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2015年06月23日09:48
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007 神曲 2/
駆 ――両手にバラ。ふざけろよ、もう。
ラスコリニコフの腕を持ち上げてみると半眼にしてもうぐったりと生気もない。駆、迷うが、ここは急場と先に稲にまたがりたどたどしく心臓マッサージを始める。
駆 僕たちにはたったひとつの死に方しか許されていないのでしょうか。僕は断じて生きつづけます。あなた、どうして飛びこんだんです。事情があったのかもは知れないけれど、命をあぶく銭みたいに捨てるほど苦しんでいたんですか、一体？（稲、身動きする。寝ぼけたように「ううーん」ともいう）一度死にはぐった者は死の貯金が切れてもう死ねなくなるそうです。あなたはもう生きつづけなくてはならない。哀れですね。
稲 （蘇生して）ここは――、フジツボの国？
駆 フジツボ？ いいえ、ここは竜宮城ではありません。
稲 それじゃ夢だったのか。夢なら続けばよかったに。
駆 何故なんです。
稲 何故て。
駆 何が面白くて飛び込んだんです。
稲 落ちただけよ。
駆 落ちた？ でもっ。
稲 どうしてわざわざ死ぬことがあるの。（あくびした）
駆 それはこっちが訊きたい。
稲 変な子ね。サンキュね、助けてくれて。
駆 僕じゃありません。
稲 でもお上手でしたことよ。
駆 介抱だけです。濡れてないでしょほら。
稲 ズボンだけね。
駆 これは、またがったから今。
稲 またがったの？ 今。
駆 あ、いえ。
稲 （色っぽく）のしかかったの、今？
駆 （殊勝に）済んませんっ。
稲 ムラムラっときたでしょう。舌入れたくならなかった。
駆 （飛び退き）不潔っ。
稲 あはは。何してもよかったのに。
駆 それどころじゃありません。あんた露地男の何なんです。
稲 何でもないよ。
駆 何かではあるでしょう、礼だと思って教えて下さい。
稲 どうしてそんな、知りたいの。
駆 あんたがなんか、イヤなんです。
稲 シットしてるわけか。分かった、そんじゃ教えてやんない。――なあんてね。頭にくる？
駆 心頭に発します。
稲 介抱しなきゃよかった？
駆 ええっ。
稲 下らない女だと思うでしょう。
駆 そうはいいません。
稲 下らない女なの。やり切れなくなって、部屋を捨ててきたんだ。小便横丁の二メートル平方に埋もれてグチグチ腐ってくのはいやでさ。といってやることもないし、いっそ海に身を投げて――。
駆 やっぱりわざとじゃないか。
稲 でもあの防波堤に立つまで、自分が本当にそれをするのかどうかまるで見当もつかなかった。飛びこんだとしても、それ、飛びこまないこととどれだけ違うのか分かんなかったのね。生きることと死ぬことと。死んでるみたいに生きるより、生きていたとはっきりさせるために死んだほうがマシかな、とかね。
駆 そんな、だってそれはことばの遊びでしょう。本当に悩んでたんですか？
稲 分かってんだね。結局死なないよ、人は中々、死なないものなのよ。
駆 露地男に止められたんですね。
稲 うん。絶妙のタイミングで現われてね。
駆 そういう人なんです。いつも僕よりずっと先を走ってるんです。僕にとってはまるで時計です。
稲 そういう所あるね。
駆 …親しいな！
稲 もう古いのよ。
駆 （ひとり）僕はシットしている。こんな女に負けてる自分のナサケナサ。でも負けてるって何が？ くそう挫けないぞ、ちょっと、頭冷やしてきます。
稲 （初めてラスコリニコフ見つけ）これっ、どうしたの？
駆 もう駄目でしょう、傷が深くて。
稲 アンビュランスは？
駆 呼びました。
稲 まさか、露地男が？
駆 まさか。…下らなくない女です。
駆、去る。稲、ラスコのポケットから手帳がこぼれているのを見つける。
稲 鹿島浦中学三年三組、玄未散(ひょん・みさん)。え、韓国人か。――きれえな顔。
海を渡って、汽笛が聞こえる。と、そこは、あの二メートル平方のアパート。不二男がもの憂げに、大学から帰ってくる。
稲 （明るく）お帰りなさい。
不二男 只今。
稲 どうしたの、クライよ？
不二男 いや…何でもない。
稲 あ、うちも暗いんだ。電球切れちゃったの。
不二男 ああ。買ってこなかった？
稲 それが、考えたんだけど、蛍光灯にしよっか。
不二男 ああ。
稲 好きじゃない？
不二男 そんなことないけど。
稲 じゃあ、明日でも買いに出よう、相談しようと思って待ってたの。ね、どうしたの。変だよ、考え込んで。
