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2015年06月23日10:27

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007 神曲 7/

不二男 (開いてあったノート読み)ゴミの平均つかみ量二・五トン、投入間隔約一〇分、一日累計約三四〇トン。四台のガオリンが、四機の焼却炉に、日々実に一三六〇トンの可燃物を投入する。それでも、一都二県の津波的なゴミの襲来に対処するにはあまりにも不充分だ。有明十四号地の埋め立てが終った時、東京湾を囲む千葉・東京・神奈川の丁度中央に位置する海域に広大な人工島を建造しようという計画は、漁民や環境保護団体をはじめとするあらゆる反対運動を押し切って、各省庁の強力な協力体制のもと実現への第一歩を踏み出した。国家のひたむきな稼働力の前では知識人たちの叫びも岩を刺す毒蟻のように空しかった。戦後半世紀をそれぞれの立場で斗い抜いてきた月刊誌「社会」及び「左衛」の相次ぐ強制廃刊、迷宮入りになった弁護士川島正義氏の誘拐殺人事件。政府が半ば公然と白色テロを打ってくる極右政権台頭のただなかで二十一世紀を迎える日本は、巨大な影法師を背負って歩かねばならないのである。思えば戦後半世紀の歩みにおいて、開発独裁の影で放置されてきた社会問題は枚挙にいとまがない。争議も公害も資本至上主義のクレバスだ、そもそも解決され得ない星のもとに生まれた鬼児だ。生産・流通・消費、そしてまた生産流通消費。企業の思考はそこまでしか動かず、消費のあとに必ず続く廃棄プロセスの不備については誰もが目を塞ぎ耳を覆ってきた。発展のためには捨てるものなどに金をかけてはいられなかったのだし、やがてゴミになる消費財の大量生産に家長たちが奔走する一億総工業団地化政策は五十年かかってすっかり定着した観がある。ところが今や広域首都のゴミ問題は夜の領域からあふれ出した。マクベスはいった、バーナムの森が動かぬ限り俺の覇権は揺るがぬのだと。だが森は今や我々の視界の片隅からじわりじわりと歩を進め、その全貌を顕しつつある。今もしやただ一日でも焼却場と埋立地とがストライキ、あるいは同時ゲリラの襲撃を受けるなどすれば、たちまち首都には飽食の残滓とシュレッダー屑とのまだらマンダラが描かれるだろう。それは肥大化した資本主義の行きつくだろう歴史の必然である。ソヴィエトの崩壊を嗤っている場合ではない。帝国主義陣営も又、惰眠のベッドを片づけて、来たるべき歴史の一幕の前に白旗を振らねばならないのだ。
荒井 何だいそりゃ、割にいいじゃない。また別の小説かい。
不二男 いえ、こりゃ俺が生まれる前の雑誌の切り抜きらしいんですが、ここの抽斗に入ってたんです。ほら、この古い大学ノート! 何代か十何代か前の先輩がキャビネットの奥深くにしまい込んでいったスクラップ集です。日付は、一九九一年十二月十七日…。
荒井 ふうん、やる奴がいるもんだね。
不二男 この工場、いつ建ったんです。
荒井 さて、ガキの頃からあったね。もっともこの一棟だけで、向こうの三機のあたりは米軍の弾薬庫だったがね。その時もうあったんなら、四十年にもなるのか。耐久期間ギリギリのポンコツだぁね。
不二男 ええ、すっかり片肺運転で、残った方の肺だって焼却の塵埃で真っ黒ってやつです。他の三棟は最新式なのに、ここだけ何といまだにバッチ炉ですからね、焼却場、草創期のシステム、まんま! このガオリン塔だって、ちょっとでかい台風でも来たらそれこそ恐竜の骨格標本みたいに倒れますよ。ま、愛着は湧きますがね。
荒井 文句たれてるけどね、運がいいんだよあんたは。今日び、仕事不足の人余りはどこまで行くやら見当もつかないからねえ!
不二男 まあ、そうです。
荒井 (見下ろし)ごらんよあのティッポリの数。一年前から較べりゃあ倍じゃきかないね。すぐ重機の運転にかかれただけでも望外の幸せってもんさ。
不二男 ま、いちおう日本人ですんで。
荒井 そういう考えも、そろそろ甘いかもよ? あ、ちょっと。

