本日は家内とサイクリング。またまた冗長な日記になります、ご勘弁の程を。ご希望のフィノウ運河(ベルリンの北50キロ)と広大なブナの森を合わせたルート。電車で終点Bernauまで行き、そこから自転車。ベルナウはベルリンより古い中世都市だったが東独時代に大部分が取り壊されて詰まらない町になってしまった。町は通らず即自転車道へ。すぐに田舎の景色が広がる。今は丁度芥子が咲く時期だが、今年は広大なポピー畑をまだ見ていない。
最近見る事が少なくなった東独の超小型オート三輪。とにかくウルサい。
心地良いアップダウンがあり走るのが楽しい。天気の良い日曜、走っている人も多い。
道の脇の白い花は人参の原種だとか、、一度根を齧ってみたが、確かに人参の味だった。
ごく普通の野原も様々な色が混じり合って見飽きない。
森の中には時々小川が流れている。が、自然のものか、湿地の水を流すために掘られた運河だったのか、その辺は不明。この辺りは昔は広大な湿地帯だった(東京も似たようなものだったらしいけれど)。
小さな町、Biesenthalに出る。家内はジュースを買って一気飲み。村役場の手前には巨大な樫の木が。典型的な光景。
この町のはずれにある水車小屋と御領主?の御館。10年以上前から誰かが買い取って少しずつレストアしていたが、非常に素敵な家になっている。庭も広大で(どこまでが庭だかよく判らないが)良い感じ。
この辺りは松とブナ、白樺の混成林。下草はブルーベリーだ!
これは余り見ない花だが、なんだろう、、調べてみるとWeisswurzという草らしく、スズラン同様毒だとか。それでも民間療法にも用いられるとか。昔は魔法の力を持っていると考えられていたらしい。
アウトバーンの上を横切る部分だけ石畳のまま。道の管轄が違うのかナ。
小さな花も見落とさず眺めるとなかなか可憐だ。
ようやくフィノウ運河に出る。ここは以前は産業物資の輸送で賑わっていたのだが、今では通る船はほとんどない。たまに個人のボートが通る程度だ。ドイツで現存する現在も航行可能な最も古い運河だ(1878年)。
運河沿いの快適な自転車道を行く。
ここには素敵な橋が架かっているのだが、使われなくなって既に久しい。大分錆が酷くなってきている。何とか残して欲しいものだ。
ドイツでアヤメ系といえば黄色い花ばかり見かける。これは黄菖蒲か?
本日家内はボブ・ジャクソン。普段乗りに酷使されて少々可愛そうだが、いつかマトモなアッセンブルで組んでやろう、とは思っているのだが果たして何時になるのか、、
これは日本でもよく見かけるようだが、ドイツでは森の中で咲いている。名前はImmergrün。昔、踊りの際に少女達はこれで花輪を作って髪を飾ったとか、、
これは時期的にもう終わりのスズラン。可憐だが猛毒植物だ。ドイツ語では「五月の小鈴」だ。
運河は産業都市だったEberswaldeを横断している。ここには様々な産業が栄え、運河沿いに工場が建てられていた。悲惨な話だが、戦争末期にこの辺りはベルリンからドイツ軍の砲撃を受けて壊滅状態になった。ドイツ軍はこの辺りにロシア軍が進攻していると考え、帝都防衛のためにここを砲撃したのだが、実はここにはロシア軍は居なかった。
戦後の東独時代、産業はある程度復活するが、壁の崩壊と共に再び廃墟に。今でも廃墟のままの工場群が放置状態だ。
この運河、高低差を乗り越えるために多くの水門が設置されている。時代的にはパリのサンマルタン運河などと同じ頃のものだ。たまにしか通らないボートのためにも通年水門管理が行なわれていて、従事しているのは女性が多い。水門の開閉はハンドルでの手作業なので結構な力仕事だ。
町を通り過ぎると巨大な農業サイロが見える。東独が各地に建てた超大型のサイロだ。
そして僕が大好きな市営プール(の跡か、、)。長年放置され荒れていたのがキレイになっている。中がレストラン・カフェとして使われるようになった。プールはそのままだ。1930年代のものだろうと思う。調べた結果、1925年の施設と判明しました。
景色はどんどん牧歌的になる。
赤い草が面白い色の組み合わせだ。
今回使ったバッグはなんでもボコボコ入れられて便利だが恰好良いかどうかは?綿布だがクラシカルとは言えない。ドイツっぽい形だが実は日本製。
牛の写真を撮っていたら、すぐ脇を雉が歩いていた。
水門だけでは高低差をカバー出来ない場所に作られたのが大規模なホイスト?だ。正しい日本語名が判らないんですみません。日本語。船が入れる巨大なバスタブ状のエレベーターとでも言える巨大装置だが、これは1934年製。水運が非常に重要だった時代の産物。鉄の時代の象徴とも言える。これで36mの高低差を一挙に稼いでしまう。この装置以前は水門を何段にも直列して高度差を克服していた。
前時代の遺構に見えるかもしれないが、実はすぐ隣に新しい装置が作られている。ユーロコンテナ船プロジェクトの一環だが、実はこのユーロコンテナ船、まだ一隻も作られていないし実際に製造されるのかどうかも判らない。ただ、このプロジェクトのためにヨーロッパ中で河川の改修が行なわれ、川幅の改幅、川底の浚渫、架かる橋梁の高度変更、そしてこういった巨大施設までが新設されている。どこかの役人が建設業者と結託して考え出したアイデアだろうが、全く不要という説も有り、役人が自分達のために多大な税金を使って仕事を作り出しただけとも言えそうだ。
これが新しく建設中の施設。
ここから森の中へ入る。川沿いと違って坂が登場する。こんな程度では日本では坂とは言わないだろうが。
この辺りでは最大級のブナの森だが、5km石畳が続いた。割合走り易いタイプの石畳だったから良かったが、アップダウンがあるので結構厳しい。路肩の部分を走ろうとしても砂が溜まっていて更に走りにくかったりする。
時々古い路程石が置かれている。何となく安心感を感じる。
典型的ドイツのツアラー達を抜く。これが今の普通のシクロツーリストの姿だ。
急な坂を降りるとゴールの修道院に出た。
電車の時間が迫っていたので修道院は(既に何度も来ているし)通過。急いで駅へ向かうが、近道と言われた道が結構凄い。
10分前に駅に到着、アイスを食べて電車を待つ。
駅にはレンタカー(ルノーの電気自動車)が。
幸いな事に電車はそれほど混んでいなかった。本日約65km。
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