8月15日、きょうは「終戦記念日」。
いつも気になっているのだが、年々のどに刺さった小骨が
チクチク度を増す。
誰が勝手にはじめたか、はなからわかっていそうな負け戦。
戦争が終わってよかった。民からすればたとえようのない安堵感。
そう考えれば「終戦」「記念日」でもよいのかもしれない。
「終戦記念日」という言葉が独り歩きし、いつのまにか定義された
ように居座った。
負け戦だったのだ。「敗戦」したのだ。いつもまにか終わったわけじゃない。
「記念日」これこそないんじゃないの。「記念日」というのはなにか
ハレの日、お祝いごとに匹敵する用語なんでないの。
「敗戦の日」でいいんじゃないの。
負けたと云いたくない。大和魂だからね。そのくせだれも責任をとらない。
陛下が担おうとしたら、滅相もない恐れ多いと奉りながら、では私が
とは誰も言わない。 しらんぷり。。
ここを曖昧にしたもんだから、のちのちずーっと、なんでもかんでも
曖昧なまま。戦争という愚かな根本すら正義化しかねない。
兄弟、姉妹、父母、みんな死んだじゃない。血だまりのなかで膿やウジ
だらけになったじゃない。飢えや猜疑心で人間を捨てた日が
あったんじゃないですか。
72年も経ったから「記念日」になにも感じないのか。72年経ったのだから、
いまさらのように「記念日」でいいのか。
きょうで戦争は止めようね、と仲良くシェイクハンドして終戦したんじゃない。
ぼろぼろになって戦争に負けたから敗戦したんだ。
アメリカにケツ振って、てめえの都合いいように、死んだ自衛隊員は
靖国にほうりこんどきゃいいなんてこと考えてんじゃねえぞぅ、
シンゾー坊ちゃん。。。。。
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