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2015年10月19日17:08

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031 生きてゐるヴォイツェク 2/

2.ライプツィヒ

雨。道端の張り出しでマリー、イアリングを試している。

マリー クリスチャン。クリよう。また木馬かねえ、雨だって関係ないんだからあの子は…。またケーテが言いふらすよ、泥ッ子が転げ回ってるよ子豚みたいにって、ほんに性根の悪い女…。(鏡を覗き)なかなかいいね、この銀は…。
フランツ マリー…。
マリー (歌う)これぞ流浪の人の群れ…まなこひかり髪きよら…。
フランツ マリー!(血みどろである)
マリー びっくりした! いつ帰ったの。――あんた、なに、その怪我!
フランツ なんでもねえ…。そら、今週のあがりだ。床屋と、実験の分も。
マリー 済まないわ。それより、見せなさいよ傷。手当てしないと大変。
フランツ いいんだ。そいつはどうしたんだ?(イアリング)
マリー …拾ったの。
フランツ ふたつ一緒にか…。
マリー あんた…、あたしは悪い女かしら…。
フランツ お前がどんな女でも俺には最高だ。(いきなり抱き寄せ)会いたかったぜ。
マリー (当惑しつつ)ちょっと、濡れるから。あたしだってもさ。案じてたんだよ、なかなか戻らないから。
フランツ 案じてた。俺をか、アンドレースをか。
マリー もう、意地の悪い。さ、手当てするから上がりなさいな。
フランツ マリー。アンドレースなら、お前の知ってるあいつなら、もう帰らないぜ。
マリー え?
フランツ うむ。
マリー 帰らないって…。
フランツ 死んだよ。
マリー え?! なに言ってるんだい?
フランツ (ナイフを見せ)2グロッシェン。闇路地のユダ公から買った。一人ずつ、順番にだ。鼓手長殿、軍医殿、大尉殿、それから…。
マリー あんた…。
フランツ 声が聞こえてきたんだ。一人ずつ、順番に…。地面の底ががらんどうなんだ。がらんどうの上に沼が浮いていた。がらんどうの月が空に浮いていた。真っ赤な月だ。俺たちはもうすぐ二人きりだぜ、マリー。
マリー クリスチャンがいるわ…。
フランツ ああ…(気にせず)、いいか、マリー、逃げよう、二人で。な?
マリー あんた…本当にそうなの…? あんたがやったの…?
フランツ 取っ組み合いになった。この傷はアンドレースがつけた。沼に沈んでるよ。もう十日も経つ…。
マリー なんてこと…。そうまでしなくても…。
フランツ いずれ追っ手は掛かる。俺たちのことは世間にも知れてる。俺が引っぱられたらお前も詮議はまぬかれないぜ。どうして、あいつを亡き者にしても俺と添いたいと言ったお前を忘れはしねえ。ここは一蓮托生。鞭打ちは十打で死ぬ辛さだよ。逃げるぜ、マリー。
マリー (抵抗し)いやだ…。
フランツ そんなら俺を突きだすか。構わねえよ、捕まることは怖くねえ。お前を守れなくなるがなあ。
マリー あんた精神錯乱よ。どうかしてるのよ。
フランツ (肩を押さえて見据え)俺を見ろ。目をよく見ろ。きっぱり、みんな忘れるんだ。生き延びたかったら!
マリー (諦めて、脱力し、ぼんやり)分かったよ…。(抱き)うれしい。
フランツ 行けるところまで行こう。
マリー うん。生きられるだけ生きて、お終い一緒に死にましょう。
フランツ 分かってくれるか。ではすぐ立とう。雨も止んで暮れ方だ、人目につかないうちに出よう。
マリー 金目の物をまとめてくるわ。(去る)
フランツ 急げよ。