不二男 曽根がね、隊に入るって。
稲 …隊に！
不二男 海自で黄海の領海警備を希望するってさ。
稲 そんな…どうしてよ。
不二男 どうしてか俺も訊いたんだが、どうも妙なんだ。
稲 妙って？
不二男 あいつ、よく考えてるんだ。よく考えているのにどうして結論が入隊になるのか、俺にはちっとも解せない。こうなんだ。一回生になってすぐの六月、俺と那山と曽根と三人、何とか十人並と違った生き方を選ぼうと志を立てたろう。この経済の潰れかかった世の中で、会社員にしかなれない就職活動なんかして何になる、真っ平だとね。ところが考えてみると、自分のしたいことをしたいようにして、それを職にまで引っ張り上げるってこと自体が所得の多さに依存してはじめてできることだったんで、ここまでグズグズになっちまった今の日本ではそんなこと、ほとんど無理に思えてきた。軍も企業も政府も、すべて上から潰れていくんだもんなあ？ 経済はやっぱり幻想だったんだなあ！ 那山みたいに芸人になろうってのは天性のもんだからやればいい。俺ら凡人にはどんな道があるか、曽根とふたり――あ、君もだが――これにはかなり悩んだよね。なるほど紛争続きのせいでひと頃よりは商店街も明るくなったさ。でも、あぶくじみた特需なんかに惑わされぬ、できるだけ経済の流れに巻きこまれない道、仕事のための仕事でなく、ある自分なりの目的のために選びとる道、それが職能というものの本来の姿だと思うんで、それを探したいんだ俺は。曽根もそういった。いったはいった。ところがあいつはこう続けるんだ。「だが俺たちは鋭くひとつの道を選べる程の強さを果たして持っているのだろうか？ ある程度でも、努力をむけるベクトルを持ってるなんていえるんだろうか。一発的中の機会を待って逡巡しているうちに一度しかないチャンスを逃してしまうような甘っちょろいことになったら人生どうなる？ 俺はもっと垂直でありたい、不二男のように叙述的にでもなく、那山のように溌剌と諷刺家であろうとするのでもなく、ただ垂直に、一本の竹のように立ってみたい」――こうさ。そのために入隊するっていうんだ、どう思う？ 奴のいってることは、要するに「専門」ということだろう。だが専門に向かうのではなく、専門のために生活をマイナスに向けようとする考えじゃないか？ 誠実だけど、成功しないんじゃないか？ かなり危険だと思うんだ。
稲 自衛隊にロマンはないかもね。それを見るだけでも、いいかも知れないよ。
不二男 理解するんだな君は。…俺は口ばかりで、一番ぐずぐずしているなあ。
稲 あなたたち皆、ロマンティストだから。この時間が続くといいなあ…。ね、今日の夕刊、買ったんだけど。
不二男 うん？
稲 これ、新しい化石が見つかったって。
不二男 化石？（読んで）中央アジアのキルギスで先年発見された化石から、恐竜類の祖先だったと考えられる太古の爬虫類の一種に、現在の生物には一切見られない奇妙な器官があったことが分かった、とシンガポール国立大学のテリー・ジョーンズ博士らが二十四日発行の台湾科学雑誌サイエンス・チャイナに発表した。異常とも思える発達をとげたこの器官の発見は、中生代三畳期には空中を浮遊するタイプの生物が地球上に存在した可能性を示しており、証明されれば古生物学上最大の発見になるだろう、と同博士は昂奮を隠さない。――何だい、これ。
稲 トカゲのね、背中に――そこに絵があるでしょ――四つ足の他に、ウロコが変化した九枚のぴらぴらがあるんだって。
不二男 ええ、これで空に浮いた？ ほんとかなあ。…それに九枚って奇数じゃないか、体が非対称ってこと？
稲 これがほんとだったとして、もし、このロン、ロマン…、
不二男 （読んで）ロンギスクアマ。
稲 が、今まで生き残ってきたとしたら…。
不二男 空は今、おかしな爬虫類で一杯だ、ってわけか。稲。
稲 ん？
不二男 君も負けずに空想家だなあ。
稲 うん…曽根さんのに、近いのかな。
不二男 そうかな。
稲 うん、どこかね…乾いてるの、わらみたいに。
もう一度、汽笛。再びアパートの部屋。不二男がさっぱりして風呂から帰ってくる。
稲 （暗く）お帰り。
不二男 うん。どうしたんだ、電気。
稲 別に。つけないでね。
不二男 どうして。
稲 嫌いなのよ、蛍光灯ってまぶしくて。
不二男 そうか、キンキンするしなあ。今度電球に換えるか。
稲 今換えましょう。
不二男 今？ でももうどこも閉ってるよ。終夜営業は最近はイカン、財布の紐は締めろとさ。
稲 蛍光灯、嫌いなの。
不二男 なら点けずにおくさ。
稲 買いに出よう。
不二男 開いてないってば。
