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2016年07月02日20:23

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『瞬花終灯(しゅんかしゅうとう)』 椿視点 法隆寺編

 ……久しぶりだな、この電車も。
 椿は電車に揺られながら桃子と一緒に奈良へ向かっていた。そちらの方が利便がいいからだ。
 途中大阪で乗り換えて一時間半程電車に揺らされていると、桃子は一人旅が寂しかったのかいつも以上に口数が多かった。
 法隆寺の最寄の駅に着いた頃には太陽が高く上がっており日差しが強くなっていた。桃子を先導しバスに乗って法隆寺へ向かう。ここからだと10分くらいだ。あの頃から5年以上経つが全く何も変わらない。懐かしい気持ちと共に秋桜美への思いが膨らんでいく。
 バスから降りて松の間を日陰にしながら寺の方へと向かった。この道は何度も歩いている、秋桜美とよく通った道だ。
 彼女以外とは通れない道だと思っていた。彼女以上に恋焦がれた相手でないとここには来れないと思っていた。だがこうやって歩いていくと辛い思い出よりも楽しい思い出の方が勝っている。
 一歩踏み出す度、彼女の機嫌が上昇していたこと。普段は腕を組まないくせにこの通りに入ると、人が変わったように大人しくなり彼女の方から腕を絡ませてきたこと。懐かしい思い出が歩くたびに蘇ってくる。
 変わって桃子は大股で法隆寺の中門に向かっていた。何としてでも父親の居場所を突き止めたいようだ。しかし母親を失った悲愴感は未だ消えていない、彼女の得意げな笑顔は最近見てないからだ。
 慌てて桃子のスピードに合わせ松の通り道を過ぎると中門が見えてきた。門を抜けると遠くに五重塔が見える。門からの道は石造りで趣を感じさせとっても懐かしかった。この通りで彼女とお互いに手を繋ぎ過去の人が作り上げてきたものに畏怖の念を感じていたものだ。
 奥に進み仁王像を通り抜けると受付が目に入った。辺りを見回すと想定していた人物が箒で掃除をしていた。
 ……よかった、いてくれた。
 椿は胸を撫で下ろし目当ての人物に声を掛けた。
「お久しぶりです、枯草さん。僕のこと覚えてますか?」
「おお、もちろん覚えてますよ」職員は声を上げて笑った。「あれだけ語り合った仲です。忘れようがありません」
「桃子ちゃん、こっちに来て」椿は桃子を隣に寄せた。「この人は枯草葛一(かついち)さんといってここの職員の方だよ。昔お世話になったんだ」
 桃子は丁寧にお辞儀をしている。
「はじめまして、春花さんの所で働かせてもらっている秋風桃子といいます」
「はじめまして枯草葛一といいます」お互いに挨拶を交わした所で椿は早速写真を葛一に見せた。
「実はですね、この写真を見て欲しいのですが」
 葛一は眉を寄せながら応える。
「これは奈良の建物ですな、法隆寺と同じくらい古いものでしょう」
「やはりそうでしたか。よかった。ここに生えている花は石楠花だと思うんですが」
 葛一はじっと睨むように写真を覗き込んだ。そして確信を持って頷いた。
「そうですね。これが石楠花だとするとこの塔は室生寺だと思います」
「ええっ、ほんとですか?」桃子が驚嘆の声を上げた。「この写真だけでわかるんですか」
「ええ五重塔には特徴があるんです。この建物の屋根の所を見て下さい」葛一は写真を見ながら説明を始めた。「これを支えている尾垂木(おたるぎ)というのがあります。これを斗という木でできた組み物で留めてるのが写真からわかりますよね。これを用いてるのが奈良時代後期の古い建物なんです」
「へぇー、知らなかったです。時代によって建物の作り方が違うんだ」桃子は全く違う所を見て頷いている。きっと本当は理解できていないのだろう。しかしそんなことをつっこんでいる時間はない。
「次にですね、一番下の初層と一番上の層はを見て下さい。これの比率を逓減率というのですが、建物によって全然違うんです。奈良の法隆寺なら0,5となっておりどっしりした感じになるんです」
