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2015年06月22日17:30
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017 開放フードはずし2 2/
ゆう （冷静に）こうして父は、自分の空想のおもむくままに、両軍の数多くの騎士の名をあげていき、前代未聞の狂気による妄想にかられて、騎士たちの色とりどりの甲冑や盾、さらには盾に描かれた紋章や銘句を即興で述べたてては、なおも息を入れずに喋り続けたのです――（と外人口調）
コウ あの前方の軍勢にはさまざまな国の兵が馳せ参じておる。トロイアの高名なるクサント川の甘き水によって咽をうるおす者たち、アフリカはマシロスの野山を駆けめぐる者たち、豊かなアラビアの地でかくも純なる砂金を篩う者たち、カッパドキアの水清きテルモドンテ川の名にしおう爽涼な岸辺に憩う者たち、リディアの砂金に満ちたパクトルス川の水を、あの手この手を尽くして涸らしてしまった者たち…。
――よいかサンチョ、人並み以上のことをしなければ、人に優ることはできないのだぞ。今われらの身に立てつづけに降りかかっている嵐は、まもなく荒天がしずまって、われらが順風に帆を上げるようになる前兆じゃて。なぜと申すに、良いことも悪いこともそうそう長続きするはずはないのであってみれば、われらにずいぶんと悪いことが続いた今、良いことがすぐ近くに来ておるに決まっているからじゃ。
ゆう 分かりましたご主人様。つまりはパッションですね。
コウ そーの通りじゃ。
ゆう わたくしめも、できる限りのお手伝いをさせて頂きとう存じます。
コウ よくぞいった、サンチョよ。
ゆう お前様のパッションを加速させ暴走させるべく、実は秘薬を用意してございます。
コウ ナニ、秘薬とな。
ゆう はい。名をジャワ語でバンバン・ナンデモスルヨの秘薬と申します。
コウ して、それは一体どんなものじゃ。
ゆう これでございます。
と、紙芝居の最後の一枚を引き抜くと、やはりそこには一丁のマーボ丼。
コウ なるほど。…辛そうじゃのう。
ゆう はい、それはもちろん。
コウ わしは辛いものはチト苦手なのじゃが。
ゆう だってお前様がご注文なすったんで。
コウ それはそうじゃが、なんか、普通より赤い気がするのじゃが、これはもしや、と、
ゆう と、と？
コウ と、と、
ゆう と、と申しますと。
コウ 特辛…ではないのかね。
ゆう 特辛？ ほ。ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほおほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ
コウ （止めて）ほっ。
ゆう ほ？
コウ （いさめて）ほう。
ゆう ほう。ほほほ、特辛がお嫌い。お上手な。あなた様の武勲は遠く海を超え蓬莱の島にまで聞こえておりまするぞ。まずは一口召しあがれ。
コウ うむ、では食すとするか。（食べる。ヤバイ）――まことに、燃えるような、パッション…（挫けて）…ぜえ、水。
ゆう はい、では、燃えるが如きテキーラを。（と、瓶にトウガラシ入ってるやつ）
コウ えええ…。
ゆう 何か？
コウ いや何でも、いただきましょう。（呑む。ヤバイ）ごーっ。ゴジラ都庁破壊、ぼーっ。
ゆう ま、ステキ。ぽ。
コウ 勇者たるのも大概なことじゃ。
ゆう ご謙遜を。では、そろそろ秘薬とまいりましょう。
コウ これ（マーボ）って、まだ、秘薬じゃなかったの?!
ゆう ほほ、おたわむれを。真打ちは、ホレ、ここに。
とマーボ丼の山の中から、巨大な赤唐辛子を引っぱり出した。
ゆう どうぞ。
コウ ――パス。
ゆう は？
コウ 無理。
ゆう はえ？
コウ 無理だろうこれは。
ゆう なぜ？
コウ 何故って、あんた。…ちょっと待て、その期待した目。何を何お期待しているのだね。いや、だから、そのキラキラ目。やめろって。やめ。違う、おれじゃない。おれのせいじゃない。おれを見るな。（サス入り、【Ｍ�Α曄�
三人出てきて、ダンスナンバー（やや長い）。
コウ （ダンスの途中で）…拒否したら、どうなるのです。
ゆう 拒否すれば、この世で、最も醜いものとなって、永遠に生きねば、
コウ わ、分かりました。食べますよ、モウ。
…ナンバー続く。やがてコウ、トンガラシ食ってあまりの辛さにエビぞりながらよろよろ去る（本当に超絶辛いブツを仕込むこと）。不意にゆう、今までのテンションとはうって変わった陰気で沈鬱な様子になり…、
ゆう ええ、そう…ほんと、すてきだわパパの演技…。娘のあたしでも、たまにうっとりしちゃうこともあるし…やっぱり、役者にふさわしいのは、パパの方よ。あたしの目に狂いはなかったわ。役者志願だと思っている娘のために、勇者役になりきって稽古の相手役をしてくれてるパパのために、あたしも俳優志願の従者の役をずっと演じてて、ほんと、正解だったわ。パパは、どんどんよくなってくる…とにかく、今のところはうまくいってるみたい。でも、ちょっと心配なのは…彼、いくら演技だとはいっても本気になりすぎちゃうと、何するか分からないところがあるし…変なことにならなければいいけど…。
オノレ （いて）なるともさ。（薄くスモーク）
ゆう （ぼうっと）え…。
オノレ 変なこと。
ゆう だれ…。
オノレ オノレだよ。
ゆう あたし…？
オノレ あたしじゃなくて、オノレさ。
ゆう あたしじゃないあたし…鏡のあたし？
オノレ （さえぎり）しっ。
ゆう …なに？
オノレ 聞かれる。滅多なことをいうんじゃない。