工場長が入って来る。痩せた小男。おばさん、不二男のヴァイオリン取って背に隠す。

工場長 どうだい調子は、不二男君。まずまずってとこかい?
不二男 ええ、ドン。
工場長 お? ドンとこい。もう聞いたんだ。
不二男 ええ、まあ。
工場長 一体どこで。
不二男 いやもう何度も。みんないってます。
ドン そうかい、ははは。どうして私がドンなんて呼ばれるのか自分じゃ一向に分からないがね。朝来ると、事ム所の玄関に姿見があるだろ、タイムカードを差し込む時に丁度全身が映るんだが、少し前かがみの疲れた姿、どうやら薄くなってきた後ろ頭、そしてどうやっても取れないタコ八型の眉間の皺ね。我ながら自分の貧相さ滑稽さ、滅法気障りだなあと思わざるを得んよ。工場長という簡明でむしろ適格な呼び名を、新参の君までがどうして使ってくれないんだ? もっとも、奥歯のあたりが勝手にむずむずするところをみると、内心じゃあ不相応にも喜んでいるらしいんだがね。そいつがやっぱりまた気障りだ。私はまったく詰まらん男だ。その詰まらなさを揶揄するように、人は私を静かなドンと呼ぶ。自負もへったくれもあったもんじゃないが、もしそう呼ばれるだけの理由があるとしたらこうだ、下級官吏として静かに生きてきたつもりなのに、いつか目前に七人の敵が居並ぶイバラの道に踏み込んでしまったってことさ。
不二男 敵? どこに敵がいるんですか。悪口(アッコウ)陰口、聞きませんが。
ドン そりゃあ君がファミリーだからさ。内輪に確執はなけれども、実際は私と私の家族ごと、世間から憎まれているわけさ。
不二男 周辺住民から? 煙を出すなって?
ドン それもあるが、もっと近くはお隣の――今はまだ闇に隠れて見えないが、朝もやとともに立ちあがるだろう…、
不二男 「くらかたう」ですね。
ドン そう。そしてあっちが東の「きらうぇあ」。
不二男 そして西には「さんとりーに」。
ドン インセスト・スパイトだよ。同じ現場のなかにあって、まるで分断国家のように四つの区画がいがみ合い、排斥し合っている。この焼却坑イズーでは奇麗ごとじゃやっていけない。いわば地獄の縮図なのさ。
不二男 どうしてそんないがみ合いを?
ドン 長年の間にそうなってしまった。人間なんて愚かなもんだ。
不二男 改善すれば…、
ドン・荒井 改善?!
不二男 ダメなの?
荒井 理屈じゃないんだよ感情なんだよ。
ドン ま、つきあい慣れた地獄の方が、見ず知らずの極楽よりかは現実的だってことさ。
不二男 ハムレットですね。
ドン おいおい空気も掴んでいくさ。何しろ他の区の連中にケンカを売らないこと、それより第一、坑(アナ)に下りないことだね。坑には坑のしきたりがあって、仁義を欠いちゃ無事には戻ってこられないからな。ま、こっちのファミリーでまとまってるのが当面利口な処世術さね。
不二男 役場なのにファミリーか…まるで族だ。
ドン 彼女、妻です。(おばさんだ)
不二男 ええっ。
ドン 息子が君だ。
不二男 たとえですか…あぁひったまがった。
ドン いやあ、たとえといえばたとえだが、一抹の真実を含んでもいるぞ。ここ第一区「みはら」には今、営業からティッポリまでざっと数えて一五〇人からの身内がいるが、そのトップとして私は思う、こいつをまとめるのは一苦労だな。効率を上げる努力によって労使の運命共同体を作るのが普通だろうが、ここは役場で効率主義とは無縁の世界だ、どうしたらいい? 幻想でもいい――しょせん共同体は幻想だ――どんな幻想ならば保守的な安定志向の連中をまとめるか、やっぱりうまいのは家庭幻想ではないか。いや退かんでいい退かんでいい、君に強制はせんよ。ただね、ゴミ焼き場は特別なところなんだ。工場と名こそついちゃあいるが、要するに何も生産しないんだから。ゴミなんて君、どうしゃかりきに燃したって、死に行く人の息を袋詰めにすると同じことでね、いわば消費を生産してるわけなのさ。この不毛につきあってためしに五年も働いてみたまえ。労働意欲が根底から失われていくのが身を持って分かるぜ、どうしようもない正直な感覚だよ。避けられない現実なんだ。だからある種の抽象がなければ、そしてその抽象に沈没するだけの思い切りがなければ、清掃工場を勤め上げることはできないんだね。
不二男 ある種の抽象…。
ドン 別に家族である必要はない、もっと甘ったれない幻想を、君が君なりに見つければいいことだからね。ま、だんだん考えたまえ。何しろ仕事はしっかり頼むよ。本当のところ、君の若さは貴重なんだよ不二男君。ところでまもなく夜が明けるが、今日のシフトはどうなっている?
不二男 籾山さんが急に休んでまして、今日は二十四時間ぶっ続けです。
ドン オーマイガッ。そりゃ気の毒だ。気の毒だが頼むよ。まだ労働意欲の衰えてない君にしかできん緊急シフトだ。それとね、たぶん午前のうちだと思うがここへ、見学の市民団体が現われることになっている。反反連とかなんとかいったが、いずれゴミ焼却に批判的な連中さ。ガスだ煤煙だとうるさいことを聞かれるかも知れんが、知ってることだけいっといてくれればいいからうまくいなしておいてくれ。
不二男 了解です。
ドン 頼りにしてるよ。じゃ。