 目の前にある法隆寺はピラミッド型となっており安定性が抜群だ。対して写真の五重塔は緩やかに作られている。
「この写真の塔の逓減率は見た所、0,6くらいですから細い塔だと推測できます。そして石楠花に囲まれている所を合わせると、奈良の室生寺だということになるんです」
 桃子はぶんぶんと頭を上下させながら葛一にお礼の言葉を述べた。
「ありがとうございます。初めから店長に聞いておけばよかったですよ。でもなんで店長はこんな凄い人と知り合いなんですか」
 椿が返答に困っていると葛一が返答した。
「春花さんは寺に詳しい人と知り合いだったんですよ」
「そうだったんですね。もしかしてその人のお墓参りですか?」
「うん、実はそうなんだ」椿は小声でいった。
「それで店長も五重塔に詳しかったんですね。納得しました」
 葛一が桃子に写真を返しながら尋ねた。
「この写真はどこで手に入れたんですか?」
「父が仕事で関わった可能性があるんです」
 桃子は葛一にこれまでの経由を話した。すると葛一は顔をゆがめながら口を開いた。
「20年くらい前、室生寺の五重塔は台風で建物付近の木が倒れほぼ全壊したんです。きっとその時の修理が終わって撮った写真なんでしょう」
「店長、本当にありがとうございました。今から行ってみます」桃子はすでに体が出口の方に向かっていた。
「今から向かうと日が暮れるから、明日にしたほうがいいんじゃないかな? せっかく目の前に法隆寺の五重塔もあるんだし」椿は葛一に目配せをした。
「そうですな、今からではバスもそんなにないですし、今日は法隆寺を見られてもいいんじゃないでしょうか。法隆寺のことならいくらでも話せますよ。法隆寺というものはですね、今から1400年前……」
「いえ、すいませんが早く行きたいんです。それに店長、明日は仕事じゃないですか」
 桃子の真剣な目が椿の心を動かそうとしてくる。しょうがない。いつも頑張ってくれているご褒美だ。一日くらい大目にみよう。
「明日は休んでいいよ。そうそう桃子ちゃん、携帯忘れてたでしょ。はい、これ」
 桃子は携帯を受け取った後怪訝な顔をした。
「そういえば何で私が携帯忘れたの知ってるんです?」
「冬月さんから聞いたんだよ」
「私がいない間にリリーさんと会ったんですか?」
「そんなこと聞いてると間に合わなくなっちゃうよ」
「あっ、そうでした。それじゃ失礼します。枯草さん、本当にありがとうございました」
 全力で駆ける桃子を見て椿は肩の力を抜いた。
店にいる時なるべく両親の話題を出さないように振舞っていたが、あの表情を見ればそんな気遣いは不要になりそうだ。
 きっと綾梅の死を受け入れることができているのだろう。立ち直っている感じはないが父親の行方を探すことができているのだ。
 リリーと一緒にいれば桃子は大丈夫だ。きっと昔のように明るい性格に戻れるに違いない。
「……若いですな」葛一はしみじみと桃子の方を眺めながらいった。
「ええ、ほんとに」
「春花さんはいつ来られたんです?」
「昨日です。秋桜美のお墓参りに行ってきたんです」
 葛一の表情が陰る。「確か去年のことでしたね」
「そうなんです。時が経つのは本当に早いですよ」
 今でもここに来た時のことを鮮明に覚えている。秋桜美と初めて巡った寺だからだ。彼女は家がお寺のせいもあり特に五重塔に興味を持っていた。法隆寺の五重塔に釘付けになっていると、受付をしていた職員に話しかけられた。その時の職員が葛一だった。
 意気投合した二人はその後、何時間も塔について語り合った。椿は話を合わせるだけで退屈だったが彼女の笑顔が見れることには大きな価値があった。それ以来大学の休みが来れば様々な五重塔巡りをしたものだ。
 あの頃が本当に懐かしい――。
「せっかくですのでお寺を拝見させてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん。そういえばご存知ですか?この木に入っている傷は……」
「あ、団体さんが来たみたいですよ。お仕事の邪魔になるので失礼しますね」
 葛一の邪魔をしないように、椿は法隆寺の五重塔を拝見することにした。