ゆう 別に、鏡の――
オノレ しっ。迂闊なことを話すんじゃない。
ゆう 何でよ。
オノレ しっ。（小声で）鏡はどれだけ本当を映す？
ゆう さあ…反対で、平らで、銀色で、冷たくて、薬の匂いがして…てんで現実とは似ていない。でも現実とそっくりで、何より――
オノレ 何より？
ゆう あっちへ入っていきたい。合わせ鏡。昔、母ちゃんの三面鏡を向かいあわせて、その間に入ったら、どこまでも続くあたしのトンネルができた。鏡と鏡とあたしだけ、ぐにゃり曲がって、緑がかった、暗くて饐えた匂いのする、ひっそり湿った長い長いトンネルできた。百人のあたし、千人かも知れない、そのあたしのあたしのあたしの向こうへ、ゆっくり、追いかけていきたくて…。あたし、鏡の間から、出てこられなくなった…。
オノレ 陰気だな。オノレはこう思う。（セミの声）――ジージーと、音をたてる夏の日の遠い蝉のしょんべん、ゴロンと寝転がった便器につまったかき氷、あの理科のエーテルの実験室で、いくたびプレパラートを割って頭をこづかれたことだろう。私は思うのであります。患った日本脳炎という炎の中で、天も地もまあるい鏡の中で暮らすことができたならば、ああ、このまま生きていてもいい。だから、このまま死んでしまいたい。
ゆう 何だ、まあるい鏡って。
オノレ 球の中が鏡になってるんです。
ゆう それで。
オノレ その中に、私は立っている。
ゆう どんな焦点を結ぶんだ。
オノレ 分からない。だから、このまま死んでしまいたい。それに較べておまえ！
ゆう 何だよ。
オノレ 貴様はちっとも分かっちゃいない。イエスノウで答えなさい。鏡は左右が逆になぁーる、イエスかノウか。
ゆう イエス。
オノレ ぶー。
ゆう なんで！
オノレ 何故かならば、見るに如かず。（とバッジ出し）これはお前の制服からくすねた�掲�Ｄ組のバッジ。
ゆう いつの間に。ストーカー。
オノレ あん。いい響き。ともあれこれを映してみろ。（とポンと投げ渡し、自分は手鏡）
ゆう （それに映し）あ。
オノレ どーおだね？
ゆう 上下が逆さになってる！ 景色の他のとこは左右なのに、バッジのとこだけ上下が逆に。
オノレ そうだ。これを光学の世界では発見者の名前をとって、裃(カミシモ)の法則という。…嘘だ。じゃかあしい！
ゆう なんもいってねえよ。
オノレ ともかくだ。左右が逆になるのではない。鏡によって逆になるのは――前後だ。（間）
ゆう ああ…。（感動してるのである）
オノレ ゆう。こだわり続けて生きるのか、こだわり棄てて生きるのか。酒井さんの話をしてやるからよくお聞き。
ゆう どの酒井さん？
オノレ 決まってンだろ、新潟のだッ。【Ｍ�А曄宗衆豢縅算闇�、「三八豪雪」と今も語り継がれる大雪が雪国を襲った。三メートル以上降り積もり、人々は二階から出入りした。酒井さんはその年、中学を卒業してから勤めていた電気店を辞め、一人で「酒井無線」を始めたばかりだった。テレビのアンテナが雪で次々倒れ、ついに在庫が尽きた。冬の間テレビしか楽しみがないのに、それが見られない。「お客さんはカッカカッカ来るわけですね」。毎年の冬の雪の量を予測できたら、必要なだけのアンテナを仕入れておけるのに。そう考えた酒井さんが着目したのが「寒試し」と呼ばれる、雪の量を占うためのさまざまな言い伝えだった。「モズのはやにえが高い場所にたくさんあるときは雪が多い」「イカのたくさん獲れる年は小雪」「ソバ、エダマメの伸びが速いときは雪が多い」そして「カマキリの巣が高いときには雪が多い」――カマキリは秋に卵を産み、親はすぐに死ぬ。卵は冬越しして春に孵る。親子の対面も果たせぬカマキリが、雪の深さを予測して、それより上に卵を産んでおくらしい。これはどういうことなのか。酒井さんは営業で外回りをするときに「立ちションついでに」カマキリの卵のうの位置を調べる作業を十年続けた。やはり、雪の多さと卵のうの高さは関係があるように思えた…。やがて積雪量を予測する冊子「雪を占う」を作り、官公庁の土木関係者などに配布し始めた。
――転機が訪れたのは一九九四年のことだった。「木にあった卵の高さを測ろうと思って左手を卵のあたりにあてて、メジャー持ってあたろうとしたら、手が震えている感じがしたんです」「カマキリ、カマキリと考えすぎてついに体調がおかしくなった」と慌てて車に戻り、ミラーで顔色を確かめたがいつも通りだった。もう一度木に触ってみた。やはり、木は卵のあたりだけ震動しているようだった。「カマキリは、木が送ってくれる震動をもとに、卵の位置を決めているのではないか」。神様が手の内をちらっと見せてくれた気がした。――その後、自ら開発した音響測定器《地獄耳》で、木の幹には一ヶ所だけ、他の部分よりも乾いていて震動の大きな箇所があることを見つけだした。その震動の周期は約10ヘルツ、実に地球の固有周波数８ヘルツにも迫る超低周波であった。木の震動最大点は地中の水分が少なければ高く、多ければ低くと移動しているようだった。おそらくその箇所を一種の「弁」にして水分調節をすることで、木は、乾燥から身を守っているらしい。夏から秋にかけての震動最大点と、カマキリの卵のうの高さ、さらに冬の最大積雪の深さは見事に一致していた。――気象研究家はもとより、昆虫学も植物学も電気力学も民俗学も――分業化された専門家たちの誰ひとりとしてたどりつくことのなかった発見はこうして、一介の商店のオヤジによって世に知らしめられたのである。――
