朝、起きてみればルキはもういなかった。
ハッとして盗まれたものを探すも、もともと盗まれるようなものはこの家に無い…あの短刀を除いて。幸いにもそれは無造作に置いてあり、ホット一安堵。
思えば、ルキというのは現実の逃避願望から思春期特有の妄想が作り出した青春の幻影なんじゃないか？ …まあ、そう思うことにした。無い物ねだりをしている余裕なんて無い。今を生きる…しかない。
金も無いから棺桶も買えない。それどころか鍬も鋤もない。だから木の棒で四苦八苦して深く穴を掘った。ジイヤの体は意外とちんまりしているので、案外あっけなく掘れた。そこへ大きめの石を抱かせて埋葬する。涙も出やしない。ただ、ひたすら天涯孤独になってしまった自分が明日からどうなるのかの、茫漠とした不安感だけがサラサラと去来した。
墓石も墓碑も何も無い、これでは本当にただちょっと堆い土饅頭なので、流石に憐れと思ってジイヤの好きだった歌を板切れに消し炭で書く。
近江路や 秋の草つは なのみにて 花咲くのべぞ 何処ともなき
…堯考法師がなんチャラとか言っていた。よくは知らんがジイヤは昔、将軍家に仕えていたらしい。その時に習った歌だとか。どうでもイイが、何ともモノ寂しい歌ではある。ジイヤにある意味相応しい。
ついでに枯れ木も花の賑わい、花も添えてやろうかと思ったが、あいにく歌の通り秋の野辺に花なんぞ無い。その時ピカリと光るものが視線の端に入った。
ワレモコウ。
華々しき花の世界でつまはじきにされたが、「吾も亦紅なり＝吾亦紅」と主張する健気な花。これこそが今の我々に相応しい。竹筒に水と一緒に差し込んでそして日常に戻っていく。
ハギにススキにオオバコ、アカザはあの牧に有ったな……アザミとトリカブトには気を付けなければ……雇われ牛飼いととはいえ、牛の体調管理には万全を期しなければならない。次郎丸を今日は南の丘へと連れていこうと太兵衛の家に行くと、何やら騒動が起きている。
他人事と牛舎へ行って支度していると、突然後ろから殴られた。
「痛ってえええ〜！」
みれば太兵衛が息切らしながら薪を握っている。
「…どこじゃ」
「は？」
「わしの雛を何処へ攫ったというんじゃ！」
「はあぁ！？」
「しかも我が家の宝物まで盗んでいきやがって！」
「へぇい？」
なおも襲い掛かる太兵衛を押さえつけながら、混乱した頭を整理しようとする。
雛が居なくなった……宝物と一緒に。まあ、雛といつもベッタリだった「オレ」が真っ先に疑われるのは至極当然の話と思うが、こっちはそれどころじゃない。
しかし何で急に居なくなったのか。誘拐されたんじゃないのか？
全然考えが纏まらないところに、更に上の方から打鐘が鳴り響く。あああ、五月蠅い！
「た、大変です……坂本より騎馬武者がやって参ります！ っき、緊急の下知だとか」
「な、なんじゃと？ 六日後の話では無かったか！」
舌打ちをした太兵衛が一目散に広場へと急ぐ。
さっき、日常へと還るとか思っていたのだが、もう、自分にとっての日常は崩壊していたんだな…妙に冷めた気持ちで慌てて駆けていく太兵衛の後ろ姿を見送った。なんだかとても小さく見える。
「村長、太兵衛はおるか！」
二十数騎も従え、三宅弥平次の怒号が響き亘る。昨日と違い、手に手に長槍・弓まで携え、まさに戦場へと征くかの如く…だ。
「へっ、へへえ！」
走り込み土下座する太兵衛。見事。
「昨日、この村より内通があった……一揆か逃散を企てていると！」
「ヘエッ！ だ、誰がそんな大それたことを……恐れ多い事でございます、そんな根も葉もない噂誰が申したのか存じませぬが、全く以て大法螺にございます！」と、平伏しながらこっちをギロリと睨みつける太兵衛。
「オレ」じゃねえよ！
「うむ、他の者ならば一笑に付した事であろう。しかし、内通したのはお主の娘、雛ぞ！」
「は？」
