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2015年06月23日11:11

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007 神曲 11/

第三場 光の谷

闇。
どこかで柱時計が、十二時を打っている…。
いきなり、恐ろしく明るい冬の空。
と、不二男、ふと目覚め、ぼんやり辺りを見回して――、(音楽 A.Berg "Violinkonzert――Andante-allegretto")

不二男 女萱(メガヤ)の野原の底にいては世界は見遙かせない
空は一面に薄く曇り方角すら定かでない
  明度まで曖昧だ
  去年の穂の間に 怒り立つ黒い楊が見えてくる
  細枝までも節くれ空を掴んで土中に引き降ろそうと
  伸び上がっている精神のやなぎへ
  油の浮いた泥に足を取られながら近付く
  狸の通ったらしい小径が頼りだ
  それを外れ 数メートル丈の萱の迷路 動かぬ風
  遠くの鉄橋の唸り
  不意に ようやく湿った黒い幹に辿り着く
  ここにも拒絶的な茨の囲い
  細く青く曲がった靴下のない脛は路々の茨にやられ血もにじんで熱い
  幹に取りすがり冷たい感触に見上げると
  絡まる枝の向こうで空が危険に光る光る
  鳥の叫びすらない
  幹は地面のすぐ上で二股になっている
  振り返る
  来た道はもう分からない
  今こここそが本当の世界だ
だがああ、又かすかに鉄橋が叫ぶ
登れ 枝を
行く手を確かめるために。

溶暗。
と、不二男、ふと目覚め、ぼんやり辺りを見回して――、

不二男 森か。──そうかも知れないとは思っていた。
汐の匂いがする。
するとそれ程遠くまで来ちまったわけでもないらしい。
いや、遠いとも。遠いさ。(見上げ、しかし)
これじゃ空模様も分かりやしない。
やけに湿っぽい。雨なら降り続けろ、弱く、長く──。
俺のシャツはこんなに体にねばりついている。
俺が湿った地面にねばりついていたように。
シャツは俺だ、そして俺はこの森だ。
消えろ、悪魔め。分かってるんだ(砂を片手にすくい)
砂地に森が茂るものか。まやかしめ。
──しかしここにいるわけにもいかない。
動けばそれだけ深みにはまって行くのだと
考えつかない俺じゃない。
だが深みにはまらない人生なんてあるだろうか?
行こう。かすかに赤い光が見える。
葉隠れの重ったるさに息が詰まりそうだ。
──月なのか。これはいけない。(目をこすり)
針みたいな三日月が二重に見えている
おまけにまっ赤だ、ありゃあまるで
誰かの腹をえぐった匕首のようだ
血の冷たくこびりつく…。
それにしても誰の?
ふるる、ぞっとさせやがる
何を考えてるんだ俺は。
さて、これからどうするか。
もう逗子には戻れないかも知れない。
事件は、始まってしまったし
俺は予感する、これからの出来事に
恐らく自分がすっかり馴染んでしまうことを。
それにしてもあの刃物の切れ味…(顔を覆う)
ええい、くそっ。どうかしてるぞ。
そうとも、どうかしているんだ。
俺の目を通さなければ月は天体。
昼に三日月が出るなんて。それもまっ赤な。
──冷えて来やがった。行かなくては。

溶暗。
と、不二男、ふと目覚め、ぼんやり辺りを見回して――、

不二男 まるで沼の底だ。森は泥細工のように凍りついている。俺はここに立っていながらある疑問につまづく。一体俺は何者だろう? ここは熱いのか冷たいのか、俺は氷に閉じ込められるべきか、それとも腐って溶けるべきなのか。ある朝俺は目を覚まさないだろう。天井をミズスマシの航跡が円く走った。忘れるがいい稲、俺は出征したのだ。いやそうだろうか? 出征したのは俺じゃなかったかも知れない。ああ、何もかもが曖昧だ。木々の枝かげに隠れてこちらを伺っている奴がいる。俺はこれから生まれるのだ。沼を避けることは無駄な努力だった。この森が俺に与えられた道だ。そして世界は沼の中にある。(飛びのいて)誰だ?