 安定した立ち姿で雄大な景観を作り出している法隆寺の五重塔は雄大な山のようだった。瓦は綺麗に整えられ深みのある青が歴史を物語っている。
 建てられた当時、現代のような道具はない。もちろん工作する機械などはなく全て人間の手で作られたのだ。現代の建物と比較すると確かに装飾もなく寂しい感じもする。
 しかしこの塔は圧倒的な自然美を見せてくれる。建築当初からすべて檜で出来ており、今でも65%の木が1400年間かけて残っているのだ。
 それは現代の宮大工達が木の心を読んで修復しているからだ。使えるものはそのままに残し腐った部分だけを切り落とす。現代の建物のように全てを入れ換えることはせず新しい木を継ぎ足している。木の心を読み職人同士の時を越えた会話があるからこそ、この法隆寺は成り立っている。
 椿は柱に触ってみた。肌触りのいい感触がする、擦ったら檜の匂いがしそうだ。柱に触れていると秋桜美が木を見ながらいっていた言葉を思い出した。

「たくさんの木が使われているんやけど、みんな一本一本違うな。あの木なんかはひょろっとしてるけどまっすぐで綺麗やな。あっちはカーブしてるけどゴツゴツしてて何だか逞しいわぁ。きっと作った人達は木の性格を読んでいたんやね」

 宮大工達は木の育った環境に合わせてそれぞれの材木を適した所、『適材適所(てきざいてきしょ)』に組み合わせて塔を建てている。
 明るい所で育った木はまっすぐ育つため加工しやすく細かい部分を作りやすい。しかし目が粗いため強度は弱く折れやすいのだ。逆に暗い所で育った木はまっすぐに育たず加工しにくいが風を受けながらもゆっくり踏ん張って育ったため目が細かく強度は抜群である。
 様々な形を為している檜の心を読もうと思いながら眺めてみる。すると昔の職人が苦労しながら組み立てている姿が目に浮かんできた。木を削っている者、組み立てている者、設計を建てている者、木を運んでいる者。たくさんの人間がいて一つの塔を建てるのだ。
 それは日本人という血で繋がった思いが巡り巡って今の現代に残っているのだ。この偶然に驚愕する他ない。

「ねえ、ここ見てみ? この軒のカーブを作るためにどれくらいの時間を費やしたんやろうな? 時間が経つにつれて徐々に下がることも計算するなんて私にはできへん。
 だってそれは自分がいない遠い未来まで想像せないかんのよ? 椿にはできる? 私がいない未来。私にはやっぱりできへん。椿がおらん未来なんて……」

 秋桜美が好きだった法隆寺の軒を眺めてみた。本当に素晴らしい反りだ。椿は夢中になってそれを見つめた。
 彼女は何より五重塔の軒にこだわっていた。寺の建築は元々中国から渡ってきたものだが日本では雨風を防ぐため軒が反っている作りになっている。
 太古の宮大工達は軒に美しさを見い出し様々な工夫を凝らしてきた。全ての宮大工が軒に情熱を注ぎ込んできたといっても過言ではない。軒の軽やかな曲線を作るため、『飛檐垂木(ひえんだるき)』といって本来なら取り付ける必要がない部分を組む。その『飛檐垂木』の上に『茅負(かやおい)』という軒先を支える部分を差し込むのだ。この工程を組むことによって屋根の重みが加わり軒が下がる。それをあらかじめ想定して組まないと綺麗な曲線美は作れないのだ。
 宮大工の思いが全てここに詰まっているといっていい。

「木ってさ、人と一緒で全く違うよな。なのに一つの塔を作って1000年以上も経ってるんやで、やっぱりすごいわぁ。
 ねえねえ、あそこの木見てみ。お互いが抱き合ってるように見えへん? よっぽど居心地がいい所で組み合わせてもらったんやろうね。
 やっぱり昔の職人さんは凄いわ。切り倒された木だって生きてることを知ってたんよ。ここに来ると本当に居心地がいいわぁ。ねえ、そう思わん?椿」

 中学の修学旅行の時にはただノートの記録をとるためだけの通過儀礼でこの塔に出会った。
 しかし今は違う。自分の意思でこの塔を鑑賞しているのだ。素直な心で見ると時を越えて昔の職人が木の大切さを教えてくれるようだ。
 木に親しみ自然と共に生きてきた日本人は木の心を知り自然の中に溶け込んだ。
 ……秋桜美も同じような思いを感じていたのだろうか。
 今になって彼女の心に触れた気がした。
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