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2019年09月10日16:25

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檀信徒制度について


 寺院がここまで存続できたのは何でかという事について。

 コレはあからさまに江戸時代初期の宗門人別帳…通称「宗門改め」によるところが大きいと思います。
 原城の『島原の乱』から苛烈な宗門改めが行われて、日本に住む全ての民草は各寺院に出生と死亡、並びに転居を申請しないといけなくなったのですわな。
 これらは「対キリスト教」政策だった訳だが、同時に諸々各寺院の宗派固定や住職の固定化にも貢献したんです。
 それまでの寺院と僧侶は、僧侶は全国を遊行して研鑽を積み、空き寺や無住寺院に寄寓して発展させたのです。
 だから少し前まで天台宗だったけど、今は浄土真宗という寺も多々あったのです。 
 だけど幕府によって寺は官僚化され、説法や宗論で成り上がる隙は無くなりました。
 その代わりに「住職」として、戸籍謄本を担う…役人僧侶が増えたのです。

 江戸幕府は300年以上続いたのです。将軍だって15代変わってます。その中で辻説法や宗論を封じられ、「みんな仲良く」と纏められた日本仏教は牙を失いました。
 
 「生まれてから棺桶まで」仏教寺院が担ってきた…この300年は大きいと思います。
 その後、明治の時代となって戸籍や転居願いが役所の管轄となりますが、同時に寺院の世襲化(※これも明治政府が推し進めた)します。
 だから、実は寺院で血族が繋がっているのはたかだか100年少々に過ぎないのです。
 尤も、世襲化がこんなにも急速に進められたのは檀家の後押し無しには考えられません。
 つまり、檀家が御しやすいと見て、外部からの僧侶を呼ぶよりもガキの頃から知っている小坊主を置いて、云う事効かせようというマウント取りに他ならないのです。

 自分の寺の住職が気に入らない…ならば他の住職を迎え入れよう……!

 一見、檀徒側の方が被害者の様に見えますが、実質マウントの取り合いで、寝技の応酬に他なりません。
 仏法を貴ぶのではなく、単なる墓守と化した寺院と僧侶。
 “それ仏法、遙かに非ず”
 空海の言ですが、密教とか仏教とか、もっと根本的な布教をしなければ殻に囚われて、どんどん仏心は失われますよ。

 仏教は面白い。
 仏教は奥が深い。

 
 こういう気持ちを若者に託せないで、ナニが布教かと思います。2500年続いたものを自分らの代で絶やすのか、と思うと情けない限りです。
 もう一度言います、仏教は面白い。


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