去った。

荒井 つまらん男だと──。
不二男 えっ。
荒井 思ってるだろう。
不二男 そんなこと。
荒井 あれで、管理職でいて現場の信頼をつなぎ止めるのは大変なんだよ。よくやってる方さ。
不二男 そう思います。
荒井 だけどさ、あんたはあんただよ。
不二男 え?
荒井 下級官吏を三十年やってはじめてあのみぶりになるわけだ。あんたが真似たり媚びたりしても、すこしも近づけやしないさ。
不二男 分かってます。
荒井 分かってる? そんなら、たとえば、何で二十四時間働くんだ?
不二男 だから籾山さんが…、
荒井 新参のあんたは知らないだろうけど、あの籾山って爺さんぁくせもんでね、ちっとも出てきやしないんだから。
不二男 そうなの?
荒井 余程のことがなけれゃここは役所だ、懲戒解雇にゃならないからね、いい気になってんのさ。それにあんた、残業つかないんだよ?
不二男 ええ。
荒井 都合のいい時だけ労基法、持ちだすからね、役場の癖に。ただ働きなのに、なぜやるんだい。
不二男 別に、帰ってもすることもないし。
荒井 それだ! 失われた肉体って感じだねえ。
不二男 プルースト!
荒井 あたら若い身や心を、こんな退廃の巷に投げ棄てることぁないっていってんだよ。
不二男 棄てちゃあいません。僕は僕なりに…、
荒井 信じたいところさ。うずもれんなよ、このイズーに。
不二男 何者だい、あんた。
荒井 ただものだよ。ただのただ者なのさ。
不二男 ただものも、極めれば空を、ゆけるかも知れないな――。話す相手がいないんで黙っていたがいい機会だ、聞いてくれないか荒井さん、いつか見た、俺の夢を。あんたが凡人だって無害なだけだ、構やしないさ。
荒井 いったい何のことだい?
不二男 (聞かず、異常に)俺はきっと思いを腹に込めすぎるんだ。(音楽 Värttinä "Pojaton")空は腹のなかにはない。じゃあどこにあるんだ? 世界を食っちまった虫の夢さ。ある時、空が風呂屋の富士山みたいにバリッバリッと割れ広がって、詰まらんペンキ絵だったことが分かるんだ。虫は八本の足でビル群を枯れ芝くらいに思って踏み砕きながら、町を呑むくらいまでふくれ上がる。すると虫には人間が逆に虫に見えてくるんだ。虫の飼い主だった少年は、いまや飼い主に造反する虫って形になって、愛されていないことに気付いて、しまいにゃパクリ、虫の腹のなかの虫となる。腹のなかを…マッサカサマニ!…落ちて行く。恐ろしさに目を閉じたペラペラの闇から目を開けると、そこが、突き刺さる青空なのだ。そして少年はその光りすぎる空を電子の速さでよぎって行く。何が本物で、誰が超えるべき空に突入できるのかなんて、分かったものじゃないな。