息が切れないよう胸を張り、息を整える。
喉は渇き、体は芯から冷えていくが、立ち止まるわけにはいかない。
雪を纏った海風を浴びながら、それでも前を目指し残り2kmまで来た。ここまできたら歩くことはできないし、途中危険など絶対にできない。
……まるで茨の道を走っているようだ。
両足が太ももから千切れそうなほど腫れ上がり震えている。三十km地点を過ぎてから急速に体全体が強張るのを感じ、三十五km地点を超えると、脳が至る所で痛みを知らせ神経が暴れ回る。それでも友人達の前で弱気な所は見せられないと気を入れ直す。
残り二kmを切っても開放感は味わえず、早くゴールに辿り着きたいという欲求が迫る。百を目指そうとしていた自分が哀れで、そんな大それた夢を見ること自体馬鹿げていた。それでも目の前に見たい景色があるから、足を動かし続けることはできる。
……何のために走ることを選んだのか、今やっとわかった。
三十五km地点での出来事を思い出し気を入れ直す。それはたった一秒で越えられる永遠であり、僕の全てだ。
今できることは、ただ生きていることを足で証明して地面を蹴り続けることしかない。
ゴールはもうすぐそこまでだ。
初めてのマラソン大会に出たのは去年のことだった。二月の真冬の海風を受けながら、小倉から八幡、門司を往復するコースだ。僕は一日で走れる距離なら、何とかなるだろうとたかを括っていた。半分の二十kmなら軽くこなせていたからだ。
だが、これが大きな間違いだった。
一万を超えるランナーの中から十月に見事抽選を受け取り、仕事の後、練習に打ち込んだ。走ることに元々興味はなかったが、泳ぐのが得意な僕は最初の三kmを楽々走り終え、五km、十km、二十kmと日に日に距離を伸ばしていった。
走り終える度に高揚感は増し、筋力も次第についていった。いくらでも走れるのではないかとこの時は舐めていた。
だが十一月、十二月と季節が冬に近づくにつれ、体はどんどん強張っていった。仕事柄、気温が寒くなるほど忙しくなり練習量は減り、それと共に僕の筋力は萎んでいき、十km走るのがやっとになっていった。
焦りが焦りを呼び、本番一ヶ月前には足を故障しそうなほど走り込んでいた。不安が不安を呼び、寝ることも怖くなっていたのだ。その練習量で走りきれるのかと、自分の心が囁いていく。ストレス発散のプールに行くこともできず苛立つばかりだった。
……なぜこんなことを望んだのだろう。
紙コップの熱い珈琲を飲みながら、信号待ちの配達車の中で考える。知らない世界を知りたい、初体験をしたい。ただそれだけのためだ。誰かにいわれたわけでもなく、規定の一万円を支払って走る許可を貰った。だから、走る。それだけだった。
誰かがいう、この世に意味のないものはない、と。
それは本当だろうし、真理だろう。
だが本当に意味があるものがあるかといわれれば、わからない。本当に必要なものほど、目には見えないし、形はないというからだ。
僕はその答えを自分自身で知りたくて思わず申し込んだのかもしれない。
この世界には自分を満たすものがある、と理由もなく希望を持っていたのだろう――。
マラソン大会の当日。
プールで知り合った友人が応援に来てくれるといい、僕は空元気のメールを送った。走る前から膝が痛く、冷えた風が当たるだけで身が竦む。天候も芳しくなく、昼からは大雪警報まで出ている始末だ。
だがこの状態で走りきれるのかという不安よりも、友人のがっかりした顔を見る方が怖かった。彼らにはいい所しか見せていなかったからだ。
自分なら、人の応援などしないだろうと思う。仮に仲良くても自分が参加できないのであれば無意味だと思っていた。だけど彼らは会場で僕の顔を見つけると、何の理由もなく笑顔で大きく手を振ってくれた。
……この世に意味のないものなんてない。
僕ははっきりとそう思ったし、今でも胸を張っていえる。
他人にとっては些細なことでも勇気づけられることはたくさんあるのだ。彼らのことをよくは知らなかったけど、本当の友人だと思えるようになったのはこの瞬間だった。
最初の十kmは苦痛で、三kmの時点で諦めたかった。一万もの人が集まれば自分のペースで走れるわけがなく、僕は耳宛から流れるお気に入りの音楽で自分を奮い立たせていた。
十km地点を超え、適度にある給水ポイントで喉を潤すと、急激に痛みが引いていくのがわかった。足が痛みに慣れて麻痺していくのだ。そのまま神経の声を無視して、僕はリズミカルに鳴る太ももの筋肉繊維を潰しながら全力で駆け抜けた。
走れる時に走り、痛みがくればペースを抑える。その繰り返しで何とか半分の二十km地点まで予定のペースより早く走れた。
いつも車で通る道を自分の体で走るのは意外に快感だった。きちんとお金を払ったことで何の気兼ねなく走ることができるし、何より信号に左右されず走れるのは自分の通る道を肯定されているようで力が沸いた。
だが二十km地点を超えた辺りで、風景が大きく変わった。海岸沿いで冷たい海風が大きく行く手を阻むように吹き荒れていた。練習でもこれ以上の距離は未知の領域で心がゆっくりと萎んでいくのを感じる。
周りを見ると、皆、余裕がありそうな顔をしながらも足が震えていた。先を走っているのは完走が目標ではなくタイムだ。僕の横を三時間半のペースランナーが過ぎて、四時間のペースランナーが過ぎた頃には、再び膝が猛烈に疼き始めた。