ゆう、よく聞くんだ。しつこくやるということは、論理を明晰にすることではない。単純化などは西洋人の習慣に過ぎまい。公理の他に、転変自在な「微分」の思想も必要なのだ。建築のように、力学にのっとった大構造と、美学にのっとった装飾と、両方あってはじめてものごとは世界に立ちあらわれる。分業なんかやめておいたがいい、分業という善意は、結局、人を滅ぼす方向に行かざるをえないのだ。いいか、人も組織も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死、それだけよ。太陽のいつまでも燃えるしくみは、おそらくはあの巨大さ自体のなかにあるのだろう。ケーキのように小さく切りわけておのおのがもち帰ったなら、たちまちおきになって燃えつきてしまうに違いなかろう。ゆう、物事の総体にとり組むことを怖れてはならないのだ。
ゆう ――やりたいことは、すべてやれと。
オノレ しかり。
ゆう 辛くとも。
オノレ しかり。もの好きで辛い思いするのなぞは、要するに娯楽だろう。好きなことを選び取れるのは暮らしにゆとりがあるからだ。ではゆとりがなかったらどうなるか？ どうなると思う。
ゆう 生活に流されるばかり。
オノレ 違う。
ゆう じゃあ何だよ。
オノレ いずれ分かる。十年うちくらいに、段々分かってくるさ。
ゆう もったいぶって。知ってんならいえよ。
オノレ では一応いうが――問題は好き嫌いなんかじゃなく、やらざるを得ないかどうかなのだ。覚えがあるかね、妥協に妥協を重ねて、生活のほとんど全部を世界からの浸食に委ねてしまって、ホントの自分は一体どこにいるんだと思っても、心配はいらない。ホントにやりたいことだけ、内ポケットにしのばせて手放さないでおれば、心底全部流されちまうことはないのさ。
ゆう そのやりたいことってのが、なかったら？
オノレ 何かしらあるもんさ。
ゆう ない。
オノレ コウにはあるようだが？
ゆう 写真か…あたしは、ない、なあ…。
オノレ いずれ分かってくるのさ。
ゆう （しばし、真剣に思いあって）ねえ――じゃあ、やりたいことが…悪いことだったら？
オノレ ナニ？
ゆう やりたいことが、邪悪なことだったら？ どうするのさ？
オノレ …真面目に訊いてるな？
ゆう もちろん！
オノレ じゃあいうが、参考にはならないぜ。――やるベキだ。（フ、と消える）
ゆう 何だって？ やるべきなの？ おい、どこ行った、おい…！
風。立ちすくむ、ゆう。どこかで声。
声 非点収差は極楽ね。
声 非球面レンズは地獄ね。
ゆう 何いってんの？
声 鮮明な象を結ぶのと、
声 ボケ味を楽しむ古いレンズと、
声 ――どちらを選ぶ？
ゆう ええ？
声 ――どちらを選ぶ？
ゆう あたしは…性能のいい方を。
声たち 地獄だ！【Ｍ�─�
複数の黒づくめの仮面たち、客席などいたるところから現れる。「地獄だ、地獄だ、地獄だ…！」。そうして無理無体にゆうにたかり、恐怖と歓喜のただなかで彼女の衣服を引きむしると、その背中に巨大なヤケドが覗く。ゆっくりと花道よりオノレ。
オノレ おしおきだぞぉコレぇ…！
ゆう 助けて、父ちゃん、父ちゃぁん――！
黒い男女にたかられて、ゆう、見えなくなる。凶悪なロックかかり、スモークからシルエットで立ちあがり歌いだす、コウ。【Ｍ��、「刃」】
なめらかに圭角のとれた
かしこい小石を
思うさま 砕いてやりたい
砕かれて飛散する忍従を見たい
収拾できない破片の上に
呆然と立つ恥辱を見たい
むきだしにとんがった刃(やいば)からすべてを
はじめるようにしてやりたい
するどく他を傷つけ自らも傷つく刃から
すべてをはじめるようにしてやりたい
刃を自他に容赦しない 無数の石の
かけらの間から
新しい思索と生甲斐とが
苦痛と共に語りはじめられるのを
聞きたい
そして、これより主題に入る。悪について。悪と芸術について。
コウ どこで狂いだしたんだろう。君の送ってくれたハチの使者に、おれはどのつらさげて報告すればいいというのか。――いうもはばかられる、それはひと夜の夢だった。夢に浮かんだ一冊の薄っぺらな写真集。真っ黒の地に、何やらギザギザな横縞のたくさん引かれた白黒の表紙。それが、極端にコントラストを強調した夕暮れのさざ波だと気づくには少し時間がかかる。この画面、あまりに不穏で風のさやけさが感じられないのだ。題字は毛筆の白抜きで「幼光」――おさなきひかり。陰に籠もった攻撃を感じ、扉を開きかねて裏表紙を返すと、こちらはうって変わって穏やかな波打ちぎわをハーフトーンで写した精細な画面。砂浜の汀に半ば浪に漬かって、小さく、少女の裸体が横たわっている。それだけならばよくある綺麗なヌードだ。が。やがて君は気づく、その娘の首から上が、浪の下に隠れたままであることに。遺骸なのだ。このおだやかな画面には、変死体が写されているのだった。幼光――いったい何のことか。この悪意。ふた葉の写真はもはや、否応なく君の手を扉にかけさせるだろう。それが絶望の門であることはすぐには分からない。見開き第一葉は、木造の平屋建てが横たわる夏の田舎。砂の白さ、よじれた松や、さりげなく置き残されている綱や手桶や網などが、海辺であることを思わせる。それはおそらくはニシン番屋であるらしい。はるか北海道、植民地のいつかの夏…。次をめくると、これはまた明らかに内地の農家、黒びかりの柱と濡れ縁、ひっそりとやわらかな畳の暗さの奥に、巨大な仏壇が控え、ぼけた安手の金箔を着た弥勒仏がぼうっと見える。縁側には中学の制服を着た娘がいて、西瓜を片手に食べながら笑ってこっちを見ている。屋外は明るすぎて映像が飛んでしまい、よく見えない。次のページ。都市郊外の古い家作であるらしい。台所の流しは手狭なタイル張りで、ステンレスの普及する以前を思わせる。コップを洗っている一人の娘がいる。その生真面目な無表情。