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2018年06月29日16:58

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己に克ちて禮を復むを仁と為す(論語)

以下、論語より抜粋


顔淵が仁とはどういうことかと質問した。

孔子は「己に克ちて禮を復むを仁と為す(おのれにかちてれいをふむをじんとなす)」という、当時世間によく言われていた古語を用いて答えた。

すなわち  克己復礼が仁だよ  自分の身勝手を行わないように、心では自分というものを引きしめ、外部は先王の定めた社会の規則、人の踏まねばならぬものを践(ふ)み行うことが仁である。

もし、人がただ一日だけでも、この克己復礼で仁を行うことが出来たら、その影響は広くいきわたって、天下の人々が皆仁徳に向かい、仁に心を寄せるようになるであろう。

この己の身勝手に打ち勝って自分が礼を実践しうるようにすることは、結局、自分の力によって出来ることであって、他人の力に俟(ま)*って出来る者ではない。

すべて、人の身に具(そな)わった心の働きによるもので、いわゆる我、仁を欲すれば、ここに仁が行えるのであると。

そこで顔淵がさらに進んで、「これを実行するたもの細目をお教え下さい」と言った。

これに対して孔子は、「礼に外れたことをじっと視ていてはならぬ。

礼にはずれたことに耳を傾けてはならぬ。

礼にはずれたことを言ってはならぬ。

礼にはずれたことを行動にあらわしてはならぬ。

すべての人の視聴言動を礼に合致さすようにせよ。

礼は人の世に秩序を与え、社会が平和になる法則であって、すべて道理にかなったものを、古来の聖人たちがよく考え行って、この世に残し示したものであるから、これに従って視聴言動を慎めば、そのまま仁の徳と一致するのである」と。

顔淵が感激して「回は愚かでふつつか者でございますが、何とかして、このお言葉を、私の一生の仕事にしたいと存じます」とこたえた。


注釈

俟つ:頼りとする。期待する


以下私見です。


「礼に外れたことをじっと視ていてはならぬ。礼にはずれたことに耳を傾けてはならぬ。」

テレビから流れてくる殺人事件の報道やサスペンスドラマ、お笑い番組、正に悪い情報の洪水である。

このようなものに子供のころからさらされていれば、まともな人格者など育つわけがない。

昨今の昔ではあり得なかったような犯罪が毎日の様に起こっているのもこのためであろう。

礼に反するものの日常的な視聴の必然的な帰結が礼に反する言動になるのだと思う。

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