稲 ここに座ってるの？ 寝るまで？ 何ができるの。
不二男 話ができるさ。
稲 町へ行きたいっ。
不二男 …いいよ、出よう。外でめしでも食おう。
稲 うん。
不二男 さ、俺はすぐ出られるよ。どうしたんだ？
稲 ごめん、行きたくない。
不二男 どうしたのさ。
稲 何でもないの。わがままなだけ。
不二男 機嫌悪いんだな。
稲 そう、機嫌悪いの。いつもでしょ。
不二男 何かあったのか。
稲 何もないってば。私機嫌の悪い女なのよ。
不二男 最近急にだね。
稲 前からだもん。ここへ来て段々ね。
不二男 …嫌いか。
稲 何が。あなたあ？ 馬鹿な質問ね。
不二男 馬鹿か。
稲 馬鹿っ、よ。好きとか嫌いとか、そんなこといってももう遅いのよ。
不二男 外行くぞ。
稲 厭よ。
不二男 ほら行こう。
稲 痛い痛い痛い！（振りほどき）行ってくればいいでしょ、ひとりで、もう一回風呂入ってきなさいよ。私の分も、竜一の分も。
不二男 そんなことで怒ってんの？ めし、どうするんだ。
稲 とっくに済んだよ。
不二男 嘘つけ。なあ…（肩に手をかけようとする）
稲 触らないで！
三たび、汽笛。
駆 （現れ）おかしい、誰も帰ってこないのはどうしてだろう。救急車まで来ない。人に頼ろうとしたのが間違いだったんだ、くそ。（ラスコリニコフ、抱き起こそうと）
稲 どうすんの。
駆 生きてたら、病院へ。
稲 死んでたら？
駆 軽々しくいうな。困るんだ死なれちゃ。
稲 運ぶ足もないくせに。
駆 生き返らせらあ、何としても。
稲 どうやって。舌入れて。
駆 殴るぞ。
稲 そうだ、入れてみな。治るかもよ。
駆 根拠が全然ないじゃないか。
稲 白雪姫見てみい。
駆 …そうか。
稲 キスしたことないんだろ。
駆 ばかっ。
稲 図星か。やっちゃえよ、男だろ。
駆 気絶してんのに卑怯だろ。それに死んでたら一生、夢に出るぞ。
稲 あたし、キスで生き返ったの、ふたりは知ってるよ。
駆 マジ？
稲 死にそうなんだろ、理屈コネてないでわらにすがってみろよ。
駆 せせ、接吻がわらか、ゼイタクだな。ラスコ、ごめん。（音楽 Nino Rota "Romeo & Juliet"）
♪この世に あるとき
夢は意味なさぬ とはいえ
おみなの うなじに
けやきは ふと 枝かげをおとす
ロマンティックな、冷たいキス。駆、顔を覆う。が、何事もない。
駆 ――生きろ。
稲 残念でした。わあタコ…あら…と思いきや、むしろまっ青よ？
駆 うう…。
稲 震えてるし。
駆 治るわけないだろう、考えてみれば！
稲 （平気で）ほんとね。
駆 この…。（辛うじて堪え）生き返ったふたりって、誰だ？
稲 絵本の白雪姫と、グリムの白雪姫。ははは！
駆 あんた最低だなっ。あっち行けよ、ばかっ。
稲 ごめんごめん。運ぶのね、手伝って進ぜよう。
駆 やめろよ。
稲 いいじゃん。
駆 放せ、触んな。
稲 まあまあ。ふふふ。
二人消えて無人となる。そこへ、今度はボロボロに暴行はたらかれた体の渦野、がくがくと登場。見回すが誰もいない。
渦野 連れて行かれたか…。
舌打ちして座り込み煙草に火点ける。紫煙、風に飛ばされる。
渦野 世の中はいつの間にか加速機のループに打ち出された陽電子のように回り始めている。誰にも見えないところで、過剰な足取りで。俺の目を節穴のままで終らせないためには飛び込まずにいられないメールストロームが目前にある。健康のために生協の豆乳を飲み始めた時にはまだ何も見えていなかった、用意された健康に迎合することの危険に気付いた日が最初の飛躍だった。問題は豆乳を飲むかどうかにあるのではない。毎日ピーカン三杯あけたって損なわれないだけの気力は決してレトルトの豆乳からは得られない。世の中に危険以外の道がありえるという錯覚を捨てるためには日本人は手遅れになりかかっている。渦野誠二は巻き込まれる人生を選ぶ。そう、何十年来続いている湘南ライダースのラップ争いに最近妙な動きが出ていることに気づいたのだ。連中が日の丸かかげるとしてもいつだって特に意味なんかはなかった筈だった。忌野清志郎が愛し合ってるかいと叫んだのと同じレヴェルのほほえましいナンセンス、それが奴らの日章旗だったものだ。だがいまや、奴らは一党の旗をどこか不潔な愛で愛しはじめたように思えてならない。冗談から駒、平べったい本末転倒だ。何かが腐ってきている、誰かが奴らを追跡しなければならない。放っておくには――危険は構わないが沈黙は不気味だから。俺は年代物のボルボを五万で買って、奴ら湘南挺身会の追走を目論むアンタッチャブルとなった。