旅立ち編は
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1926617127&owner_id=14160920
最終編は
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1773434374&owner_id=14160920
途中もいくつかあるけど、探すの面倒臭い。
芭蕉と曽良は例幣使街道から日光街道に再び合流して日光を目指した。
東武線下今市駅近くの追分。右が例幣使街道、左が日光街道。両方とも杉並木が健在だ。
日光街道の未舗装で保存されている部分を歩く。日光方面に今市中心部を過ぎるとある。途中の道の駅日光に観光案内所があるので必要な情報が取れる。
慶應四年(明治元年)戊辰戦争、日光口の戦いで、官軍が撃った弾が当たった杉が砲弾打込杉と言う名で現存する。
JR日光駅。
卯月朔日、御山に詣拝す :原文
(元禄二年四月一日、日光山に参拝をする。)新暦だと5月19日、良い気候だな。
あらたうと青葉若葉の日の光 :日光繋がりで逆光になってしまった。
廿余丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。
岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也。
暫時は瀧に籠るや夏の初
裏見の滝は今でも行こうとすれば裏から見られるんじゃないの?
芭蕉の旅程 新暦5月21日〜6月3日 黒羽
黒羽の館代浄坊寺何がしの方に音信る。
黒羽藩城代家老の浄法寺桃雪の家を訪ねる↓ここ
今は復元屋敷がある。その時殿様は江戸住みで幼児。つまり国許の殿様代理が実質一番偉い。その偉い人兄弟は芭蕉の弟子。流石大先生。
この句は奥の細道には載らず、あるのは以下の2つ。
夏山に足駄を拝む首途哉 修験光明寺
木啄も庵はやぶらず夏木立 雲厳寺
後者は那須塩原からバス200円で行けるで。
入口に川が流れているので橋がある。
夏木立に加えて涼し気な川の流れる音がする。水はきれいだ。
石段を登って山門を入った所。上に更に建物があって、そっちの方が中心だけど。
芭蕉句碑。芭蕉の禅の師匠はこの寺で修業していた為、修行場所を見に来たようだ。
黒羽町のマンホール。
芭蕉の行程 新暦6月5〜7日那須湯元温泉
6日に温泉神社と殺生石に行った記録があるので、真似してみた。
殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず。蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
でも今は噴煙は見えないな。
元湯 鹿の湯 宿でなくて日帰り湯。芭蕉が泊まった場所はすぐ下にあるが廃業。
民宿街でこんな湯。
麓はりんどう湖関係でチャラいが、上の方は大きいホテルが無く昔風の感じがある。御用邸もある。
2週続けてちょっと山歩き。
東滝
更に登ると変人の聖地と言う展望台がある。
天気がよろしくなく、あまり見えない。恋人の聖地とかチャラいのは好まん←ひがみ
芭蕉の行程:元禄二年四月二十日(1689年6月7日)に那須湯本を出て、遊行柳に立ち寄る。
柳と桜。西行の歌碑とと蕪村の句碑もある。奥の小山は神社。
芭蕉のは「田一枚植えて立去る柳かな」だが、周りの田んぼは同日には既に田植えを終えていた。ここを走る国道294号も周囲の街路樹は柳。流石。
この後は白河の関で福島県で、栃木編は終わりとする。
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