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2016年10月01日13:56

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作品を読む  『探偵物語』と『時をかける少女』の二本立て

 実は今まで、『探偵物語』も『時をかける少女』も見たことがなかった。周囲では結構見てたのだけど。

 思い起こせば妹が原田知世のファンだった(時期があった)。原田知世のフォトエッセイの本を買ってきたことがあり、その本は僕も読んだ(けど、原田知世主演の映画は見たことがなかった)。特に原田知世を可愛いとか美人とか思ったことはない。『マクロス』のキャラクターデザインををしていた美樹本晴彦が、設定資料集のなかで原田知世の落書きをしていて、「そんな可愛いかな?」とか疑問に思ったものだった。

 かたや『探偵物語』の方だが。奥さんがこれを劇場に見に行った、という。時は1983年である。この時、同時上映だったのが『時をかける少女』だ。薬師丸ひろ子、原田知世。そして渡辺典子という「角川三人娘」が一世を風靡した。奥さんは『探偵物語』が見たくて、劇場に足を運んだらしい。僕は「角川映画」なるものに、まったく関心がなかったが。

 さて、そんなわけで33年越しに見た二本の角川映画だが。

 『探偵物語』は赤川次郎原作である。赤川次郎といえば80年代、とにかく売れに売れた作家だった。赤川次郎に薬師丸ひろ子の組み合わせは、既に『セーラー服と機関銃』で爆発的なヒットを出した後である。『探偵物語』はさらにそこに松田優作を加え、ヒットを約束された作品でもあった。

 『探偵物語』を見ると、まさにTHE・80年代! という感じがして微笑ましかった。ヒロインは処女で勝ち気で好奇心旺盛のお金持ちのお嬢さんである。もう、これぞまさに80年代のヒロイン! という性格設定だ。まあけどはっきり言って、地味で陰気で感情に乏しい綾波型ヒロインとかより数段マシだ。好感がもてる。

 最初は探偵の松田優作と知り合って、そのままラブロマンスになるのかと思いきや、思わぬ殺人事件にひょんなことから巻き込まれ、最終的にはヒロインが謎解きに奔走する。この辺の方向転換の唐突さが赤川次郎的、かつ80年代的だ。いってみればこれは、「オシャレな80年代ヒロイン」の見本みたいな作品だった。

 映画に出てくる風俗も、いかにも都会的なファッションに満たされていた。ヒロインが暮らすのは丘の上の豪邸で、薬師丸ひろ子はその門をよじ登って出入りする。お嬢さんなんだけどお転婆。この感じが80年代だ。

 そして留学が決まり、大学のサークルに挨拶に行く。『大学生』とか『サークル』とかいうのが、まず80年代のトレンドで、その後『あすなろ白書』だとかのトレンディドラマ(懐かしい用語!)は、そこがよく舞台になったものだ。

 けど、この一見裕福でオシャレに見える大学生たちも、陰では夜の店でアルバイトしてたりする。夜のバーでバニーガールの格好でお酌してたりするわけだけど、実はこの『夜の風俗』も80年代的だったし、またそれを見せるという演出それ自体も80年代において流行した見せ方だ。

 お転婆の女子大生お嬢さんが、年上の冴えないけどちょっと格好いいオジサンと、殺人事件に巻き込まれて謎解きして留学する。ほら、あらすじの用語だけ並べても本当に80年代的で、バブリーで景気がいい感じだ。いや、ぶっちゃけこの頃はよかったな、とか思いながら見た。僕自身は90年代に大学生活を送ったが、この感じはよく判ると思った。

 さて、これに対して『時をかける少女』である。こちらは都会とはうってかわって、古い家並みと坂道だらけの街、尾道が舞台だ。この古めかしく懐かしさを感じさせる日本の原風景的世界のなかで、原田知世をはじめとする登場人物たちもどこか古めかしい。

 原田知世の相手である「深町くん」なぞは、二階からヒロインを呼ぶのに、「ねえ、こっちへお上がりよ」とか声かけて、原田知世も原田知世で「でも……」とか躊躇する。80年代の男子高生がこんな喋り方するはずない。セリフ回しは全体的に戦後映画のテイストで、原田知世も「ううん。だって、わたし〜だもの」みたいな、ちょっと小津安二郎作品の原節子さんのような感じだ。

 今見るともちろん古い『時をかける少女』だが、ウィキを読むと、その製作経緯にビックリする。『探偵物語』が併映ということで観客動員が保証されてるので、好きなことやっていい、ということになった大林宜彦監督は、『竹久夢二の絵のような少女をイメージし、大正浪漫のような映画を作ることにした』らしい。その当時で既に「古さ」を狙っていたのだ。

 それで角川春樹と大林宜彦が、ある意味、この時期だけの原田知世の未完成な美しさを刻印したい、と考えて作ったのがこの作品だ…というような事が書いてある。いや、まったく驚くべき景気の良さだ。今ではとてもこんなワガママは考えられない。古いテイストの映画だが、背景は実に景気がいい。

 しかしその作品のテーマは存分に発揮されていて、この作品の原田知世は本当に美しい。なんとも言えない清廉な少女の輝きが収められていて、とにかくその愛らしさに目を奪われる。正直、この映画は物語とか主題とか、別にどうでも構わない。原田知世の純白な可憐さと、それを包んでいる尾道の舞台さえあれば、後はその『絵』を堪能するばかりだ。ああ、こんな風な映画の撮り方というのもあるのか、とか思った。
 
 その時の時代性をもろに写し取った『探偵物語』。その時代とは無関係に、町と少女の美しさを撮ろうとした『時をかける少女』。今見返して驚くのは、実は『時をかける少女』の方に、ある種の「普遍性」がある、という点だ。

 普遍性、とは時代性(特殊性)を超えたものである。『探偵物語』は充分に面白いし楽しめる映画だが、「これが80年代だな」という時代性からは絶対に逃れられない。『探偵物語』が当時、最も時代を映し、先取りし、その流行の象徴であったがために、その時代性は作品全体に深く刻印されている。

 それに対し『時をかける少女』は、なんだか80年代なのか90年代か、あるいは戦後直後、いや、戦中とか戦前でもおかしくないような妙な雰囲気をもっている。そして『探偵物語』の薬師丸ひろ子が、ショートボブの髪型にロングスカート、という80年代に流行ったファッションでいるのに対し、原田知世はほぼ始終セーラー服か、いつの時代でもおかしくないような地味な服装でいるがために、それは「いつの時代にもあり得る少女」の姿を象徴的に誕生させている。

 自分でも驚いたが、『時をかける少女』を見た後、その数日間は、なんだか原田知世の印象が頭から離れなかった。これを見たのが僕の青年期だったら、本当にイチコロにやられてしまって、すっかり原田知世のファンになっていたかもしれない。

 けど、今の僕はこの感じが、実は原田知世に対する思慕(ファン心理)ではないことも知っている。これは『けいおん!』を見た時なんかも感じたものだが、この感情は「自分の青春時代を懐かしむ」感情だ。

 自分の青春時代というのは、自分だけの記憶だけではなく、その周辺とか好きだった女の子とかの全部を含んだ一切のものだ。『時をかける少女』の原田知世は、その意味で「自分の記憶の中にある好きだった女の子の幻影」を写し取っている。記憶の中の少女たちは、いつも淡い光のなかにいて美しく艶めいている。

 その「記憶の中にいる少女」として、原田知世はまさに『時をこえる(=かける)少女』なのだ。ただし、この少女は現実の原田知世ではない。それはあくまでスクリーンのなかにのみ存在するのである。
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