高みに影。

影 世界が沼の中にあるならば、おまえはどうしてそこから抜け出すつもりなのだ。
不二男 俺はまだ孕まれていない子供だ。答を期待する程度の妖怪か?
影 肉体と肉体とのはざまに眠りの時がある。だがおまえは特別な存在だ。その胸には未だに血と空気が通っている。この眠りは誰にでも訪れるものではない。おまえは選ばれたのだ。
不二男 使命などは俺に似合わない。もしも立ったまま死ねるものならば俺は地面に頼らず逝くだろう。誰にも顔を見せたくはない。去れ。
影 預言者の言葉には耳を貸すものだ。おまえの残された生は将来現われる何者かのためによい香りを沼中に残すのだ。おまえは一人の個人として好きに生きてゆくが良い。ダイスは秋空のように気紛れだ。偶然と必然との隠された契約がおまえを導いたのだと知るが良い。目覚めよ、そしてりんごを拾え、それが森の黙示だ。
不二男 (ひとり)右腕に左腕に泡立つ血液が震える。俺は誰をも憎んでいない。それなのに腕が誰かを殴りたがる。木の葉が光った(シュッとジャブを出す)──真赤な月が出た(シュッ)──小人の呪文が聞える!(シュッ、シュッ)──俺の胸には内側に反ったナイフ。唇にこびりついて離れぬ笑い。孕まれもしないうちに俺はキナ臭い原罪を負っているのか。
影 転生せよ! そしてりんごを拾え。
不二男 軍楽隊が近付いて来る。幻聴か? この耳だけが聞くならば、俺は俺だけの闘いを目の前にしようとしているのだ!

不二男はパンチを繰り出し続け、次第にシルエットになってゆく。

影 下れよ坑を、白き手のイズーのもとへ!

軍楽かすかに聞えて、影は奇妙な舞踏をする。――溶暗。
やがて、柱時計のゼンマイがカラカラと鳴り、ボーンと一回、時を刻む。と、そこは古めかしい病室。ガバと跳ねおきる不二男。

不二男 ――夢か。
声 シッ。お静かに。
不二男 ぎょっ。誰だ。それに…ここは?
声 まだ、眠っていてください。
不二男 そんなこといっても遅いよ。どこで喋ってるんだい?
声 ああ、失礼。ここでさ。
不二男 うわ。

闇にボンとスモークが焚かれ、ポッカリ顔だけが浮かぶ。渦野だ。

不二男 あんたは?
渦野 こういうものです。
不二男 わわっ。

顔とは全然違うところ(ベッドの布団の間とか)から、巨大な名刺を持った手がビヨーンと突きだされる。

不二男 座布団か。
渦野 名刺でさあ。(といいつつ、顔のまわりに手足や胴がバラバラに、ふわふわ浮いて寄ってくる)
不二男 (読んで)週間「退廃」文化部記者、渦野誠二郎。退廃?
渦野 はあ、退廃です。(ふわふわ)
不二男 聞いたことないなあ。
渦野 退廃的ですから。(ふわー。以下おなじ)
不二男 そうか。で、何の用です。
渦野 不二男さん、あんたに興味がありましてね。
不二男 俺に? 俺は、何でもないただの男ですよ。
渦野 それでいいし、いや、そんなこともないんです。今、お時間ありますか。
不二男 …今はいつの何時なんだろう?
渦野 はは、そうでした。眠ってらっしゃるんでしたね。
不二男 そう。(自信なく)…かな? いや、どうも頭がぼーっとして。
渦野 ああ、そうでしょう、あんなことがあった後じゃね。
不二男 あんなこと? 含みのあるいい方だね。
渦野 火事ですよ。
不二男 火事。覚えてないなあ。
渦野 あんたのその記憶と認識の体系に、私ぁ興味があるんですよ、何ですな、つまりそこはかとなく裏っぽいっていいますか。全国に一二〇万の裏読者をもつ裏雑誌業界の裏ホープ、渦野セージ、ローズマリーアンドタイム誌と業務提携をも目論んでるワタクシとしちゃあですな、捨てておけんと。
不二男 裏裏って、何をそんなにいったい?
渦野 いや、簡単なことです。あなたの夢と現実との関係が多分に退廃的で、記事になるんじゃないかとコウね、踏んだわけでして。
不二男 会ったこともないのに?
渦野 そう、会ったこともないのに。
不二男 記者の勘ですか。
渦野 記者の勘ですなあ。ま、謝礼は充分にさせていただきますから。(と、ブウーとものすごい紫煙吐き)――喫いますか?
不二男 でも病院でしょ、ここ。
渦野 (自堕落に)構わないんじゃないのォ? 巡回が来るわけじゃなし、娯楽もねえしさ、テメエの体はテメエのもんでしょ。
不二男 なるほど退廃的だ。
渦野 そうです、かなり土性骨の入ったね。さ、どうぞ。
不二男 わっ。

