(
公演は来週前半まで続きますので、ネタバレ系の話題は極力避けます
)
当日記のメインテーマでもある、うたの世界はもちろん…、
筆者の生業である、どちらかといえばお堅い部類に属すると思われる業務
でのやり取りであっても、その意図するところが言葉になって伝わらないと、始まりません。
そして、いちだんとことばの重みが増していく、舞台・演劇という表現。
当日記では、先月、久々に舞台の世界に飛び込んだのでしたが、演者さんが放つことばと想いという、膨大な熱量に圧倒されたような感覚が、今でも鮮明に残っています
。
(2018年10月13日@新宿)
https://ameblo.jp/maruyui-otonikki/entry-12411958070.html
筆者の頭と心と身体のなかで、よほど印象的だったのだと思います。このときから1か月余り、再び、このひとの舞台を観に行ってきました
。
”はるかぜちゃん”こと、春名風花さん。
前回、10月の「想稿 銀河鉄道の夜」とはまた違う、朗読劇のスタイルです
。
読書はというと、本業の忙しさ?にかまけて、前回の観覧のあとに改めて「銀河鉄道の夜」を読み直しているような感じですから、今回のお題「再生」に関しては、ほぼ”まっさら”な状態で観に行ったことになります。
その、原作である「眼球綺譚/再生」にどこでどう合わせたのかと思うくらい、会場の名前”新宿眼科画廊”と、シンクロ。
その熱量に触れていく前から、期待と、そして少しばかりの怖さが膨らんでいきます
。
会場の名前のとおり、画廊の一角が舞台に仕立てられ、残りの”画廊”の部分の一部を使って、お題に関する作品が出展されています。
この日、少し早めに到着した筆者は、待ち時間のあいだに、その画廊のほうも見学。
”お題に関する作品”は、演出を担当されているかたの展示。その名の通り「再生」という作品もあるのですが、ここを見るだけでは、再生というイメージはあっても、”怖さ”はオブラートに包まれた感じ。おぼろげなヒントといったところでしょうか
。
ほかの作家さんの展示ものぞいてみます。
ちょっと目のやり場が…^^っていう感じのものもありますが、あるものはそれをいやらしく見せないポップな雰囲気に仕上がり
、またあるものは、それとは別の世界のものごとを、いかようにも感じ取れるような絶妙な表現をしています。”はるかぜちゃん”が時折ツイッター上で言わんとしている世界が、たしかにここにはあるみたい
。
さて、舞台に仕立てられた画廊の一角に足を踏み入れると、演者さん2人ぶんの椅子を、間近で観客が囲む形。
40人ほどでいっぱいになってしまうくらい、小さな、しかし濃密な空間です。
少しゆるめに敷かれている黒い敷物は、ふわっとかけられている程度(歩くと少し動く…)。”少しばかりの怖さ”という要素は、そのような体感から感じ取ることができます。
真っ暗な中にスポットライトで浮かび上がる演者さん2人は、ほんとうに目の前、1メートル少々の所にいらっしゃいます。
ストーリーは男性の演者さん、鈴木彰紀さんのほうが主に進めていく感じ、そこに、風花さんの声が重なっていきます
。
筆者の最近の心の動きとシンクロしているのではと、思わずたじろぐような感覚がした前半に、早くも心を釘付けにされ…
いろんなことを乗り越えて幸せな瞬間はくるけれど…
それは、はかないほどあっという間で…
次第に妄想とも現実とも受け取れる、混沌とした世界に変わっていき…
最後はあまりにもせつなかった…。
できるだけ”ネタバレ”しないように書くと、こんな感じだったでしょうか。
朗読劇というスタイル。
ほんとうに言葉を乗せていく声と、ふたりの表情から全てを想像していくスタイル。
その”想像する”ということは、思っていた以上にパワーを使うものでありました。
なんだか、”同じ汽車に乗り合わせたひとびとの運命共同体”に身をゆだねた感覚だったみたいです。手に汗握る…という要素もありますが、間近で演じられるお二人の表現力に圧倒されたのだと思います。声音と表情、そして若干の身震いのような動き。それだけで表現されていく世界を追っていく行為が、とっても新鮮なもの
。
ネタバレを気にしないで済むなら、もっと語っていたい^^のですが、
原作というヒントを経ずに、”まっさら”の状態で観た筆者としては、風花さんを”はるかぜちゃん”というツイッター上でのお姿しか見ていないひとにこそお勧めしたい
。前回の「想稿 銀河鉄道の夜」が、風花さんのオピニオンに一本とおる揺るぎない筋とするならば、今回の「再生」は、それが実はいろんな物事から着想を得ているのであり、それをご自分のものとしてとらえる過程そのものを観たのだと。
風花さんがお芝居という場所で奏でる世界に、まだまだ引き込まれていきそうな気がします
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