磨りガラスを通して静かな明るい戸外の気配がする。のらいぬの息づかいさえ聞こえてきそうな――。次のページ。岡の小さな峠にスダジイの木が覆いかぶさり、のり面にカバンを投げだして少女が地べたにしゃがんでいる。白黒の画面に真っ黒く群生して咲く彼岸花。毒々しい曼珠沙華に埋もれかかった丈(たけ)一尺ほどの道祖神を、娘は奇妙な目で見つめている。その瞳の黒さ。あるかなきかの頬笑み。――三人の少女の三葉の写真が、まずあった。どのショットにも家族や母親の姿はなかった。次のページ。木造校舎の講堂で、校歌斉唱する娘たち。それは先(セン)のニシン番屋をそのまま流用した私塾のようなものらしい。彼女らの開いた口も、もしや校歌ではなく校訓を復唱しているのかも知れない（よく分からない）。何しろその明るい表情。入学の喜び。故郷から切り離された瞬間の喜び。次のページ。沈みかけた夕陽にシルエットとなって、浜辺で九人漕ぎレガッタを提げ宿舎に帰る少女たち。ここはボートスクールなのだ。そのまるで労働のような喜びの、汗だく泥まみれな陰影…。次のページには人影はなく、粗い粒子の画面に落日のアップが拡大されて写されている。次。暗い番屋の板の間に、四つん這いで一列横隊に並んだ、後ろ姿の娘らの裸の尻。暗がりに青臭い果実が並ぶ。どさりと置かれた太い荒縄。突如の転落。次のページ。ブレブレに歪んで判然としないが、犯されながら苦痛と恐怖に引きつった、どれかの娘のアップらしい。と、夢の映像は合理化が働き、そのページが不意にカットされた。あまりの苦痛を見せること、おれか誰かが検閲して不許可としたのか。次のページ。酒池肉林。まだ日焼けも半端な娘たちを集団で犯す肌荒れした番屋の刺し子たち。それがボートスクールの教官どもなのか、それとも本来の刺し子たちなのかは判別できない。ただ、植民地における流刑労働としての刺し子がいたならば、より弱く、かつゆきずりの相手である娘らにこういう平手を食らわせたろうことは疑いえまい。次のページは…覚えていない。ただ、かの弥勒の仏壇に添えられた彼女の遺影を、爽やかな遺影を見たような…見た気がするだけの、嘘の記憶でもあるような…。
オノレ 毒ある草々、たっとい薬液をもった花々を、この楊の籠いっぱいに摘もう。この世に生きとし生けるもの、それがいかに有害なものであっても、効験あらたかならぬものはひとつとしてない。要は正しく用いることだ、活用次第で、時に悪も立派に役にたつのだ。どうだロミオ。巨悪に対しては、むろん我々はいやおうなく善だ。50年かけた韓国の民主化運動に明らかなように、弾圧が過酷であるほど民衆は自動的に善人としてカテゴライズされ、時に大同団結さえ夢みることができた。自分はあくまで間違っていない、という危うい仮説を確乎たるものにするため自称善人たちをつるませることになった巨悪の圧力は、実は、きわめて便利で有効な「敵」であったのだ。
だが、もうそういう考え方は止そうではないか。より理想的で現実的には、悪は、みずからの内にあるのだ。思えば一九九〇年までは、人類にはふたつの巨悪が相並んで立ちはだかっていたために、我々はどのように生きようとも、もう一方の巨悪の宣伝下にある民衆からの憎悪を避けえず、内なる悪、血、そのものの階級的悪を苛烈にかこち続けることができた。ところが、ソヴィエト政権が倒れ、中共・キューバ・ヴェトナムが軒なみ帝国主義陣営との取引関係に入った今となっては、我々を憎む民衆――南北緯20度ベルトに確かに実在する30億の憎悪――を紹介してくれる巨悪からの宣伝手段を、我らは失ったのだ。価値観の多様化？――それが自由を証明する？――嘘っぱちだ！ 資本主義のいう自由とは勝ちのこる自由でしかなく、他人を叩きのめし踏みつけて自分ひとり勝ちのこる自由に過ぎない。彼ら勝ち組にとって、価値観などはひとつしかないのだ。日本マクドナルド創業者藤田田(でん)の床の間の掛け軸の文句は――《弱肉強食》――おい、掛け軸だぜ？ こういう連中に日本の大衆はいいようにされているんだ。この15年間、日本の大衆に起こった出来事をただふたことにまとめるなら、それは実に価値観の一元化、売れるかどうかのみをバロメーターとする価値の均一化と、このことを覆いかくすために盛んに宣伝された「不気味な時代」のキャンペーン、現実逃避を促進し享楽主義をあおる「社会危機の神話」であった。――関西の大地震と、すぐ続いたΩ(オーム)教団による大量殺人、このことを利用しつつ何故か社会の責任を騒ぎたて「自分もその一員である」という回りくどい自虐意識を新聞世論に醸成することによって、大衆とりわけ少年層に、悪に荷担することへの安直なノスタルジーを流行させた。このアクロバット戦略により国民は思考停止に導かれたのである。以来10年。我らの二十代が置かれている状況は見る影もない無惨さだ。ここにはあたかも生物学の「種の保存のために個を犠牲にする本能」といった誤りを百日一日のように追いかけるがごとき、全体主義を好む資本からの執拗なデマゴギーが介入していた。だってどうだね。自分が悪であるかどうかを量る時、なにゆえわざわざ社会が悪であることを宣伝せねばならないのか？ 社会に責任転嫁せねば悪の本質を内面化することさえできないのが悪人の平均的意識であるなら、それは、たとえばコマーシャリズムによって空間と意識の隅々にまで購買生活を推しすすめてきた資本主義の自堕落と、どれほど違うというのか。デマゴギーでなくて、こうも大衆が低落していくということが有りえようか。
