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2016年07月08日14:52

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お題44『相対性理論』 タイトル『愛ン・シュタインへの扉』

「……もうパパのことなんて、だいっきらいっ」
「ああ、そんなこといわないで、ママ」
 俺は二人の喧嘩を見て、憂鬱になる。
 また始まってしまったのだ、と人事ながらテーブルで食事を待つ。
「どうして今日、出張に行くの? 昨日はそんなこと、いってなかったじゃない。いつもより会う時間が約九時間五十二分も減るのよ。パパとの距離が二百五十八kmも離れるなんて……嫌」
「そんなこといわないで、ママ」パパはママをゆっくりとした口調で宥める。「携帯電話で定期的に連絡を入れるよ」
「定期的ってどれくらいの間隔?」
「三十分毎にメールを送るよ」
「嫌、それなら私も行く」
「それは駄目だよ」パパは俺を見ていう。「今日の会議はきっちり二時間だと決まっているんだ。ボクの近くに来ても連絡を取る手段はないし、聡のための美味しいご飯は君にしか作れない。わがままをいわないで、ボクだってママと離れるのは寂しい」
「わかったわ……じゃあ離れていても愛が保つ公式を教えて」
 その言葉を聞いて再び溜息が漏れる。たかが日帰り出張で、愛を求めるネガティブな母親にうんざりする。今日はどんな議論が始まるのだろうか。
「パパが私から離れるということは、私とパパの間で流れる時間が変わってしまうでしょう。そうすると最悪、パパは私との愛を忘れてしまうかもしれないわ。愛のエネルギーがちゃんと保たれる方法を教えてくれないと、家から出さないから」
「……わかったよ、ママ」
 パパはきちんと締めていたネクタイを緩め席についた。
「聡が朝食を待っている。まずはきちんと愛の篭もった食事を食べてからにしよう」

