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2016年07月23日21:13

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六八九の八

中村八大というひとはどういった人物なのか、という
問いかけがあったのでちょうどいい。一筆記しておこう。
八大さんは戦後の進駐軍駐留時期、早稲田の学生ジャズバンドを
皮切りに、後に渡辺プロ創設者の渡辺晋が結成していた
バンド、シックスジョーンズでピアノを弾いていた。

プレイヤーとしての腕も一流であったが、テレビ黎明期頃
から作曲家に転じるようになる。
ピアノを用い歌メロを作曲する作家は往々にして、歌い手や
聴衆のことを考えない。なぜなら鍵盤は数が単純に多いので、
音域を無視したメロディ展開にみずから酔いしれ、歌手の
ことを考えない。同様にブレスを無視する傾向にある。
指先の赴くままに動き、歌うという息継ぎをこれも考えない
らしい。典型的な例がTRFというグループをやっていた
小室哲也である。
血管が切れそうなくらい高い音域でメロディを構成。
そのうえ息継ぎはどこでするのという切れ目のない歌詞。
誰でも唄えないし、ヒットはしたものの後世に残る曲が
あるだろうかとおもうと淋しい。

中村八大はピアノ弾きでありながら歌心を持った作曲家
であった。
だれもが歌いやすいように音域はオクターブ前後におさめる。
詞先の歌詞の言葉を無理につながない。言葉言葉の切れめに
きちんとブレスを入れる。
歌は歌い手から聴衆のものに。常にこういう意識が背景に
あるようにおもわれた。
そしてなにより和でありながらポップの元祖でもあった。
「上を向いて歩こう」は、この法則すべてのうえに
成り立っている。だからこそ歌詞が英語でなくとも世界で
ヒットしたゆえんである。

4P.M.がこの曲をカバーし全米大ヒット曲になったのは
ハーモニーの重ね易さ、リズムとブレスの合わせやすさが
あったと言っても過言ではあるまい。
この「上を向いて歩こう」のリズムこそが中村八大の
真骨頂である。中村はスイングジャズのひとでもあった。
ヒット曲には多くこの傾向がみられる。
「明日があるさ」「こんにちわ赤ちゃん」「おさななじみ」
「黄昏のビギン」などなどである。

Jポップの或る基礎部分、中村八大の功績はもっと
評価されてもよいとおもう。。。。。


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