ざっくばらんにいえば、いま求められるのは、求めるべきなのは、大衆の自虐性を優しく包んでやるダーティ・ヒーローなどではなく、まさにその大衆からこそ憎悪の的となり、悪の本質をたった独りで背負いこんで立つ、極悪人の登場ではないのだろうか、ええ、マックイイーン。
コウ マックイイーン？
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コウ あの前方の軍勢にはさまざまな国の兵が馳せ参じておる。トロイアの高名なるクサント川の甘き水によって咽をうるおす者たち、アフリカはマシロスの野山を駆けめぐる者たち、豊かなアラビアの地でかくも純なる砂金を篩う者たち、カッパドキアの水清きテルモドンテ川の名にしおう爽涼な岸辺に憩う者たち、リディアの砂金に満ちたパクトルス川の水を、あの手この手を尽くして涸らしてしまった者たち…。
――よいかサンチョ、人並み以上のことをしなければ、人に優ることはできないのだぞ。今われらの身に立てつづけに降りかかっている嵐は、まもなく荒天がしずまって、われらが順風に帆を上げるようになる前兆じゃて。なぜと申すに、良いことも悪いこともそうそう長続きするはずはないのであってみれば、われらにずいぶんと悪いことが続いた今、良いことがすぐ近くに来ておるに決まっているからじゃ。
ゆう 分かりましたご主人様。つまりはパッションですね。
コウ そーの通りじゃ。
ゆう わたくしめも、できる限りのお手伝いをさせて頂きとう存じます。
コウ よくぞいった、サンチョよ。
ゆう お前様のパッションを加速させ暴走させるべく、実は秘薬を用意してございます。
コウ ナニ、秘薬とな。
ゆう はい。名をジャワ語でバンバン・ナンデモスルヨの秘薬と申します。
コウ して、それは一体どんなものじゃ。
ゆう これでございます。
と、紙芝居の最後の一枚を引き抜くと、やはりそこには一丁のマーボ丼。
コウ なるほど。…辛そうじゃのう。
ゆう はい、それはもちろん。
コウ わしは辛いものはチト苦手なのじゃが。
ゆう だってお前様がご注文なすったんで。
コウ それはそうじゃが、なんか、普通より赤い気がするのじゃが、これはもしや、と、
ゆう と、と？
コウ と、と、
ゆう と、と申しますと。
コウ 特辛…ではないのかね。
ゆう 特辛？ ほ。ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほおほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ
コウ （止めて）ほっ。
ゆう ほ？
コウ （いさめて）ほう。
ゆう ほう。ほほほ、特辛がお嫌い。お上手な。あなた様の武勲は遠く海を超え蓬莱の島にまで聞こえておりまするぞ。まずは一口召しあがれ。
コウ うむ、では食すとするか。（食べる。ヤバイ）――まことに、燃えるような、パッション…（挫けて）…ぜえ、水。
ゆう はい、では、燃えるが如きテキーラを。（と、瓶にトウガラシ入ってるやつ）
コウ えええ…。
ゆう 何か？
コウ いや何でも、いただきましょう。（呑む。ヤバイ）ごーっ。ゴジラ都庁破壊、ぼーっ。
ゆう ま、ステキ。ぽ。
コウ 勇者たるのも大概なことじゃ。
ゆう ご謙遜を。では、そろそろ秘薬とまいりましょう。
コウ これ（マーボ）って、まだ、秘薬じゃなかったの?!
ゆう ほほ、おたわむれを。真打ちは、ホレ、ここに。
とマーボ丼の山の中から、巨大な赤唐辛子を引っぱり出した。
ゆう どうぞ。
コウ ――パス。
ゆう は？
コウ 無理。
ゆう はえ？
コウ 無理だろうこれは。
ゆう なぜ？
コウ 何故って、あんた。…ちょっと待て、その期待した目。何を何お期待しているのだね。いや、だから、そのキラキラ目。やめろって。やめ。違う、おれじゃない。おれのせいじゃない。おれを見るな。（サス入り、【Ｍ�Α曄�
三人出てきて、ダンスナンバー（やや長い）。
コウ （ダンスの途中で）…拒否したら、どうなるのです。
ゆう 拒否すれば、この世で、最も醜いものとなって、永遠に生きねば、
コウ わ、分かりました。食べますよ、モウ。
…ナンバー続く。やがてコウ、トンガラシ食ってあまりの辛さにエビぞりながらよろよろ去る（本当に超絶辛いブツを仕込むこと）。不意にゆう、今までのテンションとはうって変わった陰気で沈鬱な様子になり…、
ゆう ええ、そう…ほんと、すてきだわパパの演技…。娘のあたしでも、たまにうっとりしちゃうこともあるし…やっぱり、役者にふさわしいのは、パパの方よ。あたしの目に狂いはなかったわ。役者志願だと思っている娘のために、勇者役になりきって稽古の相手役をしてくれてるパパのために、あたしも俳優志願の従者の役をずっと演じてて、ほんと、正解だったわ。パパは、どんどんよくなってくる…とにかく、今のところはうまくいってるみたい。でも、ちょっと心配なのは…彼、いくら演技だとはいっても本気になりすぎちゃうと、何するか分からないところがあるし…変なことにならなければいいけど…。
オノレ （いて）なるともさ。（薄くスモーク）
ゆう （ぼうっと）え…。
オノレ 変なこと。
ゆう だれ…。
オノレ オノレだよ。
ゆう あたし…？
オノレ あたしじゃなくて、オノレさ。
ゆう あたしじゃないあたし…鏡のあたし？
オノレ （さえぎり）しっ。
ゆう …なに？
オノレ 聞かれる。滅多なことをいうんじゃない。
ゆう 別に、鏡の――
オノレ しっ。迂闊なことを話すんじゃない。
ゆう 何でよ。
オノレ しっ。（小声で）鏡はどれだけ本当を映す？
ゆう さあ…反対で、平らで、銀色で、冷たくて、薬の匂いがして…てんで現実とは似ていない。でも現実とそっくりで、何より――
オノレ 何より？
