たまに、胸に「IRON MAIDEN」とか「AC/DC」とか書かれた黒いヘビメタTシャツを着て歩いてる人を見かけたりして、思わず凝視してしまうわけだが、同時にハードロックを聴いてた自分の中学生時代を思い出して「うわ〜!」と言いながら逃げたくなったりする。誰でも黒歴史があるものだ。
ハードロックやヘヴィーメタルというのは機能主義的な音楽であり、その機能とは暴力的衝動の発散と情緒的気分の発散にある。発散のカタルシス作用だけに特化した音楽だ。要するに怒りの気分と泣きたい気分を音楽が発散して解消してくれるということ。怒りと泣きという、人間の最も単純な感情を手っ取り早く解消してくれる対症療法的な音楽なのだ。だから自身の感情の処理技術がやや未発達な状態にある年齢の低い人達(主に10代)にウケがいいし、ある程度の年齢に達すると(ある程度精神的に成熟すると)大抵の人はハードロックやヘヴィーメタルから離れていく。
暴力的な衝動の発散といえば、その代表的なものはプロレスや格闘技だろう。プロレスは人々の持つ暴力衝動を解消してくれる。分かりやすく言えば、ムシャクシャしてるときにプロレス見てスカっとするということ。このスカッとする度合いが高いものほどプロレスとしての質が高くなる。これはハードロックやヘヴィーメタルも全く同じだ。ハードロックやヘヴィーメタルの質はどれだけ暴力的な音かということで測ることが出来る。より効能の高いもの(スカッとするもの)ほど質が高い。カタルシス作用が大きいものほどいい曲となる。測定できるのだからいいメタルとダメなメタルがハッキリと分かるのだ。
もうひとつの機能、情緒的気分の発散とは、つまりわざわざ泣くために悲しい映画を見て気分を発散させるみたいなことだ。ハードロックやヘヴィーメタルのアルバムには、ヘヴィーな曲のほかに必ずと言っていいほど情緒的な曲(多くはバラード)が入っている。いわゆる泣きの曲と言われるもの。また、ハードな曲のギターソロなどにも泣きのメロディが散りばめられている。より泣けるものほど曲としての質が高い。ちなみにこちらの機能の方については全く無いというグループもある。
というわけで、ハードロックとヘヴィーメタルはごく単純な理屈で成り立っている。効能があるかないか、つまり効くか効かないかで判断出来るという、ごく単純なジャンルなのだ(昔から幼稚な音楽と言われるのはそのため)。もちろん、どんな音を暴力的と感じるかという感受性は人それぞれなのだが、だいたいは共通しているようで、人気の集中するアーチストというのは昔から決まっている。ハードロックやヘヴィーメタルが様式美と言われる所以は、万人がカタルシスを感じるパターン(万人に効くパターン)があるからそれを踏襲しているというだけのこと。効くか効かないかが問題であるということから、このような対症療法的音楽を聴くことは鑑賞ではなくて治療であることが分かる。
さて、もともとは若者のものだったハードロックとヘヴィーメタルだけど、今どきはいい歳をしたオッサンにもファンが多い。これは一体何なのかと考えてみた。単純に昔のバンドが今だに生き残っていて、かつてのファンもそのままスライドして残っているというだけのこともあるだろうが、しかし、もはや彼らは昔のようにヘッドバンキングしながら大音量で浴びるように聴いて己の感情を発散させるという聴き方はしていないだろう。誰でも歳を取るにしたがって感情のコントロール法もいろいろと出来るようになり、なおかつ昔のような思春期特有のイライラも無くなるのだ(更年期のイライラはあるかもしれないが)。では何故彼らはハードロックやヘヴィーメタルから離れられないのかといえば、今度はそれらをパワーの源泉として捉えているのではないか。オッサンになり体力も気力も衰えを隠せなくなってきたので、昔自分が最も体力があった頃に聴いていたものを聴くことによってかつてのパワーを体内から再び呼び覚ます、みたいなことだ。年寄り向けの若返りサプリみたいなものが沢山あるが、要するにそのようなもの。というわけで、やっぱりまた対症療法として聴いているのだ。これもまた鑑賞ではなく治療といえる。ハードロックやヘヴィーメタルは、当事者であるかぎり鑑賞などできないのだ。
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