伊藤潤二展(世田谷文学館)で漫画の原画を見ながら気づいたのだが、僕は修正部分ばかり探して見ている。とにかくどこでホワイト修正したのかが気になる。漫画家によってはほとんど修正せずに原稿を作れる人もいるようだが(あすなひろしとか)そういう完璧な原稿よりも修正しまくった原稿を見る方が断然面白い。伊藤潤二はコマの四隅の部分にホワイトで修正してるものが多かった。また、紙を貼ってコマをまるごと描き替えた部分などもあった。
あと他にも気づいたのだが、僕は90年代までの伊藤潤二の漫画は結構読んでるのだが、2000年以降の作品はほぼ全く知らない。考えてみりゃ2000年代初頭あたりから急に漫画を読まなくなったのだ。古い漫画ばかり読み返すようになったのはそのころからだった。いつも寝る前に少しだけ漫画を読んでから寝るのだが、どれも小学生のときに好きだった漫画ばかりだ。
ずいぶん前に長新太のイラストの原画展を見て、シンプルな線の絵なのにホワイトで修正しまくっているものがあって驚いたことがあった。もっと単純にサラサラと描いてるかと思ってたけど、描いたあとに随分修正してるのだ。そういう原稿は経年劣化で紙が少し変色しているのに対しホワイトは真っ白なままなのでそこが結構目立つ。そういうところがとてもいい。原画というのは印刷された完成品と違ってある意味で未完成みたいなものだ。そしてその未完成感がおもしろい。
ところで美術館で見る絵画の場合、当然どれも完成品なのだが、習作や下絵として描かれたものなどは絵として未完成だ。で、そういうのはやっぱり面白い。国立西洋美術館にルーベンスの「豊穣」という絵があるけど、これはタピスリーのための下絵といわれていて、油絵としての完成品とはちょっと違う。地の板の部分が見えてる箇所もあるし、全体的に薄塗りで、ルーベンス特有のあのゴテゴテ感が無く、薄味だ。この絵は国立西洋美術館の絵の中でもお気に入りのうちのひとつなのだが、この絵のどこか未完成な感じがとてもいいのだ。もしルーベンスが本気を出してこれを完成させてたらもっとエネルギッシュでコテコテでカロリー高めな感じになってただろう。
Youtubeのオススメ動画にたまに絵描きのチャンネルが出て来ることがある。絵を描く過程を映してるだけのものなどを飛ばし飛ばし見ていると完成した絵はだいたいつまらない。だけど、最初の方の描き途中の頃の絵は案外面白い。まだ抽象的で何だか分からない時点で見ると、結構よかったりする。途中でやめときゃいいのに、なんて思いながら見てるのだが、大きなお世話ってものか。
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