フランツどっかと座って深い息。旅装束の鼓手長が来る。

鼓手長 (小声で)マリー。マリー? どこに行きやがった。くそ、難儀な旅だぜ。(影に気づき)誰だ。…フランツ。手前か。
フランツ おうよ。
鼓手長 死にきれなかったのか。
フランツ おう。
鼓手長 (銃剣を構える)
フランツ (悲痛に、しかし凄んで)やっぱり殺すのか、アンドレース。小石や草の根にさえ躓いてずるずるたどった街道の果てにまたお前か。うん。お前がその了見ならもう構いはしねえ、今度こそひと思いにコン胸を突け。しくじるなよ。お前がマリーを奪るにはよ、もうそれしかねえ瀬戸際だぜ。さあ来い。根性見せてみろよ鼓手長殿。どうした。突かねえのか。まあ殺されても俺の魂は死なねえがね。今生の未練も断ち切れるてえなら切ってみろ、やい。
鼓手長 無理だ…。
フランツ あん?
鼓手長 俺の負けだ。フランツ。好きにしな、俺は手を引く。
フランツ どうした。
鼓手長 気違いには敵わねえ。マリーはやるよ。
フランツ 本当か。
鼓手長 二言はねえ。俺ぁ怖いんだ。沼の上から見た貴様の形相…。とどめを刺したあの確かな手ごたえは何だった…でえいち、健脚の俺よりどうして先に着いている…フランツ! 手前はどこまで行っちまったんだ。堪忍してくれ、殺して殺せる気がしねえ。俺はもう関わりたくねえんだ。
フランツ アンドレース、済まねえな…。
マリー (現れ)あれ! あんた! 生きていたのかえ。
鼓手長 おう、帰ったよ…。
マリー フランツ、あんた殺してくれたなんて、よっぽど嘘をおつきだねえ。こうして手もあり足もあるじゃないか。
フランツ 二人とも思いがけなく生きながらえた…。マリー、改めて頼む。俺と夫婦(みょうと)になってくれ。
マリー え…。おまい、今ここでそんな…。
フランツ お前のイロがそう言うんだぜ。
鼓手長 (マリーを見ず)行け、行け。
マリー 訳が分からない。お前さんたち男二人雁首揃えて何の小手先だね。
鼓手長 うんざりなんだよ…。
フランツ 天下晴れての出立だ。マリー、さあ行こうぜ!
マリー (長い間)納得いかないよ。フランツ、あんた、動転してるんだよ。深く息をしてごらん…(鼓手長に目配せしている)
フランツ こうか…?
マリー 今よ!
鼓手長 うあああ!(フランツに斬りつける)
フランツ 何しやがる。死に損ないがッ。(組み合う)
マリー これでどうさ!(足をすくう)どうだい、嘘吐きめ。
鼓手長 そりゃ!(胸を突く)
フランツ はぐ!
マリー もうひと突き、念のために。
鼓手長 いや流石にくたばったろう。くたばったろう…畜生め、竹馬の友を殺めてしまった…たった一人の馴染みをよう…(泣き笑いで苦しむ)
マリー (初め戸惑うが、やがてこらえられず情欲的に手を引き)アンドレース…あんた…素敵ね…男前…たまらないわ…。(むしゃぶりついて口づける…)


