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2017年08月06日10:12

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今日思ったこと

 もう二十何近く以前、馬場のジャズバーで毎夜深夜まで飲んでいたころ。
 Yちゃんという年上のデザイナーがいました。気やすいというか、仲間の人たちからは軽く扱われるような人。投げやりの感じもなくはなく、気前よく高そうな酒を飲ませてくれたものだった。
 佐世保の人でなぜか、ぼくは箸袋に書いたこの人の田舎の住所を持っていた。彼のほうから渡してくれたのか、覚えていない。
 直観だけど体の小さい人で、体が弱そうだった。たまーにというか結構頻繁に体調が悪そうな様子があった。色白というよりなまっちろいというか。ある日町であったとき、体が辛そうで、よく見るといいとしなのにニキビが膿んだようなボツボツがみえた。声をかけたけど、答えるのも辛そうだった。
 自分存在がが恥ずかしいかのようだった。そう見えた。ああいう人を、影が薄い、とでもいうのだろう。体のあっち側が透けていそうな。

 そのころは田舎の両親も健在で、ある正月に佐賀の田舎に帰省した。佐世保までは二時間弱。「クジラの刺身をごちそうするよ」といってたのを思い出した。
 箸袋をもって佐世保駅に降りた。電話してyちゃんを訪ねた。そんな付き合いもなかったのにわざわざよく行ったと今にして思う。僕は今も思うし忘れられない、彼は僕に来てほしかったんだし、わかってほしかったんだ。

 元教師だったという優しいお父さんとお母さんの三人暮らし。年金暮らしのお父さんは、たまに競艇に出かけるのが楽しみ。普通の生活がづっと続いているようにに見える。
 予感のようなものはあったし、それは当たっていた。お母さんは、寝ていることが多いそうだった。
 その当時ですら50年以上はたってる。お母さんは、長崎の被爆者だった。たぶん、Yちゃんもひきづってた。体調が悪そうと見えたのは気のせいじゃなかったと思う。家族は突然のぶしつけな客なのに、親切にもてなしてくれてごちそうになった。
 具体的に原爆のことを聞いたわけでもない。記者としては失格でしょう。でも僕には十分だった。「わかってほしい、聞いてほしい」。3人がそう言ってたと思うのですよ。六日は広島のほうだけどね。
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