以下、論語より
子張(しちょう)が徳を高くし、惑(まど)いを解くにはどうしたらよろしいでしょうか、とおたずねした。
孔子が答えて言うには、心のまことを尽くして、いつわりの無い忠と信を専一にとり守り、それから離れないように心がけるとともに、万事宜しきに従って融通のきくようにすることが、その徳をだんだん高くすることになるのである。
人の感情の一番甚だしいのは憎愛の情であるが、人を愛しては、その人がいつまでも生きんことを欲し、人を憎んでは、その人の死なんことを願う。
元来、人の生死は天命で、人力ではいかんとも出来ないにも拘(かか)わらず、その理をわきまえず、愛した時には生きればよいと願った人を、憎むようになると、また、死んだらよいと考えるようになる。
このような心の状態を惑いというのである。
この点に気がつけば、おのずから、惑いというものはどんなものか、はっきりすることができるだろう。
以下、私見です
「人を愛しては、その人がいつまでも生きんことを欲す」ことも惑いであるというのは慧眼だと思います。
自分の力が及ばないことを欲することが惑いなのでしょうか。
ただただ、自分の力が及ぶところのみに集中して精進することが大事であって、自分の力の及ばないところには初めから意識を置かないようにするべきだということだと私は解釈しましたがどうでしょうか。
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