弱小グループ一寸法師のやる瀬ない立場は一緒になって江藤らを追って見た景色の中でひしひしと感じられた。感情の入り込む余地のないコンコンコオンッというエキゾーストの中で時速一五〇キロの世界はひとつの速度という光景に変わる。俺は速度そのものだ。風は止まりしんとして鏡の上をナイフのように辷って行くような数分、数秒。俺は一瞬、命を知らない者になる。その時だ、嗅いではいけない匂いを嗅いでしまった。前を行く挺身会の連中が振り落とす男の垢、畳と汗とザーメンの匂い。そいつは無理もないとしても、これは、この臭いは何だ、これは、誰かが白粉でも塗りたくっているのか…くさい…！ 気が遠くなった。辛うじて踏んだブレーキに振り回されて、ボルボはガードレールを突き破った。磯の大岩を木っ葉みじんにしてボルボは潮だまりに鼻面突っ込んで止まった。小ガニの踊る昏睡の中で、俺は激しく否定していた。奴らは間違っている！ 一寸法師の苦悩は正しい。江藤がセンターラインの果てに見ているものは以前とは確かに変わってきている。そこに真っ先に辿りつくために遮二無二走っていたかつての命知らずはたぶん、どこかの悪党と取引したのだ。速度が、別のぬかるんだ極楽のために消費されている。このままライダーでいるかどうか迷っているのが背中に出ているぜ。嘘があるんだ！ その日から、俺は奴らの敵になった。暴いてやる。計算づくで何かを達成しようとしている奴ら、愛という言葉を使わなければ愛を説明できない、からみ合わなければ愛を表現できない恋人たちのような臭気ふんぷん。そして奴らのスピードにまで生活を持ちこませようとするシステム！ 俺はシステムが嫌いだ。システムは人を鋭く巻き込みはしない、ただ、だらだらと取りこむだけだから。都合のいいことに、俺はまだ連中の間では名前のない男だ。トマトゲームに指名されることもない。──いやそれにしても今夜の海岸線はどうしたというのだろう。ひどい目に会わせやがって。機動隊でもなし。何の表情もなく冷静に殴りかかってきやがった。心理操作された警官隊？ まさか！
ドタドタドタと、さっきの甲が単身戻って来る。渦野に蹴爪づきはでに転倒する。がばと起き上がって身構える。
甲 この野郎ッ来やがれ。
渦野 どうした。
甲 ただやられねえぞ、犬め、こっちから行くぜっ。
渦野 落ち着け、俺を忘れたか。
甲 誰だ誰だってんだ。
渦野 俺だ。
甲 知らねえな。
渦野 フィリップ・マーロウだよ。
甲 知らねえってんだよ。
渦野 ほら、俺には顔がない…。それはそれとして、お前もやられたんだな。
甲 何い。
渦野 いつまでもびくついてるんじゃねえ！ 江藤と露地男が共にしくじる筈がない。妨害されたんだろう、あの黒兜の連中によ。さしずめ一番臆病者のお前だけ、逃げ足の速さで助かったってところか。災難だったな。
甲 何者なんだ？
渦野 ある時は片目の多羅尾伴内、ある時は小豆島の女教師。…まあいい、それで連中はどうした？ 助けがいるのか？
甲 何人かはな。
渦野 ひどいのか。
甲 まず全滅だよ、くそっ。黒兜の奴ら、予行演習みたいに整然と橋の入り口に並んで待ってやがった。畜生どもキビキビしやがって、けっ、本職のチームみたいに強えんだ。俺たちゃまるでフットボールのダミーさ。四〇〇�佞�らの単車をチャリンコみたいに蹴りたおしゃがる。もっとも総長は切り抜けたさ、それから露地男の野郎も蹴散らして通ってった。やっぱりあの人たちァすげえや。でも残された俺たちゃ、軒並み叩き落とされてアスファルト舐めた、そこへまたぞろ襲いかかる！ 鉄でも着てるみたいなんだ、太刀打ちできねえ。
渦野 そんなら二人は何故戻ってこない。海へドボンでもあるまい？
甲 それが…信じられるか？ 橋ができあがってるんだ。
渦野 ――馬鹿いえ、完成は二年後だぞ?! 第一プッ切れてなきゃトマトゲームになるまいが。
甲 俺だって魂げたさ！ とにかく道は続いてた、それだけよ。二人ともまっしぐらに行っちまった。
渦野 人工島へか。
甲 ああ。埋め立て現場のサーチライトが遠く見えた、多分そうだろうよ。
渦野 …面白い、まるでＳＦだな。自殺する娘たち、謎の黒兜、ありえない橋を渡ってゆく公道レーサーのヘッドども。何か特別なことが始まっているらしい。おい甲っ、人工島へ行くか。
甲 今夜は無理だ！ 行くなら行けよ、俺はいなかへ帰るぜ。
渦野 帰れアホ。
甲 アホとかいってんじゃねえ。
渦野 怒るなよ、どうせ貴様の出番はこれで終りだ。
甲 え！
渦野 最後まで名もなく去ってゆく傍役も都会には大勢必要なのさ。青春18切符、分けたげようか？
甲 ばかやろうっ。