バラバラと集まってきた村人達も、それを聞いて一同ポカンとした顔になる。ナンデ？ 多分、ハタから見てればさぞやアホ面を晒した集団で面白かった事だろう。
「どうした太兵衛！ 今から武器取り合って我等に一戦交えるか？」
「は…ははぁぁぁぁ…滅相もございませぬ……」
髪を乱して駆けて来た澪が実に残念そうな顔で下を向く。太兵衛と言えば最早ミイラになるんじゃないかと思う位汗がびっしょりだ。一揆というのは意外性の産物、首根っこ抑えられてからの一揆なんて聞いた事無い。というより、手の内が全部バレテいるのなら何をしても犬死が待っているだけだ。
「見せしめとして、今日より三日以内に七人の兵役追加を下知する！ それが無理ならば七人分の兵役賂金を命ずる」
……終わった。
この村の命運は尽きたわ……
コレはどう転んでも“詰み”だ。七人もそもそも男衆が居ない。なれば七人分の賂金となるが、貧乏で有名なこの村だ、何年分の年貢となるのか。逃げる事も抵抗する事も出来ず、ただ搾取されるだけの存在になれと、つまりそういう事なのだ。
そして今分かった。
雛はこうまでして「オレ」をこの村に縛り付けたいのだ。ここまで酷くなれば村長の家柄とか村八分とか関係ない、単なる貧乏人同士。
盲目の愛…かもしれない、ただ総てを犠牲にしてまでも為すべき事なのか。その業の深さに背筋が怖気だった。
「『オレ』が行くよ！ お、『オレ』だったら誰も困らないし、それに少なくとも賂金は一人分軽減できるだろ！」
天涯孤独、侍になりたい、雛の狂気から逃げたい……いろいろな要素が混ざり合ってではあるが、何よりこの行き詰まりを打破したいというのもあった。そうして気が付いたら叫んでいた。
「よくぞ言った、悪七。拙者とて弓矢執る家の者、及ばずながら助太刀いたす！」
切れ長の瞳をグッと見据えて、澪も立ち上がる。
「アタシも行くよ！ ダンナの無事を見届けるまでジッとしてるなんて性に合わないョ！」
そう言って立ち上がったのは信乃。こちらを見てニコリと笑った。
「ははは、良い余興ぞ。女子供の方がいかさま立派じゃわい！」
黒い鎧の向こうで弥平次が呵々大笑する。
「…しかし、戦場に女子供は要らぬわ。そんな気概があるのなら京の遊郭にでも身を売って戦の費えの足しにせい」後ろの連中が一斉にどっと笑う。
な、なんつう下卑た連中。澪が、信乃がどんな思いで立ち上がったのか分からないのか？ 今一番言われたくなくて突かれると痛い部分…女である事。
「何なれば戦場で兵士共の相手をするか？ その方が役に立つ矢もしれぬ」
武士達の下卑たヤジに項垂れる澪と信乃。
「ふ、ふざけるな！ あんたらそれでも武士かよ？」
思わず怒鳴っていた。
「む、小僧。我等を愚弄するか？」一斉に笑いとヤジが止み、その代り陰鬱な殺気がこちらを睨む。ええい、ままよ。
「アンタ等のやってる事はなんだよ…ヤクザと一緒じゃねえか！ 弱い者から脅し掠め取って天下の為と言って町や村を焼き払う！ 誰も幸せにならねえ！」能面のような表情で弥平次が述べる。
「それが『天下布武』というモノだ。大局が見えぬものに我等の覇業の苦労は分からん」
「もっともらしい事言うじゃないか、弥平次。じゃあ、アンタはその大局が見ているのか？ アンタも捨てコマの一つなんじゃないのか……狗侍！ 自分の首輪は見えているのかい？」
「…よく吠えた、小童。ワシ等が狗侍ならお前はキャンキャン吠えるただの狗だ。斬って捨てても構わぬな」
シュッシュと槍をしごいて弥平次が前に進み出る。広場は凍り付き、誰も眉毛一つ動かす事も出来ない。覆水盆に返らず、言ってしまったモンは仕方ない、だけどここで果てるのか……せめて、目だけは逸らしちゃいけない！ 涙の溢れる眼でキッと見据える。
「何でだよう…何で憧れの侍でい続けてくれなかったんだよ……」
「…む？」
「最低だって言ってるのさ！」
「問答無用！」
ログインしてコメントを確認・投稿する