二十から四十km地点は百九十九号線の一本道で、十km毎の往復地点だった。直線でルートを間違えることはなかったが、風の影響もあり前を走る人が倒れていくのが見えた。
心を落ち着かせるために給水しても、体は痛みを伴い神経が暴れ狂う。突如、不安の風が僕を襲った。ここで倒れたらどうしよう、友人がいる前でリタイヤしてる姿を見られたらどうしよう、職場の皆への言い訳はどうしよう、完走したことにするべきなのか、休みを変えて貰った先輩になんといえばいいのか……。
不安が不安を呼び、次第に心が落ちていく。なぜこんなことを始めたのかという後悔と、後ろからペースを上げてくるランナーのプレッシャーに圧迫される。
……これだけ天候が悪いんだ、言い訳なんかいくらでもできる。
僕はそう思い、できる所までやろうと決めた。このチャンスはもうないかもしれない。仕事の都合上、指定した休みをとることは不可能だし、抽選に受かっただけでもよしとすればいい。
ハードルを下げ気を落ち着かせていると、二十五km地点でプールで知り合った友人達に出会った。
僕はなぜか思いっきり走り出していた。理由はわからない。きっと彼らなら僕の遅いペースを見てもわかってくれていただろう。初参加、練習のし過ぎ、天候不順……、様々な条件を加味して、性格のいい彼らなら僕のプライドを保ってくれるだろう。
それをわかっていながらもなぜ全力で走ったのか。
それは彼らの前で僕の像(イメージ)を壊したくなかったからだろう、と後から考える。プールで褒められて、調子に乗った自分でいたかったのだ。何でもできるわけがないのに、失望させたくなかった。それが僕のエネルギーに繋がった。
僕は彼らの前で思い切って走り抜き、大丈夫なことをアピールした後、膝の激痛に鼻水を垂らしながら咳き込んだ。もはや鼻水を啜る元気すらなかった。
三十km地点の折り返しで両足に限界が来ていた。もはや歩いているのか走っているのかもわからないに等しいペースだ。
だが何かが僕を突き出し、前に進ませた。その正体ははっきりとはわからないが、彼らにあると思った。きっと彼らはまた折り返しの35km地点で、寒空の中、再び僕を待ってくれているだろう。それだけで心が急速に潤い、足を前へ前へと押し進める。
……彼らに早く会いたい。
もはや体の吸水など考えておらず、頭を支配していたのは彼らに会った時、どこから全力で走ろうかということだけだった。
自分がピエロだなと思うだけで、再びエネルギーが沸き起こる。いいイメージを持ち続けると、体まで馬鹿になって溜息をつきながら付き合ってくれるのだ。
……最後まで持たなくてもいい、ともかく彼らの前では弱い姿を見せたくない。
知っている人に出会えるというだけで、どうしてこんなにも強くなれるのだろう。これまで深い付き合いがあったわけではないのに、ただ知っている、それだけで大きなエネルギーになるのはなぜだろう。
僕は海風を遮るために顔を伏せながらも、目だけは彼らを探していた。いつものペースより遅く、彼らは不安に思っているだろう、どこかで体を壊しているのではないか、リタイヤしたのではないか、何かあったのではないかと。
気がつけば、僕はがむしゃらに走っていた。歩くことはできないと思った。目の前を通る小倉牛の炭火焼きも目に入らず、数少ない給水ポイントにも目もくれずひたすらに走った。
彼らは先ほどと同じポイントで待ってくれていた。彼らの不安そうな表情を見て、僕は自分にニーキックを噛ますほど膝を上げて、コサックダンスのようにおどけて通り過ぎた。
彼らは笑いながら大きく手を振ってくれた。再び、僕の体の中に熱いものが流れ始める。
……これだ。僕が欲しかったのは、これなんだ。
四十km地点を過ぎて、やっと理解した。自分がなぜマラソンを走ろうかと思ったのか一つの答えが出たのだ。
それはただの格好つけだった。自分ならできる、ただそのプライドのためだけに膝が壊れているにも関わらず、走り抜くことを決意した。
完走したら何かがある、と人はいう。マラソンは小説と同じで、やり終えるまではわからない。それは間違いない、一つの物事を終えると、次の目標ができるからだ。だけど、僕が欲しかったのはそういうものじゃない。
僕が欲しかったのは希望だった。先に見える楽しいことを想像して、そこに行くまでの過程を楽しむことが全てだった。それをやり終えると、再びまた何かの芽が生まれる。この世に希望の芽が消えることはない。
ただ自分自身、その芽に気づかないことがあるだけだ。探す努力をしなければ小さな芽はそのまま消えてなくなり種として一生を終えることになる。そうならないようにするためには、種がありそうな場所に全力で水を送り続けなければならない。
気がつくと四十二km地点を過ぎていた。残り二百mを切っていた。きっとここでゴールしても僕には何も生まれないだろう。
だけどこうやって走り続けることに意味があると確信する。自分が生きているということをアピールすることで再び新しい物語が生まれるのだ。
止まる暇などない。今できることを、ともかくやり続ける。
これこそが僕の望んだことだ。
だからこそ、ここで物語は終わらない。
永遠に希望の一秒の種を探し求めながら、これからも僕は地面を蹴り続けて、腕と水をふり続けていく。
タイトル→
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