枕許の魔法瓶がガボッと開いて、火の着いた煙草とピーカンを持った手が出てクイクイ誘う。不二男、仕方なく吸う。

不二男 ――ああ、不味いな。
渦野 まだ、体が本調子じゃないんでしょう。そこでなお吸うのが退廃生活の基本ですわ。
不二男 俺は、退廃的じゃないですから。
渦野 そんなことはない。こんな歌をご存じでしょう?
不二男 どんな?
渦野 こんな。

渦野、歌いだす。手足もゆらゆら。(音楽 Luis E. Bacalov "La città Delle Donne")

♪この世のどこかにはね
 ばかでかい渦があり
 あんたもあたしも 呑みこむ
 コトリ 椅子から降りれば
 そこは町の 地の果て
 運河は揺らめき たゆとう

渦野 (音楽になお、のって)いや、私、申し遅れましたがそもそもこの県の公道ライダーを追っかけ取材しておりましてね。一寸法師、ご存じですか?
不二男 昔話の?
渦野 現代の。
不二男 いいえ。
渦野 じゃ、湘南挺身会は?
不二男 あ、暴走族の。ガードのペンキ絵で見たことある。
渦野 その挺身会と一寸法師とのインネンの対決をね、連載企画として一本、モノしようと思ってたわけです。広域首都化で財政が潤ったはずの横浜も度重なる内戦からの難民であふれちまった。こんな時に足らないガソリン使ってバカやってる連中のレポね、これ書いたらあーた、退廃的でしょ!――(と、また歌)

♪終わりなき世界へ行くの
 疲れたカバン提げてねえ
 とびとびの夢 流れる雲 追いかけ…

渦野 あと、ついでながらいっときますと、連中ぁ族じゃなくて、走り屋です。本人たちはきっちり分けて考えてますよ…いや、考えてたんですがねぇ、そいつがだんだん曖昧になってきた。ライダー集団が暴力団と渡りをつけて上納金を納めるようになったらもう族です。退廃的でしょ。そこに奴らは落ちこもうとしてるんでさ。
不二男 どっちが?
渦野 挺身会が。で、怒った一寸法師がもうやめようぜってんでけじめつけるためにレースを申し込んだ。それが先月の終わりのことです。
不二男 待った。何の話です?
渦野 (気にせず)そこでおいらは駆けつけた、一介の記者が関東一のスピード狂に追随を企てたわけさ。そのうちお見せしますが007ばりのカスタムカーを用意しましてねえ、ひひひひひひひひひ(夢中)
不二男 ちょっと! どんどん行かないでください。いったいそれが俺と、
渦野 ここからがいいところなんです。
不二男 知るかっ。
渦野 一寸法師のリーダー、ご存じですか。
不二男 さあね。
渦野 呂真野露地男(ロマノ・ロヂオ)って、第何国人だか分からないイカレた名前の男ですが?
不二男 いんや。
渦野 茨城の寒村の出で。
不二男 知らないってば。
渦野 出島村というんです。
不二男 え?
渦野 みやこのじょう――
不二男 んん?
渦野 稲、さんと、同じ村の出身ですな。
不二男 (気づき)あんた、何しに来た!
渦野 フフフ、ですから取材ですよ、しゅざぁい、しゅざあ〜いぃぃ…

と、通勤電車の轟音あって、場面、あのガソリンスタンドへ。今は昼間。渦野、以前のあやしい背広姿になっている。縮尺のおかしい手帖とポラも、ボルボもある。稲も、割にまともな格好になっている、ただし依然として素足には何も履かずに、スタンド前のベンチで日向ぼっこしている。