ゆう あっちへ入っていきたい。合わせ鏡。昔、母ちゃんの三面鏡を向かいあわせて、その間に入ったら、どこまでも続くあたしのトンネルができた。鏡と鏡とあたしだけ、ぐにゃり曲がって、緑がかった、暗くて饐えた匂いのする、ひっそり湿った長い長いトンネルできた。百人のあたし、千人かも知れない、そのあたしのあたしのあたしの向こうへ、ゆっくり、追いかけていきたくて…。あたし、鏡の間から、出てこられなくなった…。
オノレ 陰気だな。オノレはこう思う。（セミの声）――ジージーと、音をたてる夏の日の遠い蝉のしょんべん、ゴロンと寝転がった便器につまったかき氷、あの理科のエーテルの実験室で、いくたびプレパラートを割って頭をこづかれたことだろう。私は思うのであります。患った日本脳炎という炎の中で、天も地もまあるい鏡の中で暮らすことができたならば、ああ、このまま生きていてもいい。だから、このまま死んでしまいたい。
ゆう 何だ、まあるい鏡って。
オノレ 球の中が鏡になってるんです。
ゆう それで。
オノレ その中に、私は立っている。
ゆう どんな焦点を結ぶんだ。
オノレ 分からない。だから、このまま死んでしまいたい。それに較べておまえ！
ゆう 何だよ。
オノレ 貴様はちっとも分かっちゃいない。イエスノウで答えなさい。鏡は左右が逆になぁーる、イエスかノウか。
ゆう イエス。
オノレ ぶー。
ゆう なんで！
オノレ 何故かならば、見るに如かず。（とバッジ出し）これはお前の制服からくすねた�掲�Ｄ組のバッジ。
ゆう いつの間に。ストーカー。
オノレ あん。いい響き。ともあれこれを映してみろ。（とポンと投げ渡し、自分は手鏡）
ゆう （それに映し）あ。
オノレ どーおだね？
ゆう 上下が逆さになってる！ 景色の他のとこは左右なのに、バッジのとこだけ上下が逆に。
オノレ そうだ。これを光学の世界では発見者の名前をとって、裃(カミシモ)の法則という。…嘘だ。じゃかあしい！
ゆう なんもいってねえよ。
オノレ ともかくだ。左右が逆になるのではない。鏡によって逆になるのは――前後だ。（間）
ゆう ああ…。（感動してるのである）
オノレ ゆう。こだわり続けて生きるのか、こだわり棄てて生きるのか。酒井さんの話をしてやるからよくお聞き。
ゆう どの酒井さん？
オノレ 決まってンだろ、新潟のだッ。【Ｍ�А曄宗衆豢縅算闇�、「三八豪雪」と今も語り継がれる大雪が雪国を襲った。三メートル以上降り積もり、人々は二階から出入りした。酒井さんはその年、中学を卒業してから勤めていた電気店を辞め、一人で「酒井無線」を始めたばかりだった。テレビのアンテナが雪で次々倒れ、ついに在庫が尽きた。冬の間テレビしか楽しみがないのに、それが見られない。「お客さんはカッカカッカ来るわけですね」。毎年の冬の雪の量を予測できたら、必要なだけのアンテナを仕入れておけるのに。そう考えた酒井さんが着目したのが「寒試し」と呼ばれる、雪の量を占うためのさまざまな言い伝えだった。「モズのはやにえが高い場所にたくさんあるときは雪が多い」「イカのたくさん獲れる年は小雪」「ソバ、エダマメの伸びが速いときは雪が多い」そして「カマキリの巣が高いときには雪が多い」――カマキリは秋に卵を産み、親はすぐに死ぬ。卵は冬越しして春に孵る。親子の対面も果たせぬカマキリが、雪の深さを予測して、それより上に卵を産んでおくらしい。これはどういうことなのか。酒井さんは営業で外回りをするときに「立ちションついでに」カマキリの卵のうの位置を調べる作業を十年続けた。やはり、雪の多さと卵のうの高さは関係があるように思えた…。やがて積雪量を予測する冊子「雪を占う」を作り、官公庁の土木関係者などに配布し始めた。
――転機が訪れたのは一九九四年のことだった。「木にあった卵の高さを測ろうと思って左手を卵のあたりにあてて、メジャー持ってあたろうとしたら、手が震えている感じがしたんです」「カマキリ、カマキリと考えすぎてついに体調がおかしくなった」と慌てて車に戻り、ミラーで顔色を確かめたがいつも通りだった。もう一度木に触ってみた。やはり、木は卵のあたりだけ震動しているようだった。「カマキリは、木が送ってくれる震動をもとに、卵の位置を決めているのではないか」。神様が手の内をちらっと見せてくれた気がした。――その後、自ら開発した音響測定器《地獄耳》で、木の幹には一ヶ所だけ、他の部分よりも乾いていて震動の大きな箇所があることを見つけだした。その震動の周期は約10ヘルツ、実に地球の固有周波数８ヘルツにも迫る超低周波であった。木の震動最大点は地中の水分が少なければ高く、多ければ低くと移動しているようだった。おそらくその箇所を一種の「弁」にして水分調節をすることで、木は、乾燥から身を守っているらしい。夏から秋にかけての震動最大点と、カマキリの卵のうの高さ、さらに冬の最大積雪の深さは見事に一致していた。――気象研究家はもとより、昆虫学も植物学も電気力学も民俗学も――分業化された専門家たちの誰ひとりとしてたどりつくことのなかった発見はこうして、一介の商店のオヤジによって世に知らしめられたのである。――
ゆう、よく聞くんだ。しつこくやるということは、論理を明晰にすることではない。単純化などは西洋人の習慣に過ぎまい。公理の他に、転変自在な「微分」の思想も必要なのだ。建築のように、力学にのっとった大構造と、美学にのっとった装飾と、両方あってはじめてものごとは世界に立ちあらわれる。分業なんかやめておいたがいい、分業という善意は、結局、人を滅ぼす方向に行かざるをえないのだ。いいか、人も組織も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死、それだけよ。太陽のいつまでも燃えるしくみは、おそらくはあの巨大さ自体のなかにあるのだろう。ケーキのように小さく切りわけておのおのがもち帰ったなら、たちまちおきになって燃えつきてしまうに違いなかろう。ゆう、物事の総体にとり組むことを怖れてはならないのだ。
