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2015年05月24日14:07

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018 憑依文字 2/

第二場 文字はどこまで流れていくか

 蟹搾焼(なびや) 青山亜切(ちょんさんかじゃ) 骨蟹搾(ぽんなび) 格亀亜切(のどがじゃ)
 亜陥亜(かだが) 煽巷暗揮(ちょむごどん) 寡拭辞蟹(こってそな) 切壱亜切(ちゃごがじゃ)
 寡拭辞(こってそ) 祢企羨馬暗揮(ぷでじょっぱごどん) 関拭辞蟹(のっぺそな)
 切壱亜切(ちゃごがじゃ)

寅愛 ――このトンチキ女めっ!

すでに老人(柳正浩)の声。以下、いくつもの人格が寅愛に訪れる。

寅愛 見境のないことしやがって、知性も理性もないうわつき女め。海花(ハイホア)に貴様、わしとのセックスライフを尋ねたそうだな。呆れたもんだ、ああいう清い魂が、お前みたいなあばずれた女の吐く息でどれだけ傷つけられるか分からないのか?――(上体起こし、ルールーになり)待って、ちょっと待ってよお爺さん、自己紹介くらいさせてよね。今日は、お金持ちのおじさん、あたいルールー。寅愛さんと一緒に、あんた方とこっち方を通訳させてもらいます。よろしくね。それから寅愛、こないだ春の件ではお互いお世話様でした、上流夫人でも何でも、あたいたちへの依頼なんてやっぱりたかが浮気の調査、素行の調査。三文探偵のまねごとだけど、それであたいも宵闇の方から時々はこうして明るい方へ出てこられるんだし、辛抱しよう。寅愛も体、しんどいだろうけど、許してね。(正浩になり)何をいっていやがるんだ小娘め、とっとと隅っこに引っこんでいろ。そうして隅っこからは、おい貴様、ヴァネッサ! お前は出てくるんだ、わしの目を見て話せることがあったら話すがいい。どうなんだ。海花がそこまで憎いのか? 当てが外れたよヴァネッサ、わしとしたことが外勢に頭を下げて宣教師の家にまで日参し、お前の知性にも賭けたものだが、結局はお父上も踏みつけにし、民族の誇りも何もうっちゃって今の有様だ。わしたちの信じた霊の霊による庶民のための革命精神…あれはまぼろしだったことになるのか。なあヴァネッサ、父御ヘスター・ヴァーノンルーの考え方ではもう駄目なのだ。わしらはせっぱ詰まっていた、苛立ちを即、行動に移す時期に来ていたのだ。革命とはちっぽけな人の心の「悪」を火種に、巨悪を灼きおとす戦略だ。わしらは迷いなく、漢の武帝や、日本の信長のように振るまうべきだったのだ。ある意味、彼らの驕慢は自己犠牲とさえいえる、破壊の対象に自分まで含むことを少しも躊躇しなかったからな。…それをお前はただの痴話話にしちまった、いったい、わしと彼女の関わりがお前にどう関係するっていうんだ、ええ?(ヴァネッサになり)するわよ、するわよ。今だからいうけど、私、ただ愛情だけでやってきたんだもん。理解できないわ正浩(ちょんほ)、初めから愛する気がなかったのなら、あの何ヶ月かは何だったの? あんたについて南に下り、麗水(よす)の港から海まで渡って、向島区しもた屋のじめついた隅っこでひっそり暮らした数ヶ月、あれは私にはかけがえのない小さな愛の巣だった。父さんのちっぽけな教会の戸口に初めてあんたが立った時、私ひと息で参ったの。肩を怒らせたがっしりとしたシルエット…。あれからしばらく、夢のように幸せだった、ほとんど毎日あんたに会えて、話せて、あんたの声がたっぷり聞けて。父さんはそりゃ左翼(アカ)の工作員ともつながってたし、そのくせやけに呑気で呑んだまぎれに日帝批判さえ平気で吹いた。時代がまだまだ呑気だったのね。私は世間知らずのバカな小娘、でもあんたは優れた人、かっこよかった。それなのにどうして私なんか誘って日本に来たの。どうしてもそれが分からない。(正浩になり)お前はまるで白い紙だ。わしは十歳(とお)から朝鮮の画描きだ、お前はいわば行商の宿すがら出会ったまっさらな襖か屏風だったんだ。その肌にわしは、高麗半万年をもう一度描こうとしたのだ。野良のひと畝ひと畝、風のあわいに隠された芳しいかおりの意味、明るい汐風の松林、そうして峠のオオバコの小径までもを、人々にふたたび思ってほしかったのだ。(ヴァネッサになり)それだけ? 私の存在意義て、それだけのことだったの? そこに私っていう個人はいなかったっていうこと?(正浩になり)個人だと、単細胞め、いいか、わしという個人なぞいはしないぞ。ただ語りつぐ魂どもの流れの岸辺に、ちっぽけな砂洲ができただけのこと。お前もわしも変わりはないただのバンク、砂洲さ。ましてあのころは若かった、あのころのわしは理想に憑きうごかされ生気に満ちて、結婚どころではなかったのだ。(ヴァネッサになり)でも海花とはつきあってた。あの子と一緒にならないんなら私と一緒になるべきだって、これ、そんなに無理な望みかしら。幸福は一年も続かなかった。ただ東京が灼けおちたからというのでもない。血…そのものが違うのかしら。あなたは取り憑かれたように描きだした。そうするしかなかったしね、政治結社ももうなかったもんね。でも、私までが押し退けられるとは思ってもみなかったわ…それからはあなたの顔も声も話も、ただ遠ざかる一方で…。ねえ正浩、私はこう考える、私に信長や武帝の気概があったなら、すべてを破壊しても――あなたを愛するわ。(正浩になり)やれやれ、どこまで行っても愛、愛だ! いいか、わしの血は受けつがれてはならない、そんなことはまっぴら御免だ。ああ、四六時中頭がガンガンする。ニンニク不足だよ、恥ずかし気もなく東京に居つづけているせいなんだ。華南の王(ワン)先生に診てもらったら、マカオの老革命家を引いて先生いみじくも「偉大なる知力、これぞ狂気の母胎なり」と、こういったもんだ。わしはもう後戻りはしない、そのかわり、突っ走ってぶっ倒れておさらばするのさ。(ヴァネッサになり)まだ方法があるわよ正浩、人にはいつも「子供」がいるの。あなたの血がどうしても祖国に倒れたいのなら猶更のこと、私はその血にヴァーノンルーの血を混ぜて、私たちの子を守りたい、あんたの運命は引き継がせずに済む。あなたのその手、その左手が私に触れた初めての夜を思いだす――(左手がゆっくりと浮遊してゆく…。正浩になり)止せ、わしの子の健康、ましてわしの健康、そんなものはない方がマシなのさ。わしがピンピンしてりゃそれだけ世界のごろつきどもの役に立つだけのこと。悪党やルンプロに元気のお裾分けか、ぞっとしないわい。(ヴァネッサになる。右手も浮遊してゆく…)可哀相な正浩、あなたのその傲慢さがあなたをひき裂き、私たちをひき裂くんだね。いいの、黙ってその手を貸して、両手を貸してこの胸に…(いつか両手で、抱く形になる)白い手――ダイスみたいに――もしもよ、あなたの思いあがりが子供に感染(うつ)るなら、それも私、食いとめてみせる。ダイスはふたつで一組だもの、あんたの不運なんか食いとめてみせる。でも、ああ…(両手が相手を見失い、前方に伸びてゆく…)この手のゆく先は…すがるものとてない…あなたに愛がないんじゃ、ひき止められやしないね…。分かってる、私じゃダメさ。あんたいつかこういった、朝鮮じゃ気概ってものが萎えちまってる、いったい子供が欲しいって、どんなへなちょこな子供が欲しいんだ、って。でもね、あなたももう歳よ、知力も気力も体力も、いつまで続くわけじゃない。老いぼれて、自分の方がへなちょこな子供みたいになっていくんだ。頑張っただけに、あんたの老後はいっそう惨めになりそうで…。(ゆっくり立ちあがる、烈しい口調、小刻みな痙攣…)あんたは…一歩一歩老いぼれて…惨めな老いぼれに…子供もない…汚い老いぼれに…なってゆくんだね…もう何年かで正浩…だらだらとくたばるまで…報いよ…そう、報いなんだ…ぶっ倒れてかっこよく消えてくなんて…そんなことはできない…させやしない…人生はもっと…やりきれないんだ…どん底の…老いぼれになる…!(正浩になり)祖霊よ、山野の神々よ、老いてよろめく口伝輩(くじょんぺー)、柳正浩の祈りを聞きたまえ。天より賜りたる退廃が、子孫に伝えられることを防ぎたまえ。この眩しすぎる障子の一間に閉じこめられ、吹きぬける夏の風に心のひとひらを乗せることすら能わず、歴史からも民族からも、あまつさえ敵からさえも忘れられたこの柳正浩の孤独を、われ一世で断たせたまえ。(ヴァネッサになり)作りものの、思いこみの孤独よ、正浩ったら!(正浩になり)やかましい、もう引っこんでいろ! ああっ、ここはどこだ、この修羅の天の底は。俺を縛るな、この座敷から、出してくれッ――。

