mixiユーザー(id:23509930)

2016年12月20日20:30

651 view

新潟を懐かしみ、未来に思う

新潟市中心部の過去を懐かしみ、そして未来を思い描く。
そんな展覧会が市内中心部で相次いで開催されています。

ひとつは、「絵と写真でつづる 新潟ノスタルジア」。
にいがた文化の記憶館(新潟日報メディアシップ5階)で、1月29日までの開催。
明治時代から、新潟大火が発生した1955年頃までが対象。
中心部の街並みを収めた写真や、絵画などが多数展示されています。
http://nmmc.jp/exb/2404

もうひとつは、「大和デパート 記憶と希望〜まちへ行こう〜展」。
間もなく再開発で取り壊される旧・大和新潟店2階で、今月25日まで開催されます。
記憶・希望・旅立ちをテーマに、映像・資料や現代アートなどが展示。
過去を懐かしむだけでなく、古町の「これから」を考えていこうというのが狙いだとか。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20161210296132.html
フォト

フォト


本日、両方とも行ってきました。
内容については、皆さんぜひ会場に足を運んで頂きたいということで…。
私からは思ったことを。

昭和時代までの新潟市は、大変魅力ある街だったように感じます。
戦前まででいえば、中心部を縦横に流れる堀と柳の街並みはもちろん、新潟カトリック教会と異人池(西大畑)、そして松林・グミ原から幾重もの砂山を越え遠く続く砂浜。
これらは戦後の「近代都市化」や海岸周辺の環境変化によって姿を消しましたが、その戦後において中心部の古町は、中央からの新しい文化と新潟旧来の文化とが混ざり合い、新潟独自の味付けがされた新たな文化を生み出し、発信し続けました。

しかし1970年代以降、中央資本が万代シテイに次々と進出。
クルマ社会と大型店の規制緩和などもあり、中央資本は郊外や「駅ナカ」「駅前」「駅近」への出店傾向を強め、古町はその流れに抗えず衰退の度を深めていきました。

その後、まちづくり三法の見直しなど「コンパクトシティ」の概念に基づく中心部活性化が試みられているのですが、今のところ古町に限ってみれば思ったほどの効果が得られていないように感じます。

22日から、新潟市は立地適正化計画の素案に対する意見募集(パブリックコメント)が行われる予定です。ただ、緩やかな立地誘導を図る方針のようですから効果がみられたとしても長い目でみなければならないでしょう。
http://www.city.niigata.lg.jp/kurashi/shimin/public/yotei01.html

素案は下記、第4回の資料1から。
http://www.city.niigata.lg.jp/shisei/tokei/jizoku/jizoku_kondankai.html

中央資本による郊外型商業、駅ナカ・駅前・駅近商業が今後も継続される中で、古町も同じ道を選んだとしても効果が上がらないのは目に見えています。消費者の多くは「移動が便利」なほうを選ぶでしょうから(クルマは言うまでもなく、市内の公共交通も現在は鉄道が主流)。なので、古町は差別化を図ることが望ましいのではないかと。

素案でも、古町の課題として「みなとまちの歴史を活かした花街文化の活用」を挙げているようです。新潟独自、古町独自の文化を武器として、古町でしかできないこと、古町でなければ買えないものを、みんなで考え合って売り出していくこともひとつの方法かと思っています。

稚拙で深みのない感想になってしまいました…。
現時点では、この程度までしか考えることができません。

この日の移動については、また後日。
11 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する