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2015年06月03日13:08

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せみ その他短篇綴稿

せみ その他短篇綴稿

歌と演劇の分化する以前まで溯行する試み





1.誰も練ってはならない

私は右利きですが、左手でないとうまくできないことがみっつあります。女の子の肩を抱くこと。自転車のハンドルを握ること。携帯電話で文字を打つこと。女の子に関しては鍛錬のすえなんとか右でもできるようになりましたが、あとのふたつについてはどうにも慣れません。最近、片手ハンドルで自転車に乗っていると罰金なんだそうですか? 私は自転車で傘を差す時はかならず右手に傘・左手にハンドルです。逆じゃ危なくて仕方ないです。携帯打ちながら運転ていうことは、右手にハンドルですか。それ、危ないよ! え、危ないのはそこじゃない? ああそうか…。(音楽)

でもねえ、思うんですけどねえ、これはそもそも「道はなんのためにあるのか」ていう、日本民族一万年の常識、縄文一万年の文化論への挑戦的な法改正だと思うわけですよ。こいつまた突飛なこと言いだしたなって思われるかも知れませんが、交通安全っていうのはもとは自動車が危ない道具だから生まれた概念でしょう。馬や大八車の昔に道路交通法は要らないわけです。徒歩しかない時代ならなおさらです。ならばですよ、クルマの片手ハンドルは問題ないのに自転車の片手乗りは5万円の罰金て、これ一体なんだ、ていうこと!(音楽)

いいですか、道とは! 「管理の行き届かない場所」の謂いであります! 交差点や分かれ道こそは、まだ劇場もない時代において、芸能者の唯一の露天ステージだったわけです。辻音楽、辻占、辻説法。ムラや、ムラを統括する寺院の管理体制から大きく外れてやさぐれて、外れるという形で実はムラ組織のほころびを外部からつくろってきた下級神人たちのアジールはまず、家屋から一歩出た「辻」と、辻と辻との交わる天然のステージにこそあったのです。そこを通り抜ける銀輪の乗り手には、むしろちょっとはすに構えた片手運転こそ似つかわしい、そう思いませんか?(音楽)

可能性について語ります。ホンダのスーパーカブというバイクには、遠心クラッチといってクラッチレバーがありません。つまり左手があいてます。なぜか。これはもとは間違いなく、おそばの出前のためだったはずです。おそば屋さんがあれ以外のバイクに乗っているのを見たことがありません。荷台に出前器を取りつけた今という時代になってもなお、そば屋はカブと決まっています。そして普通の人がカブに乗る時は、買い物したレジ袋からネギやゴボウを飛びださせたまま、左手に提げて、片手乗りで辻をゆく。ほらね、これ、なんて颯爽たる不良の風情でしょう。(音楽)

東京都まちづくり有識者会議なるものが提案した、安心な繁華街づくりに関する規制指針がございます。そこでは、暴力団や外国人就労者、ゴミの不法投棄、歩きたばこやポイ捨てやキャッチセールスや捨て看板、放置自転車やスプレーによる落書きと並んでこういう項目があります。「街頭や歩行者天国において、大衆に多大な迷惑となるパフォーマンス等、町の秩序を乱す行為の防止」。芸能者は出ていけと! ――確かに! 確かに私は、町の秩序を乱そうとはしています。しかしながら。街頭パフォーマンスは破壊活動ではありません。投げ銭をもらう立場の人が破壊活動などはしないのです。だいたい、投げ銭ごときが秩序の撹乱だったら、経済に付加価値を認めないことになってしまうじゃありませんか。それは商売の衰退です。ないはずの価値をあるという。音楽には価値があるのだと、演じてみせる。演じて見せりゃ分かるだろ? 辻でそうやっていい抜けて、芸が終わればいずこともなく去り、ジャラ銭でかつかつ食っていく。それが芸ってもんでしょう、それが道ってもんでしょう!(音楽)

お神楽や獅子舞は、今でこそ神社に吸収されておきれいな無形文化財化してますが、もとはムラの芸能が、ムラからはじかれて専門職化したもので、ようするに家督を継げないためにとっぽく生きなきゃならなかった農家の次男三男坊が不良の音楽として始めたものです。神輿は不良が担ぐもの。奈良平安の昔から祭りは不良が動かすのです。肌もあらわに肩を揺すって滝の汗、芸の行列は辻を練り込み、道ばたの娘を目で殺す。そうです、ロマンスはそこにこそ芽生えてきたし、かれら不良がいなかったら、娘たちはどう遺伝子を残していけばよかったのでしょう?(音楽)

神輿や神楽の足どりは、五方をキッチリ踏みしめて、避邪ことほぎともどもに、地面を信じ神々を信じ、音楽と酒とケンカと恋でよろける足元をえいやと踏み直す、めんめん続いた一万年、そのフットワークを今に残します。「舞踏」は舞って踏むと書く。踊るとは踏むこと、踏むことを「練る」と、僕らは呼んできた。やまとことばでその足どりを「練り込み」と言います。いい言葉だなあ! 時の政権がどう禁じようと、俺たちは練る。練り続ける。こよいこの場のこの音楽も、やはり練り込みとして演じましょう。(音楽)