ゆう ――やりたいことは、すべてやれと。
オノレ しかり。
ゆう 辛くとも。
オノレ しかり。もの好きで辛い思いするのなぞは、要するに娯楽だろう。好きなことを選び取れるのは暮らしにゆとりがあるからだ。ではゆとりがなかったらどうなるか？ どうなると思う。
ゆう 生活に流されるばかり。
オノレ 違う。
ゆう じゃあ何だよ。
オノレ いずれ分かる。十年うちくらいに、段々分かってくるさ。
ゆう もったいぶって。知ってんならいえよ。
オノレ では一応いうが――問題は好き嫌いなんかじゃなく、やらざるを得ないかどうかなのだ。覚えがあるかね、妥協に妥協を重ねて、生活のほとんど全部を世界からの浸食に委ねてしまって、ホントの自分は一体どこにいるんだと思っても、心配はいらない。ホントにやりたいことだけ、内ポケットにしのばせて手放さないでおれば、心底全部流されちまうことはないのさ。
ゆう そのやりたいことってのが、なかったら？
オノレ 何かしらあるもんさ。
ゆう ない。
オノレ コウにはあるようだが？
ゆう 写真か…あたしは、ない、なあ…。
オノレ いずれ分かってくるのさ。
ゆう （しばし、真剣に思いあって）ねえ――じゃあ、やりたいことが…悪いことだったら？
オノレ ナニ？
ゆう やりたいことが、邪悪なことだったら？ どうするのさ？
オノレ …真面目に訊いてるな？
ゆう もちろん！
オノレ じゃあいうが、参考にはならないぜ。――やるベキだ。（フ、と消える）
ゆう 何だって？ やるべきなの？ おい、どこ行った、おい…！
風。立ちすくむ、ゆう。どこかで声。
声 非点収差は極楽ね。
声 非球面レンズは地獄ね。
ゆう 何いってんの？
声 鮮明な象を結ぶのと、
声 ボケ味を楽しむ古いレンズと、
声 ――どちらを選ぶ？
ゆう ええ？
声 ――どちらを選ぶ？
ゆう あたしは…性能のいい方を。
声たち 地獄だ！【Ｍ�─�
複数の黒づくめの仮面たち、客席などいたるところから現れる。「地獄だ、地獄だ、地獄だ…！」。そうして無理無体にゆうにたかり、恐怖と歓喜のただなかで彼女の衣服を引きむしると、その背中に巨大なヤケドが覗く。ゆっくりと花道よりオノレ。
オノレ おしおきだぞぉコレぇ…！
ゆう 助けて、父ちゃん、父ちゃぁん――！
黒い男女にたかられて、ゆう、見えなくなる。凶悪なロックかかり、スモークからシルエットで立ちあがり歌いだす、コウ。【Ｍ��、「刃」】
なめらかに圭角のとれた
かしこい小石を
思うさま 砕いてやりたい
砕かれて飛散する忍従を見たい
収拾できない破片の上に
呆然と立つ恥辱を見たい
むきだしにとんがった刃(やいば)からすべてを
はじめるようにしてやりたい
するどく他を傷つけ自らも傷つく刃から
すべてをはじめるようにしてやりたい
刃を自他に容赦しない 無数の石の
かけらの間から
新しい思索と生甲斐とが
苦痛と共に語りはじめられるのを
聞きたい
そして、これより主題に入る。悪について。悪と芸術について。
コウ どこで狂いだしたんだろう。君の送ってくれたハチの使者に、おれはどのつらさげて報告すればいいというのか。――いうもはばかられる、それはひと夜の夢だった。夢に浮かんだ一冊の薄っぺらな写真集。真っ黒の地に、何やらギザギザな横縞のたくさん引かれた白黒の表紙。それが、極端にコントラストを強調した夕暮れのさざ波だと気づくには少し時間がかかる。この画面、あまりに不穏で風のさやけさが感じられないのだ。題字は毛筆の白抜きで「幼光」――おさなきひかり。陰に籠もった攻撃を感じ、扉を開きかねて裏表紙を返すと、こちらはうって変わって穏やかな波打ちぎわをハーフトーンで写した精細な画面。砂浜の汀に半ば浪に漬かって、小さく、少女の裸体が横たわっている。それだけならばよくある綺麗なヌードだ。が。やがて君は気づく、その娘の首から上が、浪の下に隠れたままであることに。遺骸なのだ。このおだやかな画面には、変死体が写されているのだった。幼光――いったい何のことか。この悪意。ふた葉の写真はもはや、否応なく君の手を扉にかけさせるだろう。それが絶望の門であることはすぐには分からない。見開き第一葉は、木造の平屋建てが横たわる夏の田舎。砂の白さ、よじれた松や、さりげなく置き残されている綱や手桶や網などが、海辺であることを思わせる。それはおそらくはニシン番屋であるらしい。はるか北海道、植民地のいつかの夏…。次をめくると、これはまた明らかに内地の農家、黒びかりの柱と濡れ縁、ひっそりとやわらかな畳の暗さの奥に、巨大な仏壇が控え、ぼけた安手の金箔を着た弥勒仏がぼうっと見える。縁側には中学の制服を着た娘がいて、西瓜を片手に食べながら笑ってこっちを見ている。屋外は明るすぎて映像が飛んでしまい、よく見えない。次のページ。都市郊外の古い家作であるらしい。台所の流しは手狭なタイル張りで、ステンレスの普及する以前を思わせる。コップを洗っている一人の娘がいる。その生真面目な無表情。磨りガラスを通して静かな明るい戸外の気配がする。のらいぬの息づかいさえ聞こえてきそうな――。次のページ。岡の小さな峠にスダジイの木が覆いかぶさり、のり面にカバンを投げだして少女が地べたにしゃがんでいる。白黒の画面に真っ黒く群生して咲く彼岸花。