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2015年06月03日14:43

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翻案 鮫人の涙 全

鮫人の涙





近江国に、俵屋籐太郎という者があった。

名高い石山寺に程近い、琵琶湖のほとりに住もうていた。ほどよい富もあり安楽に暮らしてはいたが、よわい二十九にして、いまだ独り者であった。今生の望みといえばともかくも大層の美女を娶ることだったが、これはと思う娘と知り合う機会には、ついに恵まれずにいた。

ある日、瀬多の長橋を渡るとき彼は、欄干の陰にうずくまる、奇妙な影を見た。それは体つきこそ人のようだが、墨のごとく黒ずみ、顔はまるで悪鬼のごとく、両の目は翠玉のよう、二束の鬚は龍神のそれを思わせた。

籐太郎は初めはたいへん驚いた。が、思わずその緑の目をとくと見、ややあって彼はためらいながらそのものに問いかけてみた。そのものは応えて曰く、

「わたくしは鮫人でござります、つい先ころまで、八大龍王のもと龍宮の下吏に補せられておりました。ところがわずかな過ちを冒した咎で龍宮を逐われ、あまっさえ海坂にすら禁足のお達っし。爾来この辺りを、食うに事欠き、床根のふすまさえなく、さまようております。もし、哀れと思(おぼ)し召されるならば、こんなわたくしに、住まいを…、見つけては下さりませぬか、また今、なにかこう、御斎を…給(たま)われませぬか」

愁いに充ちた調子とひどくへりくだった体のこの懇願は、籐太郎の心を打った。

「おいで」、彼は言った。「庭に大きな深い池がある、好きなだけそこにおればよい。食べる心配は要らぬから」

鮫人は籐太郎に随き従い、屋敷の池には大層喜んだ。

その後(のち)ほぼ半年にわたってこの奇妙な客人は池に日を暮らし、籐太郎の厚意で好みのままに海の幸を得た。

ところで、その年の七つ目の月、遠からぬ大津の町の三井寺という大きな寺に女人詣が行われ、籐太郎は見物に大津まで足を運んだ。祭に蝟集する女や娘のなかに、彼は、際だった美しさを放つ人を見いだした。十六ばかりかと見え、面立ちは雪のように清く輝き、可愛らしい唇は見る者に、ひとたび声を洩らせば「梅の木にさえずる鶯のごとき甘やかさ」であろうと思わせずにおかなかった。籐太郎はたちまちに恋にとらわれた。寺を後にした彼女を彼は遠くから追い、娘とその母親が瀬多の村から程近いとある家に数日来逗留していることを突き止めた。通りがかりの者から彼は、娘の名が珠那(タマナ)であること、まだ夫のないこと、そして娘の家は人並みの男に嫁ぐことを望まず、却って実に一万の宝珠を詰めた宝箱を結納に求めていることを聞きだした。籐太郎はたいへん気落ちして屋敷に戻った。

娘の両親の言う奇妙な結納のことを考えるほどに、彼女を妻に迎えることは決してできまいとの思いが募るのであった。仮令(たとい)国のうちに一万の宝珠があったとしても、大きな城主のせがれでもなければどうしてそれを集めることが望まれようか。にも拘わらず、ただ半刻(とき)として籐太郎はあの美しい面影に心をとらわれずにはおれなかった。彼の懊悩は食べることも眠ることもできぬ程となり、彼女の姿は日を追うてますます鮮やかになるばかりだった。

そして床に伏した。枕から頭を起こせぬほどの病であった。

彼は医者を呼ばせたが、懇切な見立ての後(のち)、医者は心底肝をつぶしたように申し立てた。

「いかなる病にも」と切り出すと、「それぞれ適切な処方はございます。ただ恋の病を除いては。あなた様の病は疑いもなく恋煩いでございます。手の施しようがございませぬ。むかし瑯邪(ロウジャ)王伯與(ハクヨ)はこの病で亡くなりましたが、あなた様もどうか彼に倣い、死出の備えを致されますように」そう言って医者は、籐太郎に何の処方も与えぬまま去った。

庭の池に棲む鮫人は主人の病を聞いて、主人の看病のため座敷に上がってきた。そして昼夜を分かたず、甲斐甲斐しく世話を焼いた。もっとも彼はこのむごい病のもといは知らなかったのだが、七日(なぬか)ばかり経った後(のち)、死期を悟った籐太郎は今生の別れとて、このように語りだした。