2.せみ

うだる夏の午後の首都高速新宿線上り車線。赤坂見附のお堀端で渋滞していると、どぷりと澱んだアオコの水面を、一閃、青い弾丸がシュン!と飛んだ。カワセミでした。こんな首都の真ん中に、まだいるんだねえ。あまりにも色鮮やかで風景から浮きあがるデザインなんで、ついどこかの広大な湿原にしか棲息しない孤高の鳥のように思いがちですが、じつはカワセミは町場の鳥でもあります。用水路にのぞむ埼玉のうちの庭にも来たことがあります。近くで見ると、機能美に加えて輝く瑠璃の羽毛に原色のストライプ、およそ完璧なデザインていうのは、こういうことをいうんだと感心しますねえ。そしてあの貪婪。捕食も繁殖もひたすら体当たりで切りひらいていく攻撃的な性格。生まれついての主役級。

かわせみの休む梢は死出のふち 目に小魚の命が燃える

いやあ、それにしても暑い。アブラゼミって、やはり揚げ油のジュウジュウ鳴る音に似てるからアブラゼミっていうんですよね。暑苦しいったらありゃしない。以前、茨城の龍ヶ崎で友人の家の葬式に出たことがあるんですが、それがまたありとある事象の熔け落ちるようなただれた八月の午後で、礼服の一団はわれがちに本堂に逃げこんで熱射をかわしたものでした。日本の建築というのはほんとうに暑さをしのぐように工夫されていて、そんな日でも堂にかくれればひんやりとした空気があって、白熱する外界を一息ついて眺める余裕もできるものです。ただし、蝉しぐれだけは追ってくる。思いだすだに、あの日の蝉はあまりにすごかった。じゅうたん爆撃といいますか、音の壁といいますか。吊り天井のごとく空間を圧迫、支配したものでした。読経焼香が終わって寺の庭に出て見ると、まさに機銃でひと舐めしたかのように、土の地面にセミの這いでた無数の穴穴穴…。

栢けやき一期一会の饗宴に 芯も震えてしたたる樹液

ところでカワセミという名前になぜ「セミ」がつくのかというと、セミというのは古語で滑車のことらしいんですね。パタパタとホバリングしながら狙いを定めて、一気呵成に獲物に向けて急降下する様子を、からからからと鳴ってつるべがバシャンと着水するさまに喩えた名前のようです。でも、そんならなぜ滑車のことをセミというのか? 思えば、生物には回転構造をもつ種や部位はありません。古代の人もたとえば蜘蛛を知っていたからこそ投網やかすみ網を容易にイメージできたんでしょうが、回転する道具となると、これは人類のオリジナルといっていいのじゃないですか。おそらく最初の回転道具は、ろくろ、車輪、そして滑車だったと思われます。初めは樹木の枝に、のちには材木でこしらえた腕木に取りつける形で滑車は使われた。その材質も、木製、石、焼きもの、銅と色々あったでしょうか。いずれにしろこれまで自然界になかった道具がいま、空高く差しあげられ、高みでカラカラと乾いた音をたてる。こういう時の連想の力においてわが国の先人はきわめて優秀なセンスを持っています。ああ、これはセミだ、と思いあたったんでしょう。

土鈴にも盆の盛りの湿る陰 緑はげしく壺中天哉

そして、この直感は、セミから滑車、そしてカワセミへと一気に通底する陰の要素を含んでいます。謎解きの答はこうです。カワセミの仲間にアカショウビンという、スタイルはほぼ同じでただし体全体が真っ赤な鳥がいます。ところが、垂直投下型の捕食スタイルとセットになると、かれのデザインはあまりにも熱すぎるというか、殺生をするときの一抹の悔いさえ感じられないというか、まあ攻撃一点張りの戦闘機のようで目に疲れるわけです。それじゃあ、カワセミはなぜ青いのでしょうね。魚から見たとき、覆いかぶさる樹木に紛れる擬態のため? そうかもしれない。だがそれだけではあるまい、と昔の人は考えた。それだけにしては美しすぎるじゃないかというわけです。ヨーロッパでは、山岳に棲むワシの巣には穴の空いた小石が隠されていて、岩山の頂上で時にガラガラと鳴る、ということが信じられています。ワシはガラガラを持っている。ツバメの湿った巣にある眼病に効くという湿った小石とセットになって、ワシの石は炎の表象なのです。高みで乾いてカラカラと鳴るもの。それは私たちにとってもまた端的に火であって、生命の最後の十日を一息に歌いきってはぼとりと落ちて死んでいくセミは、これこそ「ほのお」の表象以外のなんでありましょうか。だからセミは夏に鳴くんです。そして滑車のガラガラを介してカワセミもまた、ほのおに類するものとして、我が祖先たちに受けいれられた。ここまでくるとほとんど宗教情操といっていいくらいのセンスですが、祖先たちにいわせれば、かれカワセミが青いからこそ、燃えたつ炎に隠された一点の冷たさや、猛る熱さに隠されたひそかでたしかな死のイメージを、あの小さな体で運ぶことができたんです。カワセミの急降下に、まっすぐ鎮魂を見る――。これが我らが言語の、類例なくすぐれた点であります。