渦野 凡庸な捨てゼリフ。甲ちゃん、傍役っぽぉい。さらば冬のエキストラ、そうして、吹けよ、歴史の風！
突風おこり、甲飛ばされる。
3/→ http://
ラスコリニコフの腕を持ち上げてみると半眼にしてもうぐったりと生気もない。駆、迷うが、ここは急場と先に稲にまたがりたどたどしく心臓マッサージを始める。
駆 僕たちにはたったひとつの死に方しか許されていないのでしょうか。僕は断じて生きつづけます。あなた、どうして飛びこんだんです。事情があったのかもは知れないけれど、命をあぶく銭みたいに捨てるほど苦しんでいたんですか、一体？（稲、身動きする。寝ぼけたように「ううーん」ともいう）一度死にはぐった者は死の貯金が切れてもう死ねなくなるそうです。あなたはもう生きつづけなくてはならない。哀れですね。
稲 （蘇生して）ここは――、フジツボの国？
駆 フジツボ？ いいえ、ここは竜宮城ではありません。
稲 それじゃ夢だったのか。夢なら続けばよかったに。
駆 何故なんです。
稲 何故て。
駆 何が面白くて飛び込んだんです。
稲 落ちただけよ。
駆 落ちた？ でもっ。
稲 どうしてわざわざ死ぬことがあるの。（あくびした）
駆 それはこっちが訊きたい。
稲 変な子ね。サンキュね、助けてくれて。
駆 僕じゃありません。
稲 でもお上手でしたことよ。
駆 介抱だけです。濡れてないでしょほら。
稲 ズボンだけね。
駆 これは、またがったから今。
稲 またがったの？ 今。
駆 あ、いえ。
稲 （色っぽく）のしかかったの、今？
駆 （殊勝に）済んませんっ。
稲 ムラムラっときたでしょう。舌入れたくならなかった。
駆 （飛び退き）不潔っ。
稲 あはは。何してもよかったのに。
駆 それどころじゃありません。あんた露地男の何なんです。
稲 何でもないよ。
駆 何かではあるでしょう、礼だと思って教えて下さい。
稲 どうしてそんな、知りたいの。
駆 あんたがなんか、イヤなんです。
稲 シットしてるわけか。分かった、そんじゃ教えてやんない。――なあんてね。頭にくる？
駆 心頭に発します。
稲 介抱しなきゃよかった？
駆 ええっ。
稲 下らない女だと思うでしょう。
駆 そうはいいません。
稲 下らない女なの。やり切れなくなって、部屋を捨ててきたんだ。小便横丁の二メートル平方に埋もれてグチグチ腐ってくのはいやでさ。といってやることもないし、いっそ海に身を投げて――。
駆 やっぱりわざとじゃないか。
稲 でもあの防波堤に立つまで、自分が本当にそれをするのかどうかまるで見当もつかなかった。飛びこんだとしても、それ、飛びこまないこととどれだけ違うのか分かんなかったのね。生きることと死ぬことと。死んでるみたいに生きるより、生きていたとはっきりさせるために死んだほうがマシかな、とかね。
駆 そんな、だってそれはことばの遊びでしょう。本当に悩んでたんですか？
稲 分かってんだね。結局死なないよ、人は中々、死なないものなのよ。
駆 露地男に止められたんですね。
稲 うん。絶妙のタイミングで現われてね。
駆 そういう人なんです。いつも僕よりずっと先を走ってるんです。僕にとってはまるで時計です。
稲 そういう所あるね。
駆 …親しいな！
稲 もう古いのよ。
駆 （ひとり）僕はシットしている。こんな女に負けてる自分のナサケナサ。でも負けてるって何が？ くそう挫けないぞ、ちょっと、頭冷やしてきます。
稲 （初めてラスコリニコフ見つけ）これっ、どうしたの？
駆 もう駄目でしょう、傷が深くて。
稲 アンビュランスは？
駆 呼びました。
稲 まさか、露地男が？
駆 まさか。…下らなくない女です。
駆、去る。稲、ラスコのポケットから手帳がこぼれているのを見つける。
稲 鹿島浦中学三年三組、玄未散(ひょん・みさん)。え、韓国人か。――きれえな顔。
海を渡って、汽笛が聞こえる。と、そこは、あの二メートル平方のアパート。不二男がもの憂げに、大学から帰ってくる。
稲 （明るく）お帰りなさい。
不二男 只今。
稲 どうしたの、クライよ？
不二男 いや…何でもない。
稲 あ、うちも暗いんだ。電球切れちゃったの。
不二男 ああ。買ってこなかった？
稲 それが、考えたんだけど、蛍光灯にしよっか。
不二男 ああ。
稲 好きじゃない？
不二男 そんなことないけど。
稲 じゃあ、明日でも買いに出よう、相談しようと思って待ってたの。ね、どうしたの。変だよ、考え込んで。
不二男 曽根がね、隊に入るって。
稲 …隊に！
不二男 海自で黄海の領海警備を希望するってさ。
稲 そんな…どうしてよ。
不二男 どうしてか俺も訊いたんだが、どうも妙なんだ。
