしていた。

ブルターニュ地方は、ツールで5勝したルイゾン・ボベや、ベルナール・イノーの出身地で、レンヌ市がボベを記念した総合スポーツセンターを経営していた。施設はコンクリートの400mバンク、芝生ばりのサッカーグランド、体育館、バイクの収納施設、クラブハウス、宿泊兼食堂の施設があるのだ。僕らはこの宿泊施設に泊まって、フランス各地で開催されているレースに出場していたのだ。

ここのルシアン・バイエ館長はツールドフランスの主催者として働いていて、ツールの季節にはインビテとして招待してくれて、アンテンドゥの番組の中で日本のプロチームとして、フランスでレースに出て強化活動をしていると紹介されたりした。ここには元プロ選手というOBがたくさん出入りしていて、レース開催地までの移動を手伝ってくれたり、ツールで優勝したペドロ・デルガドのアシストの現役選手なども紹介されて、一緒にトレーニングしたり、レースに出ていた。

イノーはこのセンター所属の個人追い抜きの選手で、16歳までここでトレーニングしていて、1000mを1分6秒で走れる選手で、ナショナルチームにスカウトされて行って、プロチームへステップアップして。23歳でツールで優勝している。

引退後はブルターニュへ戻って農場主になって、時間ができるとセントレールイゾン・ボベへ夕食を食べに来ていた。滞在中になんども一緒に夕食を食べた。ツールの広報担当として活躍して、またブルターニュで農場主になっている。

こんなに身近にツールのスーパーチャンピオンがいる国で、ヨーロッパでも最もオープンに外国チームの参加が認められるところはフランスが圧倒的だ。プロアマオープン、プロオンリーのワンデイのロードレースやステージレースが、フランスのどこかで毎週2回開催されている。

UCIのスケジュール本を手に入れて、主催者に出場とホテル代や交通費やスターティングマネーなどの条件を交渉するのだ。面積は日本の5倍あるので、東西南北、時にはオーストリア、ドイツ、ベルギー、イタリアがフィールドだ。

レース前日にミシュランの地図を頼りに土地勘のない場所を1000km近く移動して、ホテルに入り、選手は空港から合流する、朝10時からレース会場へ移動して、レースを5時間から7時間サポートして、選手は空港へ向かい、スタッフはそのまま徹夜で車を時速120kmから150kmで運転して、夜明けごろにレンヌへ帰るのだ。毎週2回、スタッフと機材の移動距離は大変だが、こなしていくうちに自然にタフになっていく。

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