3.街道

田舎道。一本の木の下でアンドレースとマリーが寄り添い眠っている。フランツはむしろのように二人にかぶさり夜風から護っている。海鳴り。

フランツ 見事な殺し…。正真正銘のまっとうな殺し…。長いことこんなのにはお目にかからなかったなあ…。

鼓手長、ふと目覚め、子守唄を歌う。フランツ、すっと消える。

鼓手長 荒くれたこころには 西風が吹くという
ものがたりの扉は  あおい鍵であく
山をはせたおとこは 旅人とらえあやめ
金と食いぶちおもう とぅとせにわたり
ふと 背すじを はやぶさ 切りとり 飛び過ぐ
(崖ぎわには おまえの 死に場所 ある)と
足ごしらえもどかし 山をすておとこは
真一文字 はやる息 ひた 西へゆく
あすに夢もたずば  石すら苔むさぬと
町場のざれ唄はいう 酒におぼれつつ
わらじ破りおとこは 潮のかおりかいで
ついに海をみおろす 崖のはたにでた
ふと みおろす 藍色 裂き飛ぶ はやぶさ
沖をすべる いかだは 夢か 笑いか
時すぎひとはかたる 荒くれたこころは
崖うえの木のまたに 西をみつめたと
マリー (起きていて)ずいぶん来たね…。
鼓手長 もう三つきだからな…。行こうか。
マリー もう少し、休ませておくれ。
鼓手長 きりがないじゃねえか。
マリー 歩いたってきりがないよ。
鼓手長 いや、生きている限り、歩くのさ。夜明けまでに次の関を抜けるんだ。
マリー おまいさん…。
鼓手長 どうしたえ。
マリー あたしら、どこで踏み間違ったんだろうねえ。
鼓手長 そりゃあお前が男ふたりに靡くからさ。
マリー そりゃそうさ。そりゃあそうなんだけど、そのことはこんなにいけないことかねえ。
鼓手長 いけなかねえよ。俺もヴォイツェクもお前に合わせてこの始末だあ。辛い境遇だが後悔しても仕方がねえ。お前はお前の思う通りに生きな。あいつはどうだ、いい男か。
マリー そう…。いい男よ…。一途で…。
鼓手長 俺は迷いがあるからな…。
マリー ううん、どんなに迷ってもあんたはあたしを選んでくれる…。あんたとしか生きてはいけないね…。
鼓手長 悪い女だなお前は…。
マリー そう…? 恋ってやつはあたしがするんじゃないんだよ。あたしの向こうの誰かがするんだ。あたしはその体なんだ…。分かる?
鼓手長 いや、男にゃそれは分からねえがそれでいい。さて、行こうぜ。
マリー あたしはもうここでいいよ。どこまで逃げても同じさ。
鼓手長 ブレーメンから密航してドイツを出ようって話したろう。港が凍っちまう前に。
マリー アフリカか…、途方もない気がするよ…。
鼓手長 途方もなくてもよ、じゃあどうするのかを考えるのが男の仕事だ。灼ける沙漠で暮らすのもまた人生さ…。
マリー 頼りになるわ…。――ああ、なんて紅い月…。まるで血のついたナイフだわ…。あんた、何考えてるの?
鼓手長 ――ゆうべ、旅籠の軒の下に影がいてさ。…遠目に、そいつがフランツの野郎そっくりだった…。
マリー (青くなり)なに、それ…。
鼓手長 なあ、やつは死んではいねえんだぜ。
マリー 死んでるよ。胸を突き通したじゃないかえ。
鼓手長 ああ、たしかにとどめを刺したと思った。思ったんだがそのあと息を吹き返したんだそうだ。思うに、奴は死なねえんだ。鏡沼でもたしかに息の根止めたのを、俺を追い越してライプツィヒにまで戻ってやがった。執念さ。
マリー 誰がそんなことを言うんだい。
鼓手長 こないだ寺に隠れてた晩さ、お前の寝てる間に町場へ様子を聞きに行ったんだ。評判になってたよ、死に損ないの噂で持ちきりだあ。奴は追ってくるぜ。だからドイツにいちゃあいつか追いつかれる。海の向こうに逃げるんだ。もう追いついてるかも知れねえ。ゆうべの影が奴でねえとは思えねえんだ。
マリー 生きている…、フランツがまだ生きている…、そんなことがあるかしら。
鼓手長 だから逃げるんだ、マリー!
マリー でももう歩けないよ…。
鼓手長 じゃあどうする。
マリー フランツが生きていればあたしらはお咎めを受けなくていい勘定じゃないか。よし受けてもずっとお仕置きは軽いはずだろう。
鼓手長 だが奴はそう思わねえだろう。追ってくるのは仕返しのためだ。俺はあいつが生きてるだけで恐ろしい。
マリー また殺してやればいいじゃないか。何度でも殺してやればいいんだよ。
鼓手長 (まじまじと見て)お前は変わったな…。
マリー あんた。フランツはあんたに仕返ししようと追ってくるのかしら。
鼓手長 え…。
マリー あたしが欲しいだけなんじゃないのかえ。
鼓手長 何を言う。
マリー よし追いつかれても、なんだかきっとうまくいく気がするよ…。
鼓手長 恐ろしい女だなお前は。あの時フランツを殺させたのはお前じゃねえか、手まで貸してさ。仕返しされねえで済むものかよ。
マリー あんたがあいつを殺そうとしたのはあれが最初じゃないだろう? 沼のことにゃあたしは関わってないよ。
鼓手長 その場にゃいなかったがお前という女を取り合ってのやり合いだったんだぜ。
マリー なんでもあたしのせいにするんだ…。
鼓手長 俺はなマリー、もしフランツが俺を殺ったら、俺の後釜にあいつがすっぽり収まるだろうって、それがたまらねえのだ。どうやらお前はそういう女だ。そんなくらいなら今お前とわかれて別の道を行く方がよっぽどいい…。
マリー おまいさん。一度あたしをぎゅッと抱いておくれな。ぎゅッと…。
鼓手長 …。
マリー そうして力をおくれ、元気をおくれな…。でないといつまでも立てないよ(口づける)。
鼓手長 (だがすぐ離れ)や! 今のはお前の口か?
マリー なんだえ?
鼓手長 俺とお前の間に、今もうひとりいやしなかったか。
マリー 気味の悪いことをお言いでないよ。こんなにきつく抱いてるじゃないか。抱いてくれないの。…じゃ、いいよ。あたしはここにいる。役人もフランツも怖かあないんだ。
鼓手長 居直りやがって伝法な。あの気の小せえ女がどう折れ曲がってこうなったかねえ。俺は分かった。お前の言う通りだ。フランツが追ってるのはお前だけだ。俺はひとりで行く。
マリー え? ちょっとお待ちよ。堪忍しておくれよそいつだけは。
鼓手長 おまえはライプツィヒに戻れ。大丈夫チェッコ野郎のヴォイチェック殿がプラーグ訛りで可愛がってくれらあ。
マリー 薄情を言わないで、連れて行っておくれよ。あたしにはあんたしかいないんだから。
鼓手長 今は、だろ。いずれいい道連れができるまでだろう。
マリー 拗ねたこと言わないでさ。
鼓手長 愛想が尽きた。
マリー ちょっと、待ってお願いだから。もう少しゆっくり歩いてくれたら着いていけるんだから。
鼓手長 急ぐんだ。俺は急ぐんだ…。
マリー あんたったら、お待ちよ!(追う)

空白…。暗い月光の中、むしろを被った人影がふたりを静かに追う…。

影 むごしとわれはいきどおれど…。

暗転







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