どう思う荒井さん、あの少年は求めて超え得たのだろうか。違うとすれば求めることが俗物で、求めないことが、超人たる虫の愛に価したとでもいうのだろうか。憎しみならばまだ積極性がある。仙人ならば無為の悟りもあるだろう。だが育った町や両親を呑み込まれて少年は悲しむことも知らずにただ呆然と立ち竦んでいたのじゃなかったか。空も地面もハリボテと知った無力な少年が超えられた空とは、ぜんたい、どんな空なんだ? 荒井さんっ。
荒井 お前さん、めずらしい頓馬だねえ。
不二男 なんだそりゃ。ちゃんと聞いてなかったのか。
荒井 いやいや聞いてたさ。そしてあんたの目が、蜃気楼に眩まされてると思ったァね。夢なんか見てる暇があるのかい。簡単なことじゃないか、働けよ。
不二男 どっこい、簡単なものか。
荒井 (その楽器でヒタと指し)視線が下らない方へそれてんだよ。あたしゃあ思うに、夢を突き詰めたって希望になんざたどり着かないね。けどマァ、あんたはそれがいいところかも知らん。
不二男 何だい急に、気持ち悪いな。
荒井 あんたが息子みたいに思えてきたよ。
不二男 また家族論か。返してくれよそれ。
荒井 永遠に借りとくよ。
不二男 ジャイアンか! 掘り出し物なのに。
荒井 こんな腐れ楽器なんぞに頼らないでさ、あんたのやるべきこと、腕一本でやってごらんよ? ゴミの再利用は年寄りに任せときゃいいさ。
不二男 ――俺には求めることしかできない。実力なんてない。
荒井 このデカダン! 当ッたりまえさ、当ッたりまえ。その若さで何の実力があるもんかい、バカバカしい。たわごとはもううんざりさ。
不二男 (また、異常に)そうだ、たわごとに俺は憧れるんだ。幾重にも重なったパイ皮みたいな夢の底、妖怪じみたたわごとの底に石油のように澄んだ地層があるんだ。その単純さまで行くのが大変なんだ。道の百元玉をふいに拾うような単純さ。はじめて自分の手を発見した時を俺は覚えてる。ああ、ここに俺の手があり、手を見る俺もまたいるんだと。認識論の出発点、単純な驚き、再洗礼のような子供の哲学者。でも二十歳も過ぎた今の俺が信じられるものって一体なんだ? あの明晰な混沌の幼年にいったん戻って出直さなけりゃならないだろう。今じゃ手をこうして見たって、ちっとも救われない! 思い出そうとしても、ワセリン越しのフィルターみたいなピンぼけだ。やり直したからといってたぶん未来が救われるわけじゃあない。それでも、あの手の向こう側に重要な影があるのを疑えない俺は、夢に駆けたいと憧れ続ける…。
荒井 うんざりさせるね、何だいそのたれ流しは? 不二男さんよ、喋りすぎはそれだけで罪なもんだよ。

