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2017年09月22日23:55

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劇場の一番大きなスクリーンへかけるのに噛み合わない映画 『打ち上げ花火、横から見るか、下から見るか』

まず皮切りに。この作品は劇場の一番大きなスクリーンにふさわしくない。
そこには『君の名は。』を期待する観客達の不一致がどうしてもあるし、
マイナーな文法をメジャーな文法だと誤解した目利きの悪さもある。
同時に本作を「今年の君の名は。」と売り出す配給の罪深さもある。*1

原作は岩井俊二の小説と90年代に放送したテレドラマ。
脚本の大根 仁とプロデューサーの川村元気は本作の「熱狂的なファン」。
なら両人とは本来複雑な作品こそ好みだ。*2
岩井俊二に目を移せば、本人はメジャーではなくマイナーな文法、
アートシネマよりの作品を制作してきた芸術家肌。
その原作が「わかりやすい原因と結果」「登場人物の目的」
を提示できるかといえばそうでもない。*3

映画の解釈は観客にゆだねられる。*4
反対にいえば岩井俊二の性質を理解し、
「こんなもんだ」
と予想したヒトは満足できただろう。

自分は思う。
「鑑賞以前に作り手を知れ」と。*5
だが、その勉強を要求するのは傲慢だし、
配給も、さも「わかりやすき作品」と打ち出し、質(たち)が悪い。

過剰ななずなの色気は、
「男子を翻弄しちゃう女子」で物語を回す、大根脚本そのまま。
ただ、色気の性質がよくない。キャラクターデザインを含め、
深夜テレビアニメへ漂う劣情から脱却できない。
カラっとせず、女性や家族が拒否反応を呼び起すなにかがある。*6
なにもかもが噛み合わない。
その映画が一定の評価を獲得できるわけもない。


※1 というか送り手も受け手も『君の名は。』にふりまわされすぎ。

※2 川村元気の『世界から猫が消えたなら』は音楽を主題にしつつ、実体は哲学と思想へと寄った作品。大根 仁の次回監督作品『奥田民生になりたいボーイ・出会う男すべて狂わせるガール』は、そもそも原作が「サブカルこじらせ男子漫画」だ。その作品に吸引をされる時点で大根作品の根幹の一部はわかる。

※3 たとえば『君の名は。』は“わかりやすい”。

※4 最後の場面において典道はおらず、なずなも不在で、祐介だけがつまらなそうに教室に居る。映画の展開のとおり、典道は「if」の世界でなずなをいまだ追いかけているのかもしれない。あるいは、その世界で2人は一緒にいつつ恋人となって、単純に教室を抜け出し姿を消しているだけかもしれない。

※5 おもしろい作品をより理解し、タイクツな映画に“納得”する護身が身に付く。

※6 現在、深夜テレビアニメの色気は性的な劣情の道具だてになっている(男性むけ/女性むけ関係なく)。であるならばそれは一般的価値観において理解されない。同時に秘め隠すものだ。その描写を日の当たる場所で披露する場違いは、社会に迎合した分別あるオタクなら回避すべきとわかるし、一般のヒトから見たら最初の時点で嫌悪しかない。
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