稲 妙って？
不二男 あいつ、よく考えてるんだ。よく考えているのにどうして結論が入隊になるのか、俺にはちっとも解せない。こうなんだ。一回生になってすぐの六月、俺と那山と曽根と三人、何とか十人並と違った生き方を選ぼうと志を立てたろう。この経済の潰れかかった世の中で、会社員にしかなれない就職活動なんかして何になる、真っ平だとね。ところが考えてみると、自分のしたいことをしたいようにして、それを職にまで引っ張り上げるってこと自体が所得の多さに依存してはじめてできることだったんで、ここまでグズグズになっちまった今の日本ではそんなこと、ほとんど無理に思えてきた。軍も企業も政府も、すべて上から潰れていくんだもんなあ？ 経済はやっぱり幻想だったんだなあ！ 那山みたいに芸人になろうってのは天性のもんだからやればいい。俺ら凡人にはどんな道があるか、曽根とふたり――あ、君もだが――これにはかなり悩んだよね。なるほど紛争続きのせいでひと頃よりは商店街も明るくなったさ。でも、あぶくじみた特需なんかに惑わされぬ、できるだけ経済の流れに巻きこまれない道、仕事のための仕事でなく、ある自分なりの目的のために選びとる道、それが職能というものの本来の姿だと思うんで、それを探したいんだ俺は。曽根もそういった。いったはいった。ところがあいつはこう続けるんだ。「だが俺たちは鋭くひとつの道を選べる程の強さを果たして持っているのだろうか？ ある程度でも、努力をむけるベクトルを持ってるなんていえるんだろうか。一発的中の機会を待って逡巡しているうちに一度しかないチャンスを逃してしまうような甘っちょろいことになったら人生どうなる？ 俺はもっと垂直でありたい、不二男のように叙述的にでもなく、那山のように溌剌と諷刺家であろうとするのでもなく、ただ垂直に、一本の竹のように立ってみたい」――こうさ。そのために入隊するっていうんだ、どう思う？ 奴のいってることは、要するに「専門」ということだろう。だが専門に向かうのではなく、専門のために生活をマイナスに向けようとする考えじゃないか？ 誠実だけど、成功しないんじゃないか？ かなり危険だと思うんだ。
稲 自衛隊にロマンはないかもね。それを見るだけでも、いいかも知れないよ。
不二男 理解するんだな君は。…俺は口ばかりで、一番ぐずぐずしているなあ。
稲 あなたたち皆、ロマンティストだから。この時間が続くといいなあ…。ね、今日の夕刊、買ったんだけど。
不二男 うん？
稲 これ、新しい化石が見つかったって。
不二男 化石？（読んで）中央アジアのキルギスで先年発見された化石から、恐竜類の祖先だったと考えられる太古の爬虫類の一種に、現在の生物には一切見られない奇妙な器官があったことが分かった、とシンガポール国立大学のテリー・ジョーンズ博士らが二十四日発行の台湾科学雑誌サイエンス・チャイナに発表した。異常とも思える発達をとげたこの器官の発見は、中生代三畳期には空中を浮遊するタイプの生物が地球上に存在した可能性を示しており、証明されれば古生物学上最大の発見になるだろう、と同博士は昂奮を隠さない。――何だい、これ。
稲 トカゲのね、背中に――そこに絵があるでしょ――四つ足の他に、ウロコが変化した九枚のぴらぴらがあるんだって。
不二男 ええ、これで空に浮いた？ ほんとかなあ。…それに九枚って奇数じゃないか、体が非対称ってこと？
稲 これがほんとだったとして、もし、このロン、ロマン…、
不二男 （読んで）ロンギスクアマ。
稲 が、今まで生き残ってきたとしたら…。
不二男 空は今、おかしな爬虫類で一杯だ、ってわけか。稲。
稲 ん？
不二男 君も負けずに空想家だなあ。
稲 うん…曽根さんのに、近いのかな。
不二男 そうかな。
稲 うん、どこかね…乾いてるの、わらみたいに。
もう一度、汽笛。再びアパートの部屋。不二男がさっぱりして風呂から帰ってくる。
稲 （暗く）お帰り。
不二男 うん。どうしたんだ、電気。
稲 別に。つけないでね。
不二男 どうして。
稲 嫌いなのよ、蛍光灯ってまぶしくて。
不二男 そうか、キンキンするしなあ。今度電球に換えるか。
稲 今換えましょう。
不二男 今？ でももうどこも閉ってるよ。終夜営業は最近はイカン、財布の紐は締めろとさ。
稲 蛍光灯、嫌いなの。
不二男 なら点けずにおくさ。
稲 買いに出よう。
不二男 開いてないってば。
稲 ここに座ってるの？ 寝るまで？ 何ができるの。
不二男 話ができるさ。
稲 町へ行きたいっ。
不二男 …いいよ、出よう。外でめしでも食おう。
稲 うん。
不二男 さ、俺はすぐ出られるよ。どうしたんだ？
