以下、論語より抜粋
孔子が匡(きょう)で生命が危ないような難に遭った。
顔淵が一行からおくれて行方不明になったが、やがて追いつくことができた。
孔子が喜んで、「わしはお前が死んだものと思ったよ」と言うと、
顔淵はまた先生の無事なのを見て安心して言うには、
「先生が健やかに生きておいでになりますのに、顔淵は何とて軽々しく死ねましょうや」と。
以下、私見です。
読むと、信でつながることの如何に強固で素晴らしいかがわかります。
最近では、日本でも粗野なアメリカの考え方が幅を利かせてきて、利でつながることばかりになっています。
利でつながることは、わかり易いですが、信でつながるものより弱く、醜いと私は思います。
上手くいっている時にはそれでもよいと思いますが、一度逆境になると、あっという間に四分五裂してしまうでしょう。
この災害大国日本にあっては、信でつながることの大切さを次につなげていくべきだと私は思います。
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