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2016年08月16日09:06

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8月15日

 10年前の終戦記念日に書いた日記を再掲します。
高円寺の屋外に椅子を出してるヤキトン屋さんで会った当時70歳くらいと見える男性が、話しかけてきたのでした。日本の敗戦が明白になった頃の話。
 ヤキトン屋さんにはまだレバ刺しが置いてあった。

 
 「そいつはエンジンを切っているんですよ」

 お母さんは赤ちゃんをおんぶして多摩川の土手かどこかをフンフンと子守唄なんか歌いながら歩いていた。楽しかったろうと思う。
たぶん、お母さんが横目で見ればずーっと遠くに銀色のアメリカ戦闘機を見たに違いない。その時はプロペラ音も、かすかにしていたはずだ。

 その頃は敗戦まじかで、アメリカの空母が本土近くにいて、その艦載機が我が物顔で東京の空を飛び回っていた。日本の飛行機はもう残っておらず、特攻に回されていたころだろう。

 お母さんがのんびりと多摩川の土手を歩いていた時、音もたてずにその後方の空に飛行機がいきなりのように現れた。お母さんは何にもわからなかった。パイロットがエンジンを切って、無音で素早く後ろに忍び寄っていたんだから、気づくわけがない。
 子供をおんぶした若いお母さんは、次の瞬間、機銃で撃たれていたのだそうだ。
ただ、なにかのカンの働きか、お母さんは体を瞬間的にひねったようだ。
命は助かった、子供も無事だった。でも、お母さんは胸を撃たれて倒れた。背中の子供を守ろうと、アメリカ機のほうに体を向けたはずだ。怖かっただろう。

 戦闘機の機銃弾なんて、ダーテイハリーの44マグナムなんて目じゃない。体の真中にあたれば、人間は真っ二つだ。 人を人と思っていない。狩猟の場合だって、母子連れは見逃したりするだろう。
 幸いそうはならなかったが、お母さんは乳房を2つとも失った。
お母さんは、戦争が終わった後も、どんなに暑くとも着物姿で通したそうだ。
ぼくはあえて、そのおじさんに、アメリカがあの戦争でも、イラクでも“一般人は殺していない”と言い続けていると話した。
その時のオジサンの顔は、どう書けばいいかわからない。

なんでぼくに話したんだろうと思うが、きっと誰かにわかってもらいたかったんだろうと思うのです。
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