稲 ごめん、行きたくない。
不二男 どうしたのさ。
稲 何でもないの。わがままなだけ。
不二男 機嫌悪いんだな。
稲 そう、機嫌悪いの。いつもでしょ。
不二男 何かあったのか。
稲 何もないってば。私機嫌の悪い女なのよ。
不二男 最近急にだね。
稲 前からだもん。ここへ来て段々ね。
不二男 …嫌いか。
稲 何が。あなたあ？ 馬鹿な質問ね。
不二男 馬鹿か。
稲 馬鹿っ、よ。好きとか嫌いとか、そんなこといってももう遅いのよ。
不二男 外行くぞ。
稲 厭よ。
不二男 ほら行こう。
稲 痛い痛い痛い！（振りほどき）行ってくればいいでしょ、ひとりで、もう一回風呂入ってきなさいよ。私の分も、竜一の分も。
不二男 そんなことで怒ってんの？ めし、どうするんだ。
稲 とっくに済んだよ。
不二男 嘘つけ。なあ…（肩に手をかけようとする）
稲 触らないで！
三たび、汽笛。
駆 （現れ）おかしい、誰も帰ってこないのはどうしてだろう。救急車まで来ない。人に頼ろうとしたのが間違いだったんだ、くそ。（ラスコリニコフ、抱き起こそうと）
稲 どうすんの。
駆 生きてたら、病院へ。
稲 死んでたら？
駆 軽々しくいうな。困るんだ死なれちゃ。
稲 運ぶ足もないくせに。
駆 生き返らせらあ、何としても。
稲 どうやって。舌入れて。
駆 殴るぞ。
稲 そうだ、入れてみな。治るかもよ。
駆 根拠が全然ないじゃないか。
稲 白雪姫見てみい。
駆 …そうか。
稲 キスしたことないんだろ。
駆 ばかっ。
稲 図星か。やっちゃえよ、男だろ。
駆 気絶してんのに卑怯だろ。それに死んでたら一生、夢に出るぞ。
稲 あたし、キスで生き返ったの、ふたりは知ってるよ。
駆 マジ？
稲 死にそうなんだろ、理屈コネてないでわらにすがってみろよ。
駆 せせ、接吻がわらか、ゼイタクだな。ラスコ、ごめん。（音楽 Nino Rota "Romeo & Juliet"）
♪この世に あるとき
夢は意味なさぬ とはいえ
おみなの うなじに
けやきは ふと 枝かげをおとす
ロマンティックな、冷たいキス。駆、顔を覆う。が、何事もない。
駆 ――生きろ。
稲 残念でした。わあタコ…あら…と思いきや、むしろまっ青よ？
駆 うう…。
稲 震えてるし。
駆 治るわけないだろう、考えてみれば！
稲 （平気で）ほんとね。
駆 この…。（辛うじて堪え）生き返ったふたりって、誰だ？
稲 絵本の白雪姫と、グリムの白雪姫。ははは！
駆 あんた最低だなっ。あっち行けよ、ばかっ。
稲 ごめんごめん。運ぶのね、手伝って進ぜよう。
駆 やめろよ。
稲 いいじゃん。
駆 放せ、触んな。
稲 まあまあ。ふふふ。
二人消えて無人となる。そこへ、今度はボロボロに暴行はたらかれた体の渦野、がくがくと登場。見回すが誰もいない。
渦野 連れて行かれたか…。
舌打ちして座り込み煙草に火点ける。紫煙、風に飛ばされる。
渦野 世の中はいつの間にか加速機のループに打ち出された陽電子のように回り始めている。誰にも見えないところで、過剰な足取りで。俺の目を節穴のままで終らせないためには飛び込まずにいられないメールストロームが目前にある。健康のために生協の豆乳を飲み始めた時にはまだ何も見えていなかった、用意された健康に迎合することの危険に気付いた日が最初の飛躍だった。問題は豆乳を飲むかどうかにあるのではない。毎日ピーカン三杯あけたって損なわれないだけの気力は決してレトルトの豆乳からは得られない。世の中に危険以外の道がありえるという錯覚を捨てるためには日本人は手遅れになりかかっている。渦野誠二は巻き込まれる人生を選ぶ。そう、何十年来続いている湘南ライダースのラップ争いに最近妙な動きが出ていることに気づいたのだ。連中が日の丸かかげるとしてもいつだって特に意味なんかはなかった筈だった。忌野清志郎が愛し合ってるかいと叫んだのと同じレヴェルのほほえましいナンセンス、それが奴らの日章旗だったものだ。だがいまや、奴らは一党の旗をどこか不潔な愛で愛しはじめたように思えてならない。冗談から駒、平べったい本末転倒だ。何かが腐ってきている、誰かが奴らを追跡しなければならない。放っておくには――危険は構わないが沈黙は不気味だから。俺は年代物のボルボを五万で買って、奴ら湘南挺身会の追走を目論むアンタッチャブルとなった。弱小グループ一寸法師のやる瀬ない立場は一緒になって江藤らを追って見た景色の中でひしひしと感じられた。感情の入り込む余地のないコンコンコオンッというエキゾーストの中で時速一五〇キロの世界はひとつの速度という光景に変わる。俺は速度そのものだ。