■【人権の島と向き合う(5)完】ハンセン病は世界を変える 長島愛生園歴史館学芸員・田村朋久さん
(産経新聞 - 01月23日 09:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3817234
養母は明治40年四国生まれ。
子供の頃はお遍路宿の呼び込みなどやったそうだが・・・
「普通のお遍路さんは首からふたつ袋を提げて、
『麦ですかお米ですか』
というて回っとった。
中には破産して四国に渡って来たらしい人もおった。
回り続けている限り、食事と宿は保証されとるから。
その中でな・・・
『らい(ハンセン病)』の人たちもおったんじゃ・・・
脚がひざまでしかない人、指のない人、鼻のない人、助けおうて回っておった。
宿には泊まらず納屋の軒先なんぞを借りて寝起きしとったよ。
それがな、ある日からぱたりと来なくなった。
村や町の入り口に保健の役人がまちかまえておってな
『これからはもう辛い遍路巡りをしなくても、
食べるものも寝るところもみんなお国がしてくれる』
というてな
ひとり残らず連れて行ってしまったんじゃ・・・」
20以上年たっても忘れられない、深いため息。
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