 ママが作った豪華すぎる朝食を食べながら二人の行方を見守る。欠伸を噛み殺しながらだ。
「まず、前にも話した愛の定義だけど、アインシュタインの『特殊』相対性理論の過程が成り立つとすれば、エネルギーは質量と速度によって成り立っている。愛はもちろん物質ではないし、光の性質を帯びているといったよね」
「うん、それはパパの仮説だとも聞いたわ」ママは小さく頷く。「仮に愛のエネルギーが1だとすると、速度は一定に保たれるから、質量によってだけ変わることも覚えているわ」
「うん、それで間違いない」
 パパは嬉しそうに笑った。二人とも地頭はよくパパは東大出身の科学者、ママは京大出身の化学者だから、会話のねじれは基本おこらない。
 ただママの愛が『特殊』で重いだけだ。
「でも……私の愛は『一般』相対性理論に基づいているの。だってこの世界は重力に支配されているじゃない……」ママは悲しそうな顔でひっそりと呟いた。「愛は自分自身の重力に依存していると過程してあるから、パパとの距離が百km離れる毎に、掛かるエネルギーが落ちてしまうの。地球が月を引き寄せてバランスをとっているように、二人の距離が離れれば引力と斥力の比率が変わってしまうわ。最悪、別のものと結合して化学変化を起こしたら、パパへの愛がなくなってしまうわ」
「それは確かに大変な事案だ」パパは眉間に皺を寄せて真剣に考える。「ママの愛がなくなればボクは生きている意味を失ってしまうからね。仕事をしている所ではなくなってしまうよ」
 ……ああ、やっぱりこうなるのか。
 俺は半熟の黄身を丸呑みにして思った。彼らは真剣に愛を語り合う。それはいいことなのだろうけど、全て理論で片付けなければ気がすまないのだ。
 本当にばかばかしいのだけど、いつものことで怒る気にもならない。
「でも愛というものは無尽蔵のエネルギーだとも考えられるよ。仮に出張から帰ってきて、ママのエネルギーが枯渇しているとしても、ボクの愛で満たしたらいいんじゃないかな?」
「どうしてパパの愛が消えていないことで前提なの? パパの愛だって離れる毎に落ちていくのよ」
「消えることはないさ、ボクたちが生きている間に地球が滅べば、別だけども。じゃあボクは生きている限り、ママを愛していることを証明しよう」
 そういってパパはホワイトボードを取り出し、朝食、お弁当と書き始めた。
「ボクの活動するエネルギーは、ママの作った食事だけじゃなく、ママが作ったという過程にあるんだ。ママがボクのことを思って作ってくれたものには全て愛が含まれているんだよ。もちろん今日の昼の弁当にもね」
 そういってパパはママが作った弁当を見せる。
「だからボクは昼の時点ではママのエネルギーを所有していることは証明できるね」
「そうね。パパがお弁当を残さず食べたと過程すると、パパのお腹が空くまでには愛が残っていることは証明されたわ」
 よかった、とママは心の底から安心したように微笑む。
 食事に対する愛の分量は気にならないのかと突っ込みたくなるけど、それを突っ込んだら終わりだ。
 ママは化学を専攻しているため、一つ一つの材料に対して愛の含有量を検査するだろう。最悪、俺たちの朝食は早くても夜食になってしまう。
「じゃあ今から大切なことは昼から帰宅する二十時までの間にママへの愛がなくならないための証明だ」パパはそういって携帯電話を取り出した。「ボクは昼の一四時から二十時まで、三十分毎、計一二回、君への愛をメールで呟く。もちろん呟いたからといってなくならない、これはさっき説明した通り、愛は無尽蔵のエネルギーだから、質量があれば減ることはないよね。電子メールの間では重力は0と規定できるから、『特殊』相対性理論は成り立つ」
「うん……それは……もちろん……わかってるけど」ママは再び何か思いついたのか表情が暗くなる。「届くものに愛があることは証明できるわ。でもその間、そのメール自体に愛がきちんと詰まっていることは証明できないわ」
 ……え?
 俺は心の中で突っ込む。届いたものに愛があれば愛を証明したことになるだろう。もしやその愛が別のものに変化することを恐れているのか?
「ママのいいたいことはわかる、シュレディンガーの愛だね」パパは真面目な顔で告げる。「蓋をしたものの中に愛を入れたからといって、その愛が生きているか死んでいるかはわからない。蓋を開けるまで、メールが届くまで、愛がきちんと詰まっているかは、確かにわからないね」
 ……あ、あんたまで何をいってるんだよ?
 パパの顔を見て呆気にとられる。母親を異常だとは思っていたが、彼も立派なマッドサイエンティストだ。
 ……こ、恋人ができたことがばれたら地獄だ。
 俺は頭を抱え最悪の未来を想像する。仮に二人に見つかった場合、愛の証明をしなければならないのは必須だろう。こんな境遇で自由恋愛などできるはずがないと愕然とする。
「……そうなの。パパはその点についてはどう対処するの?」ママは不安そうな顔でパパを縋るように見る。
 ……どれだけ不安なんだよ。
 母親を見て残念な気分になる。どう見ても、いちゃもんをつけているようにしか見えない。恋人がこんなことを言い出したら、俺はその場で別れることを選択するだろう。
「……そうだね。非常に難しい問題だ。だけど、解決できる方法が一つだけある……」パパは頭を悩ませながらいう。
「それは……」
「愛だよ、ママ」
 ……は?
 俺は口を開けたまま彼を呆然と見る。愛があることを証明しようとしているのに、愛で解決するとはどういう意味だろうか。
「ボク達、人類はこの世に生まれ、真理とは何かということを常に考えてきていた。その原点は古代オリエント諸国に遡り、全ての基礎となったのは古代ギリシア自然哲学だ」
 ……な、何言い出してんの?
 俺の心の突っ込みを他所に、パパは唇を舐めて続ける。
「農耕の始まりを知るための天文学、治水灌漑のための地学・力学、器具製作のための金属鉱物学、測量のための幾何学・数学、家畜のための生理学・医学、それら全てを吸収し、理論として体系化を始めたのは古代ギリシア自然哲学だよね?」
「うん……パパのいうことは最もだわ」ママはゆっくりと頷く。
「万物の根源をタレスは水といい、ピタゴラスが数理、ヘラクレイトスが火、デモクリトスは原子といい、日々変化していったわ。その行き着いた先が、アリストテレスの天動説に繋がり千年以上、支持されたことも間違ってない」
「そうなんだ」パパはママの発言に大きく頷く。「その後、十六世紀まで戦争により真理の追究は停滞した。再び盛んになったのはヒッパルコスが現在の地図を作成してからだ。プトレマイオスが天文学の指標を作り、コペルニクスが地動説を唱え、ガリレオガリレイがそれを証明した。だからニュートンが万有引力を発見して、天体の整列を証明することに成功し、光は一本ではなく混合物だと証明できた。おかげで電磁気学、水素の発見によって空を飛ぶ気球までこの時に生まれた。この時に、歴史は大きく動いたんだ」
 ……え、愛の証明にそこまで遡るの?
 俺の手の届かない所で彼らは真剣に議論について語り合う。もはや親子の愛が入り込む隙はない。
「そうね、だからこそアインシュタインは光に着目できたわ。ガリレオとニュートンのおかげで」ママは嬉しそうにいう。「光は粒であり波であり、速度の影響を受けない。質量がなく最速だと証明したわ。だから、時間は絶対的なものではなく、相対性理論が生まれ、時間の絶対的な概念を壊した」
「そうなんだよ、ママ」パパは真剣な顔で答えた。「この空間はまっすぐなようで実は歪んでいる。だからこそ人類は把握していると思っても把握できていないことがたくさんある。だがそこに神秘があり、不可能を可能にする力がある。それは全て、古代人から続いてきた愛の奇跡に他ならない」
「愛の奇跡?」
「ああ、愛を全て、証明することはできない。でも、愛があることは信じられる」パパは拳を作り力説する。「空を飛べる、宇宙に行く、全ては想像から始まったんだ。メールの中に愛がある、そう信じればそれは必ず証明できるようになるよ。そこには『特殊』も『一般』もないと断言できる」
「じゃあ、パパ。愛を信じるために、今すぐ証明できる愛をちょうだい」
「うん、もちろん」
 パパはそういって惜しげもなくママを抱きしめ唇を重ねる。
 ……なんだよ、結局こうなるのかよ。
 俺は再び溜息をつく。ママはパパのキスに一生勝てない。そこには理論も証明も必要なく、ただ物理的な接触だけで彼女の心が満たされるからだ。だからこそパパは余裕を持ってママと対話できる。
 最終的に彼女は、心のフラスコに詰め込んだ恋の化学変化よりも、彼の提示する愛の相対性方程式には勝てないのだ。
 ……ああ、馬鹿らしい。早く学校に行こう。
 扉を開けると、三日前から付き合い始めた彼女が待っていた。
「おはよう、遅かったから、来ちゃった」
 後ろを振り返ると、抱き合っている両親がにやにやしながら俺を見ていた。
 ……やっぱり、こうなるのか。
 俺は肩を落とし鞄で顔を隠した。どうやら俺にもアイン・シュタインへの扉が開かれたらしい。
 自宅の扉を閉めながら、俺は彼女の手を握る。
 俺の相対性理論は『一般』であって欲しいと願いながら――。
 






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