渓谷にほのお一閃死を背負う その反復に救いあれかし 救いあれかし


3.ぼうそうあたり

赤い布かけ さんまのひもの 平久里(へぐり)天神 釜こする

曲亭馬琴本人の書いた別伝によると南総里見八犬伝には実は、乱に参加できなかった九人目がいたのです。彼の名は犬掛(いぬかけ)平群(へぐり)。安房の国富山(とみさん)の人。現代風にいえば千葉県富山(とやま)町大字犬掛字山田。かつてこの地は低山ながら急峻な崖の連なる難所でした。犬法師の束ねた百の数珠(ずず)からぽろりとこぼれた宝玉にはただ一文字「恋」なる瑞兆が浮かんだのです。

安房の国は三方を海に囲まれているため、房総丘陵から流れ落ちる川はどれも内陸の川とつながっておりません。したがって八犬伝の当時、安房の川にはまだ鯉がいなかったのです。琵琶湖原産の魚ですから誰かが放流しなければそこに鯉がいるはずはない。平久里川の伽羅人(かろうど)滝は長いこと、登る鯉を待ち続けて、熱くひっそりとたぎっていたのです。

「房州唐船漂着記」は、元文四年(1739年)安房白浜に異国の女性(にょしょお)が漂着した際の、村方・代官・大名による届出書類です。羅紗毛氈を身につけ丈六尺で頭髪赤しという身なりを見る限り、どうやら彼女が中国人とは思われません。現に同一の資料が京大図書館蔵「海外異聞」巻十九に「阿蘭陀(おらんだ)着岸・元文四年・房州」として収められております。

平群「なあステイシー、おれ、村さ出ようと思んだ」
ステイシー「まあ。なぜ。わたしたち、いまでもこんなにしあわせなのに」
平群「妙見さんに願さ掛げた。すったらお堂の前で夢さ見だ。龍が都さ飛んでゆぐ夢だ」
ステイシー「いくのね、へぐり。わたし、仏門にはいるわ。さようなら、へぐり」

赤い布かけ さんまのひもの 平久里(へぐり)天神 釜こする

☆☆☆☆☆★☆☆

犬掛お堂前でバス下車、東にすぐコンクリート製の橋がある。護岸はされているがややガレているので岸に降りる時は注意が必要。継ぎ竿3・5メートルでミチ糸1号にサルカン、カミツブシ、針はハヤ針の5号、餌はキジ。直流でわんども木立もないが魚影はある。せせらぐ下に投入すると意外にアタリは激しく、意外にアタリは激しく、ケタバスと小ブナがそこそこ上がった。この日最大の釣果は30センチほどのコイ。コイを得た時点で満足し、日暮れを待たずに納竿した。

里見義実(よしざね)答へて曰く、「鯉はめでたき魚なり。伝聞(つたえきく)、安南龍門の鯉、瀑布(たき)に沂(さかのぼ)るときは、化して龍になるといへり。われ三浦にて龍尾を見たり。いま白浜に来たるに及びて、殿また鯉を釣れといふ。前象後兆、又是(これ)、憑(たのも)しからずや」と。










上演記録

「誰も練ってはならない」〔初演〕酒井康志/二〇〇九年八月二日/宮代町郷土資料館//〔次演〕Yokohama Spoken Words Slam/二〇一〇年一月二九日/横浜B.Bストリート/出演・加藤友香//「ぼうそうあたり」〔初演〕民藝喫茶「あミン」/二〇一〇年一月二四日/池尻大橋orblight cafe/出演・RAKASU PROJECT.、酒井康志//〔次演〕Contemporary Computer Music Concert (CCMC) 2010ピエール・シェフェールへのオマージュ/二〇一〇年二月二〇日/日仏学院/出演・RAKASU PROJECT./〔三演〕ぽえとりー劇場/二〇一〇年二月二一日/高田馬場Ben's Cafe/出演・加藤友香//〔通し上演初演〕トンネル・シエスタ/二〇一〇年七月三日/宮代町新しい村どくんごテント/演出・高野竜/出演・高野竜・加藤友香//「せみ」〔部分上演〕二〇一一年八月七日/宮代町郷土資料館旧加藤家住宅/演奏・斎藤智也/構成・黄々野エチカ/出演・小椎尾久美子、清水紗綾、加藤友香、黄々野エチカ







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