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2016年04月03日14:47

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旅行記(414:利礼2001夏<2>-北海道北上-)

(二日目)
急行はまなすは定刻に札幌に到着した。
天気予報どおりに雨が降っていた。
札幌に留まっていても仕方ないため、途中特急のワープを利用して鈍行で旭川まで移動し朝食を摂った。
その後は、稚内へ行く特急スーパー宗谷に乗り、一路稚内へ向かった。
稚内は定刻の13時28分に到着した。
稚内では天気予報に反し、雨は降っておらず曇りのようである。
 
稚内での昼食は、いままで話で聞いていながらも行ったことがなかった"お天気屋"(※1)である。
稚内の喫茶店であり利尻・礼文へ渡る人たちが立ち寄る喫茶店である。
…なのだが当時は事実上桃岩荘YHへ行くまたは帰る人達が立ち寄っているようなお店だった。
自身が入った時も、桃岩荘のミーティングのビデオテープが流されていた。
またこの喫茶店内には旅ノートが置いてあった。
中を開いてみると自分の知り合いまたは名前だけ知っている人が数多く書かれていたのと同時に、今年の桃岩荘に関する口コミネタ的な内容がテンコ盛りであった。
このお店の名物である"リシリアンカレー"ではなく軽めの"焼きそば"を食べて、フェリー出発(15時10分)までの時間を潰した。
お天気屋で1時間程の休憩は丁度良い時間である。
 
休憩後はフェリーターミナルへ移動した。
礼文行きの最終フェリーは大盛況でかなり混んでいた。
天候が悪かったこともあり少し波が高かったのだが、順調に礼文島まで航行していった。
礼文島に着くとかなり天気が悪かったようで、湿度が高いうえにどんよりとした曇り空だった。
香深フェリーターミナル名物の桃岩荘のヘルパー旗振りを見て、戻ってきたのを実感した。
さすがに3回目となると初回のような驚きはなく、見慣れた光景となっているのもある意味悲しい。
フェリーから降りそのまま旗を振っているヘルパーさんの元に移動した。
後ろに見えるトラックは幌付きトラックのブルーサンダー号ではないかと思い聞いてみると、2代目のブルーサンダー号エースらしい。
知人から届いていたメール(※2)の中にあった「何か」とはこれだったのか…。
実際にお天気屋のノートの中にも「何か」は触れられていなかったので、無言の決め事なのだろう。
 
ここまで見ておきながらも、フェリーで乗ってきた人が多かったことからブルーサンダー号には乗れず、スリーナイン号で桃岩荘に移動した。
館内に入ると夏休み期間中ということで、かなりハイテンションな位に人が多い。
早々とチェックインを済ませ、お風呂も素早く済ませた。
話を聞いてみると、今日は天気が悪かったらしく8時間コースは中止となったらしい。
その関係もあり、普段ならば入るだけでも1時間待ちになることもあるのだが、予想外にお風呂は空いていた。
 
今日は通常のミーティングではなく、"ミニミニコンサート"(※3)らしい。
今回は恥をかき捨て出てみたのだが、目の前のお客さんが氷河期のように凍り付いていた。
二度と一人で出ないことを心に決めた。
今日は8時間コースがなかったのだが、元々の参加者だけで礼文島内を歩き回っていたらしい。
やたらと"セクシーダイナマイツ"を連呼していた。
 
ミニミニコンサートが終わり、翌日の8時間コースの参加者の集まりとなった。
食堂に移動するとかなり人が多いのだが、普段とは異なりメンバーが固まっている感じがある。
先程ミニミニコンサートに出ていた"セクシーダイナマイツ"のメンバーが固まっているようだ。
ヘルパーさんから「今まで参加したことがある人は手を挙げてください」と言われ、手を挙げたらリーダーに任命されてしまった。
先程のミニミニコンサートで氷河期のような寒いネタを披露した直後でダメージがかなり残っている段階である。
恥の上塗りになりかねない。
今回チームは2組規模となるようである。
通常2組ある場合には、"もも"と"あほ"の2組となるのだが、先程から盛り上がっている"セクシーダイナマイツ"のメンバーは両方を選ばずに"セクシーダイナマイツ組"となったため、自動的に自分の組が"あほ組"となった。
本来ならば、ここで明日集合で解散となるのだが、今回は違った。
 
元々は朝日新聞の取材込み8時間コースが今日の予定だったのだが、雨で流れたために翌日に延期されたらしい。
そのため取材込みの8時間コースとなるらしい。
「...朝日新聞か、厄介なことになったなあ」という自分の気持ちもあるが、6月はズームイン!!サタデーの悲劇の生中継があったばかりである。(※4)
まあ桃岩荘ならば年に何回か取材が入るので、たまたま自分にもお鉢が回ってきたのだろう。
知り合いにもこの宿では取材を受けた人も、それなりにいるので特に不思議な事ではない。
テレビでは流されてしまえば終わりだが、新聞は紙媒体なので後世に残ってしまうが唯一の難点である。
出来る限り取材は受けずに逃げ回ろうと決め、最悪取材を受けた場合の言葉も予め決めた上で眠りについた。
 
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旅行日:2001/08/03(Fri.)
写真: 深川駅(SLすずらん号), 稚内フェリーターミナル(出航直後), 礼文島(香深)
 
※1
2002年に稚内の大火事により移転する前の店舗時代
下記サイトには当時の写真有
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4475/sub20.html
 
※2
『「何か」のテープカットをやらせてもらった。
 「何か」は行ってからのお楽しみということで。』
 
※3
泊まっている人が思い思いに何か出し物をするイベント。
何かは歌でも寸劇でも何でもよいが、基本的にはアコースティックギターによる歌披露が多い。
 
※4
STVの取材クルーがヘルパーおよびお客さんに嫌われた挙句に無視された。
誰もいなくなった無人の桃岩荘から全国に生中継せざるを得ない悲劇があった。
放送当日(2001/6/23)の電脳あほのーと(Internet Archive)
https://web.archive.org/web/20010626083507/http://www61.tcup.com/6111/rebunto.html
 
今回の取材では「マスコミと言えども特別待遇はしない」事で許可を出していたとのこと。
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