内線が鳴る。不二男取る。

不二男 はい、ガオリン室。あっ済みません。すぐ入れます。

起重機、操作する。ゴンゴンと移動する鉄骨の影。すぐ、ガシャーンと当てる。

不二男 あやー、しまった…。
荒井 えらい不器用だね。
不二男 そうでしょうか。半自動にしましょう。(スイッチ押す)
荒井 生き方だよ。
不二男 その点はナントモハヤ。
荒井 仕事もね。
不二男 いずれうまくなりますっ。
荒井 楽器が先にうまくなるかもね。
不二男 モウ、いいじゃないすか、ちっとくらいサボったって!
荒井 どれもこれも半端で終わりたいならね。
不二男 あんただってそう変わんねえだろ。
荒井 そう思うか?
不二男 お?

荒井、にわかにヴァイオリン構え、超絶的に、一節弾いた!(音楽 J.Brahmus "Hungarian Dance No.5")

不二男 お、おおおっ?!
荒井 どうだい、表六玉よ。
不二男 さ、差し上げますっ。
荒井 はっはっはっはあ! 甘美なる敗北だろ? あばよ兄ちゃんっ。

去る。

不二男 なんだ、ありゃあ…。

呆気にとられて見送る。と、投入完了のベル。そそくさとデータ記録する。時計見る。続いて受話器取り、自然な動作でポケットからサイコロ出し、振って、ボタン押し、また振って、またボタン押しして、外線電話かける。――それは、駆の住むガソリンスタンドの、黒い共同電話につながった。夜明け前、誰もいない。受話器を首に挟んだまま、ガオリンと呼ばれる起重機、操作する。照明がまた左から右へ、縞模様に不二男をなめる…。鳴り続けるベルに怒りながら、あらわな姿の稲、らせん階段下りて来る。

稲 (取って)うるさいわね、何時だと思ってんのよっ。
不二男 稲。
稲 不二男…?!
不二男 今晩は。
稲 (固く)探したのね。――どうするつもり。
不二男 何だ、懐かしがらないのか。
稲 不意打ちじゃあね。どうやって調べたの。
不二男 適当に掛けたら君が出たんだ。運が良かった。
稲 ふざけんじゃないわ。
不二男 横浜のどこかにいるとは思っていた。そんならダイアルの組み合わせはぐっと減るよ。
稲 あんたは。
不二男 逗子の池子の森にいる。夜勤の最中だよ。
稲 (苛々して)どうやって調べたのよ。
不二男 信じないんだな? こうさ。俺はガオリンを、十分に一度操作する。データを記入すればしばらく休みだ。その度ごとにダイスを振って、色んな番号を廻してみたわけさ。もう千人以上の縁もゆかりもない連中と話をした。稲、と取り敢えず話しかけてみる。返辞は様々だ。老若男女喜怒哀楽、すこぶる妙な気持ちだよ。千人の稲。それがひとり残らず人違いでも、誰もがきっと返辞をする。はい私ですと答えた奴までいたぜ。スナック「稲」にかかったこともある。
稲 バカじゃないの。男も年寄りも見境なしね。
不二男 そうさ、記憶の君はだんだん形を変えてふくらんで、もう若い女かどうかもあやしくなっていた。ああ、以前君はよくフジツボになりたいといっていた。そんな時、君は既に人ですらないもののようだった。
稲 またあの度しがたい屁理屈か。変わらないね、あんた。
不二男 その屁理屈も繰り返せばこうやって正解に行きあたることもあるってことだな。却ってこっちがびっくりだ、諦めかけてたからなあ。
稲 つまり、よりを戻したいわけね。
不二男 結論を急ぐなよ。それに質問ばかりしてないでもいいじゃないか。
稲 あんたのペースに巻き込まれて話すのはもう真っ平なのよ! せっかく切れたんだから、近寄らないでくれる?
不二男 図々しいと思うなら切るがいい。誓ってもいいが今のダイアルは偶然で、俺は番号を覚えていない。君が切ればこれ切りだよ、今度こそ、会うこともあるまい。
稲 待って。それなら、訊きたいことがひとつあるわ。
不二男 うれしいね。こっちは何時間でもオーケーさ。
稲 そんなにはいらない、気詰まりな差し向かいはいやというほどあったから。電話は用件だけの差し向かいになれて、いいね。
不二男 実用的だな。
稲 …まだあの部屋にいるの?
不二男 いや、出たよ。今は俺の記憶の中だけに。
稲 (ひとり)…やっぱり反芻してんだ、こいつ!
不二男 訊きたいことって?
稲 ――もう、いいや。
不二男 何だよそれ。
稲 訊いても訊かなくても結局おんなじことさ!
不二男 相変わらずだな。俺にぁちっとも分からないじゃないか。
稲 そうさ。悪かったね身勝手で。昔なら話せたけどね。あんたを信じられなくなったのが不幸よ。しょせん一緒にゃやってけないんだ。
不二男 分かってるさ…。
稲 (急に)そうだ。今、あたしが誰と住んでるか分かる?
不二男 知るわけないだろう。
稲 美少年よお、十五歳の。ドーテーだったの。どう、妬く?
不二男 (落ちついて)人並にね。
稲 幻滅でしょ?
不二男 好きにしなよ、稲。
稲 (ひとり)お高くとまりやがって、このプチブルが。見てな。(叫ぶ)カケルーっ。駆、一寸下りてきて、電話に出てよ。――ねえったらぁ!

近所の人が「推橿亜(よにょが) 獣塊君(しっくろ)!(うっせえぞ、このアマ)」と怒鳴る。







8/→ http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=63544184&id=1943428495
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