mixiユーザー(id:17119814)

2017年02月18日12:03

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日本軍の航空機開発

さて一式陸攻が駄作機などでは無い、ということはわかった。では日本にとってあの機体
は「名機」だったのか?答えはNOである、と思っている。そもそも海軍が陸上発着機を
開発すること自体がおかしいのだ。陸上発着機は陸軍の守備範囲である

まあ百歩譲って、平時ならそれもまた良いかもしれない。陸軍と海軍で競争し、対抗意識
を燃やすことによって技術革新が進むというプラス面がある。実際のところ日本の航空機
開発は、1935年から日米開戦の1941年にかけて急速に進化した。この間陸軍と海
軍は互いに対抗意識を燃やして航空機開発に取り組んでいた

しかし戦争、それもアメリカとの戦争を開始してしまったら話は違ってくる。国内で競争
している場合ではない。競争相手はアメリカである。戦争なんだから、生産数こそが重要
である。結局日本は海軍と陸軍がそれぞれ似たような機体を造り続けたが、当時航空機産
業の中枢に居た人たちは、同じような機体を何機種も製造せず統一できていたら、少なく
とも史実の3倍の機数は生産できていたはずだ、と語っている

まあバケモノみたいな生産力を持つアメリカが相手であるから、史実の3倍作ったからと
いって勝てるとは到底思えないが、それでも戦局の推移にはかなりの影響が出たことは確
実だと思う。東北・北海道を除いた各地の大都市が丸焼けにされるような事態は避けられ
たかもしれない。迎撃用戦闘機がたくさんあってB−29の損害率が上がれば、さしもの
大国アメリカと言えど議会から待ったがかかる公算大だ

というより史実でも、B−29による都市爆撃の中止令は成立する寸前だったのである。
稀代の傑作機と言われたB−17に比べるとB−29は非常に墜ちやすい機体だった。ま
あこれはB−17が異常だっただけなのだが。片翼折れても墜落しないとかさ、あり得ん
だろ普通。何せB−29は高価でさすがのアメリカでも大量生産はきつかったのである。

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