「きみとの間にはおそらく浅からぬ縁(えにし)があって、ために長きにわたり私はきみの面倒を見る巡り合わせになったのだろうとつくづく思う。しかし今私の命は明日をも知れぬ、日々衰えてゆくばかりで、あたかも日暮れを待たずに消えてゆく朝露のごときだ。だがそんななかでもきみの行く末が気掛かりで仕方がない。私亡きあと、これまで同然にきみを世話してくれる者があろうとは到底思われぬ…済まない…済まない! 憂き世では望みも願いもかなわぬものだなあ」

こう籐太郎が言うのを聞くが否や、鮫人はなみだほとばしらせ、激しくおめき泣き始めた。嘆きに連れてぽろぼろと落ちる血の涙は、緑の目から真っ黒な頬を伝って床に散らばった。そして、血であったはずのそれは、床に当たるとたちまち宝玉…、真っ赤に燃える貴き宝玉となった。そう、海のものたちの嘆きは、宝玉の涙をもたらすのだった。

この不思議を目の当たりにした籐太郎は、たちまち身に力を取り戻し驚喜した。床から跳び起きると「もう死なぬぞ。私は活きる、生きるぞ!」と口走りつつ、鮫人の涙を拾い集めて数え始めた。この有様に鮫人はひじょうに驚いて、泣くのをやめると、思いもよらずなぜこのように治ったのかと問うたので、籐太郎は三井寺で見た若い人のこと、その家の尋常でない結納のことを打ち明けた。

「なんということだろう」籐太郎は言葉を継いだ「一万の宝珠など到底得られまいと信じ込んで私は望みを失った。失意のあまり病に伏せたのだ。それがどうだ、きみが大いに泣いてくれたお陰で、これほどの珠が手に入った、これであの娘を迎えられようというものだ。ただ…、済まないが…、そのためにはまだもう少し珠が足りぬ、丁度の数に揃うまで、いま少し泣いてみてはもらえぬだろうか」

だがこの望みに、鮫人は驚きつつこうべを振りいさめるのだった…、「あなたはわたくしが商売女のように思うまま泣けるものだとお思いですか。とんでもございません。歓心を買うために売女は涙も流しましょう、けれども海の者どもは、本当の悲しみに遭わなければ泣くことなどできないのです。あなたが亡くなられると思うてわたくしは胸が引き裂かれるように思い嘆きにくれたのでした。ですのであなたの口から治ったと聞いた今となっては、もう泣くことはありませぬ」

「ではどうすればいいのだろう」籐太郎は気落ちして問う。「一万の宝珠がなければ、娘を得る望みはかなわぬのだよ」

鮫人は、しばらく静かに考えていた。そして言う。「こうしましょう。今日はこのうえ泣けませぬゆえ。あす、瀬多の長橋に、酒と少しの肴を持って参りましょう。橋の上で酒と肴でしばし憩うて、龍宮を望み、あの幸せだった日々を思いこがれるようみずからに強いれば、泣けるだろうと存じます」

籐太郎の喜びは望外のものであった。

翌朝、ふたりは存分の酒と菜(サイ)をたずさえ瀬多の橋におもむき、ささやかな酒宴を開いた。存分に呑んだあと、鮫人は龍宮のあろう方を望み、在りし日を思うた。やがて酒で揉みほぐされたかつての安穏な日々がよみがえり、彼は存分に涙したのであった。大粒の真っ赤な涙は紅玉の雨となって橋にまろび、籐太郎は大慌てでそれを箱に拾い集め、そして遂に宝の数は一万に届いた。籐太郎は喜びの声をあげた。

と、その時、湖のはるかより、華やかな楽の音が響き寄り、沖の湖上に、雲のごとき落日色の宮が浮かび上がった。鮫人は撥ねるように橋の欄干によじ登り、高く笑った。そして籐太郎に振り向いて言うことには、「龍宮に恩赦があったようでございます、王たちが私を招(よ)んでいます。お別れを致さねばなりませぬ。あなた様のお幸せに少しでもお手伝いできたならば嬉しく思います」

言うや否や、彼は欄干から飛び下り、以後というもの、彼の姿を見た者はない。

籐太郎は珠那の両おやに宝玉の小箱を贈り、思いを遂げたのである。







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