風は止まりしんとして鏡の上をナイフのように辷って行くような数分、数秒。俺は一瞬、命を知らない者になる。その時だ、嗅いではいけない匂いを嗅いでしまった。前を行く挺身会の連中が振り落とす男の垢、畳と汗とザーメンの匂い。そいつは無理もないとしても、これは、この臭いは何だ、これは、誰かが白粉でも塗りたくっているのか…くさい…！ 気が遠くなった。辛うじて踏んだブレーキに振り回されて、ボルボはガードレールを突き破った。磯の大岩を木っ葉みじんにしてボルボは潮だまりに鼻面突っ込んで止まった。小ガニの踊る昏睡の中で、俺は激しく否定していた。奴らは間違っている！ 一寸法師の苦悩は正しい。江藤がセンターラインの果てに見ているものは以前とは確かに変わってきている。そこに真っ先に辿りつくために遮二無二走っていたかつての命知らずはたぶん、どこかの悪党と取引したのだ。速度が、別のぬかるんだ極楽のために消費されている。このままライダーでいるかどうか迷っているのが背中に出ているぜ。嘘があるんだ！ その日から、俺は奴らの敵になった。暴いてやる。計算づくで何かを達成しようとしている奴ら、愛という言葉を使わなければ愛を説明できない、からみ合わなければ愛を表現できない恋人たちのような臭気ふんぷん。そして奴らのスピードにまで生活を持ちこませようとするシステム！ 俺はシステムが嫌いだ。システムは人を鋭く巻き込みはしない、ただ、だらだらと取りこむだけだから。都合のいいことに、俺はまだ連中の間では名前のない男だ。トマトゲームに指名されることもない。──いやそれにしても今夜の海岸線はどうしたというのだろう。ひどい目に会わせやがって。機動隊でもなし。何の表情もなく冷静に殴りかかってきやがった。心理操作された警官隊？ まさか！
ドタドタドタと、さっきの甲が単身戻って来る。渦野に蹴爪づきはでに転倒する。がばと起き上がって身構える。
甲 この野郎ッ来やがれ。
渦野 どうした。
甲 ただやられねえぞ、犬め、こっちから行くぜっ。
渦野 落ち着け、俺を忘れたか。
甲 誰だ誰だってんだ。
渦野 俺だ。
甲 知らねえな。
渦野 フィリップ・マーロウだよ。
甲 知らねえってんだよ。
渦野 ほら、俺には顔がない…。それはそれとして、お前もやられたんだな。
甲 何い。
渦野 いつまでもびくついてるんじゃねえ！ 江藤と露地男が共にしくじる筈がない。妨害されたんだろう、あの黒兜の連中によ。さしずめ一番臆病者のお前だけ、逃げ足の速さで助かったってところか。災難だったな。
甲 何者なんだ？
渦野 ある時は片目の多羅尾伴内、ある時は小豆島の女教師。…まあいい、それで連中はどうした？ 助けがいるのか？
甲 何人かはな。
渦野 ひどいのか。
甲 まず全滅だよ、くそっ。黒兜の奴ら、予行演習みたいに整然と橋の入り口に並んで待ってやがった。畜生どもキビキビしやがって、けっ、本職のチームみたいに強えんだ。俺たちゃまるでフットボールのダミーさ。四〇〇�佞�らの単車をチャリンコみたいに蹴りたおしゃがる。もっとも総長は切り抜けたさ、それから露地男の野郎も蹴散らして通ってった。やっぱりあの人たちァすげえや。でも残された俺たちゃ、軒並み叩き落とされてアスファルト舐めた、そこへまたぞろ襲いかかる！ 鉄でも着てるみたいなんだ、太刀打ちできねえ。
渦野 そんなら二人は何故戻ってこない。海へドボンでもあるまい？
甲 それが…信じられるか？ 橋ができあがってるんだ。
渦野 ――馬鹿いえ、完成は二年後だぞ?! 第一プッ切れてなきゃトマトゲームになるまいが。
甲 俺だって魂げたさ！ とにかく道は続いてた、それだけよ。二人ともまっしぐらに行っちまった。
渦野 人工島へか。
甲 ああ。埋め立て現場のサーチライトが遠く見えた、多分そうだろうよ。
渦野 …面白い、まるでＳＦだな。自殺する娘たち、謎の黒兜、ありえない橋を渡ってゆく公道レーサーのヘッドども。何か特別なことが始まっているらしい。おい甲っ、人工島へ行くか。
甲 今夜は無理だ！ 行くなら行けよ、俺はいなかへ帰るぜ。
渦野 帰れアホ。
甲 アホとかいってんじゃねえ。
渦野 怒るなよ、どうせ貴様の出番はこれで終りだ。
甲 え！
渦野 最後まで名もなく去ってゆく傍役も都会には大勢必要なのさ。青春18切符、分けたげようか？
甲 ばかやろうっ。
渦野 凡庸な捨てゼリフ。甲ちゃん、傍役っぽぉい。さらば冬のエキストラ、そうして、吹けよ、歴史の風！
突風おこり、甲飛ばされる。
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