毒々しい曼珠沙華に埋もれかかった丈(たけ)一尺ほどの道祖神を、娘は奇妙な目で見つめている。その瞳の黒さ。あるかなきかの頬笑み。――三人の少女の三葉の写真が、まずあった。どのショットにも家族や母親の姿はなかった。次のページ。木造校舎の講堂で、校歌斉唱する娘たち。それは先(セン)のニシン番屋をそのまま流用した私塾のようなものらしい。彼女らの開いた口も、もしや校歌ではなく校訓を復唱しているのかも知れない（よく分からない）。何しろその明るい表情。入学の喜び。故郷から切り離された瞬間の喜び。次のページ。沈みかけた夕陽にシルエットとなって、浜辺で九人漕ぎレガッタを提げ宿舎に帰る少女たち。ここはボートスクールなのだ。そのまるで労働のような喜びの、汗だく泥まみれな陰影…。次のページには人影はなく、粗い粒子の画面に落日のアップが拡大されて写されている。次。暗い番屋の板の間に、四つん這いで一列横隊に並んだ、後ろ姿の娘らの裸の尻。暗がりに青臭い果実が並ぶ。どさりと置かれた太い荒縄。突如の転落。次のページ。ブレブレに歪んで判然としないが、犯されながら苦痛と恐怖に引きつった、どれかの娘のアップらしい。と、夢の映像は合理化が働き、そのページが不意にカットされた。あまりの苦痛を見せること、おれか誰かが検閲して不許可としたのか。次のページ。酒池肉林。まだ日焼けも半端な娘たちを集団で犯す肌荒れした番屋の刺し子たち。それがボートスクールの教官どもなのか、それとも本来の刺し子たちなのかは判別できない。ただ、植民地における流刑労働としての刺し子がいたならば、より弱く、かつゆきずりの相手である娘らにこういう平手を食らわせたろうことは疑いえまい。次のページは…覚えていない。ただ、かの弥勒の仏壇に添えられた彼女の遺影を、爽やかな遺影を見たような…見た気がするだけの、嘘の記憶でもあるような…。
オノレ 毒ある草々、たっとい薬液をもった花々を、この楊の籠いっぱいに摘もう。この世に生きとし生けるもの、それがいかに有害なものであっても、効験あらたかならぬものはひとつとしてない。要は正しく用いることだ、活用次第で、時に悪も立派に役にたつのだ。どうだロミオ。巨悪に対しては、むろん我々はいやおうなく善だ。50年かけた韓国の民主化運動に明らかなように、弾圧が過酷であるほど民衆は自動的に善人としてカテゴライズされ、時に大同団結さえ夢みることができた。自分はあくまで間違っていない、という危うい仮説を確乎たるものにするため自称善人たちをつるませることになった巨悪の圧力は、実は、きわめて便利で有効な「敵」であったのだ。
だが、もうそういう考え方は止そうではないか。より理想的で現実的には、悪は、みずからの内にあるのだ。思えば一九九〇年までは、人類にはふたつの巨悪が相並んで立ちはだかっていたために、我々はどのように生きようとも、もう一方の巨悪の宣伝下にある民衆からの憎悪を避けえず、内なる悪、血、そのものの階級的悪を苛烈にかこち続けることができた。ところが、ソヴィエト政権が倒れ、中共・キューバ・ヴェトナムが軒なみ帝国主義陣営との取引関係に入った今となっては、我々を憎む民衆――南北緯20度ベルトに確かに実在する30億の憎悪――を紹介してくれる巨悪からの宣伝手段を、我らは失ったのだ。価値観の多様化？――それが自由を証明する？――嘘っぱちだ！ 資本主義のいう自由とは勝ちのこる自由でしかなく、他人を叩きのめし踏みつけて自分ひとり勝ちのこる自由に過ぎない。彼ら勝ち組にとって、価値観などはひとつしかないのだ。日本マクドナルド創業者藤田田(でん)の床の間の掛け軸の文句は――《弱肉強食》――おい、掛け軸だぜ？ こういう連中に日本の大衆はいいようにされているんだ。この15年間、日本の大衆に起こった出来事をただふたことにまとめるなら、それは実に価値観の一元化、売れるかどうかのみをバロメーターとする価値の均一化と、このことを覆いかくすために盛んに宣伝された「不気味な時代」のキャンペーン、現実逃避を促進し享楽主義をあおる「社会危機の神話」であった。――関西の大地震と、すぐ続いたΩ(オーム)教団による大量殺人、このことを利用しつつ何故か社会の責任を騒ぎたて「自分もその一員である」という回りくどい自虐意識を新聞世論に醸成することによって、大衆とりわけ少年層に、悪に荷担することへの安直なノスタルジーを流行させた。このアクロバット戦略により国民は思考停止に導かれたのである。以来10年。我らの二十代が置かれている状況は見る影もない無惨さだ。ここにはあたかも生物学の「種の保存のために個を犠牲にする本能」といった誤りを百日一日のように追いかけるがごとき、全体主義を好む資本からの執拗なデマゴギーが介入していた。だってどうだね。自分が悪であるかどうかを量る時、なにゆえわざわざ社会が悪であることを宣伝せねばならないのか？ 社会に責任転嫁せねば悪の本質を内面化することさえできないのが悪人の平均的意識であるなら、それは、たとえばコマーシャリズムによって空間と意識の隅々にまで購買生活を推しすすめてきた資本主義の自堕落と、どれほど違うというのか。デマゴギーでなくて、こうも大衆が低落していくということが有りえようか。
ざっくばらんにいえば、いま求められるのは、求めるべきなのは、大衆の自虐性を優しく包んでやるダーティ・ヒーローなどではなく、まさにその大衆からこそ憎悪の的となり、悪の本質をたった独りで背負いこんで立つ、極悪人の登場ではないのだろうか、ええ、マックイイーン。
コウ マックイイーン？
3/→ http://
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