渦野 やあ、また、お会いしましたな。
稲 あんた…。――駆なら、いないわよ。
渦野 ほう、どこへ?
稲 バイト。
渦野 ほほう。だんだんまともになっていくねえ。道徳的で健全健全、ハナマル坊やっとコリャきたもんだ。
稲 ゼッツーっての、手に入れるってさ。高いのそれ、て訊いたら、なんか遠い目して、金じゃ買えないよう、なんて矛盾したこといって、矛盾を抱えたまま働きに出ていっちまった。
渦野 先日は、夜中に失礼。
稲 いいえ。何の用?
渦野 いないなら、いいです。出直します。
稲 待ってよ。あんたあの子に吹きこんだじゃない、あの島のこと。あれ以来、夢中なのよ。
渦野 あ、そう。なんか恨めしそうですね。
稲 フン。
渦野 丁度いい、茶飲み話につきあってください。美人と日だまりでなんて、ちょいとオツですな。お暇でしょ?
稲 もの好きねえ。何も出ないよ。
渦野 出なくて結構、お化けの季節じゃありません。えーと、たしかお名前は…。
稲 都という字に、城と書いてね、
渦野 みやこのじょう?
稲 ツヅキです。
渦野 ああっ、そうそう、思いだしました。(突然、炎のごとく)都城稲(ツヅキ・イネ)、二十一歳、茨城県出島村は大字落合の生れ。子供の頃から芸達者で近隣じゃ腹踊りの稲公の異名を取り、それがもとで初恋のケンちゃんにフラれる。また小学一年の作文に将来の夢は吉本の芸人と書き親父にビンタくらう。勉学は下の中、得意技は木の上のセミを登ってって捕ることとコブラツイスト。
稲 おい!
渦野 年頃になっても相手にする男がいないのを見兼ねてこのままじゃ村の笑いものになると長老の板太郎じいが父親に働きかけ、十九の春に単身上京、横浜の某家政短大に入るもほとんど通わずもっぱら散歩とハゼ釣りにあけくれ、やがてアパートからも姿を消す。行方は杳として知れない。その稲さんね。
稲 (コブラツイストかけて)こら。
渦野 いででで…は?
稲 どうやって調べた。
渦野 別に、普通の過去じゃないですか。
稲 そうかな。
渦野 数奇ってほどじゃないし、ハゼ釣りなんて、意外にサビレ系ですな?
稲 普通だって、調べられたら嫌なもんよ。
渦野 今日びあんた、公衆電話からだってこのくらいイケるんですぜ、ナニちょこっとベネッセのマザーコンピュータにハッキング掛けただけでさあ。受験勉強もベネセにピポパって歌、あんじゃないですか。
稲 でも、腹芸まで載ってるか?
渦野 まだまだ知ってますが。
稲 あっ、いうなっ。
渦野 (炎で)八つの時にお賽銭箱に足突っ込んで抜けなくなって救急車…
稲 あーやめろ! 
渦野 ああ、いいたい。いいたいなあボク。(身もだえ)
稲 何の厭がらせっ。
渦野 とーんでもない。情報過多の時代ってことでさ。
稲 間違ってるよ。飢えてる人だっているのに。
渦野 そう間違ってる。でも情報は存在する。で、どうします? 資本が正義を優先させるなんてなあ幻想ですぜ? メディアを拒否するのは自由だしご立派だ、だが仕事に必要なら使いますね、あたしゃ。
稲 あたしの腹芸なんか、必要ないだろう。
渦野 そう、普通はそう思う。でもデータバンクに載ってんだから、使う誰かがいるってことでしょ。いやそれはともかく、驚かせて失礼。時に私は、えー、(と巨大ポラロイドカメラで自分、撮影する。そのジーッと出たでかいプリント手渡し)こういう者です。
稲 見りゃ分かるよ。
渦野 いえ、プロフィール付きです。
稲 えっ。
渦野 いま浮き出ますから、振って。
稲 (振って)あ、ほんとだ。
渦野 何たって、メディア過多なんで。振って。(とピースくわえる)
稲 うす。(振りつつ読んで)渦野さん?
渦野 ハイそう。
稲 ライター。
渦野 いえ結構。(と火つける)
稲 何のライターよ。
渦野 へ?(気づいて)あ、まあ色々。こないだまで、公道レーサーを追ってました。挺身会、ご存じで?
稲 ええ。
渦野 やっこさんたちも、どうしてなかなか速いですな。追い切れんで事故りました。
稲 追うって、ほんとに追うのか。
渦野 (ボルボなで)こいつ、愛車でね。うふふふふふふふ名前ですかロシナンテ号っていいます。
稲 訊いてねえよ。はれ。
渦野 はれれ?
稲 一寸そのクルマ、小さいんじゃない?
渦野 格別です。
稲 特注で?
渦野 いえ。成長する車なんです。
稲 そんなん、あるか。
渦野 ヒア、イティズ。
稲 しかも小さく成長してんじゃん。メシ食わないのに脱皮したら縮んじゃった虫みたい。
渦野 その硬質で禁欲的な実存っ。
稲 走んの?
渦野 そりゃ、ボルボだかんねえ!
稲 紙の? あ、はがれた。
渦野 やめて下さい!
稲 日立キドカラーって書いてある。
渦野 …現実からの逆襲っ。――いやこれも商品過多のせいよ。資源の枯渇で自動車も紙ボディの時代に戻ってきましてね。昔も、ドイツのトラバントってあったじゃないですか。







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