もがき、自縄自縛、やがて倒れる。倒れた不自然な格好のまま――

寅愛 (ルールーになり)馬鹿なお爺さん。放っときましょう。自分が死んでることさえ知らないんだ。あーあ、ルールー、ちょっとくたびれた、ごめんちょっと寝るね。
 沖の小島で見張りの神よ
 カモメが騒ぐ
 静かな内海(うつみ)をたゆとう木の葉
 嗤(わら)いもしない

間――。

寅愛 (正浩になる。やや若く、セリフかすかに…)海花――。海花、いるのかね…。いないのか…。そうだ、君が逝ってしまったこの世で俺は、まるでとっかかりのない岩山を攀じのぼっている気がするよ。君の存在は奇跡だった。普遍の善を求めるためには出生よりどれほどの苦境に甘んじねばならないか、日帝に対し自動的に正義だった俺たちには実は分かっていやしなかったんだ。仁川(いんちょん)の中華街から来たというレポの娘が君だった。小柄で歳より若く見え、漢服姿はまるで少年のようだった。だが金九(きむぐ)先生の上海臨時政府と俺たち柳家荘一派を繋ぐ、いわば命綱の役をなぜよりによって中国人にと、激しい抵抗が俺たちの間で起きた。それが下位にいる者への手放しの差別であることに俺たち自身、初め気づかなかったのだ。愚かなことだ。歌う行商人(ぽぷさん)より下層の者など居りはしないとアジアのグリオを気どっていたが、それも畢竟、詰まらぬ国粋主義にすぎなかったというわけさ。俺たちは仁川に対しどれだけのことをしてきたか…恥ずかしいことだ。君を按配した者の名はもはや知られていないが、上海の彼に感謝せねばなるまい。君はレポを繰りかえすうち、ことば少なに、甘粛省は銀川の出であること、堕落したジャフリーア教徒の裔、馬(マー)一族の反動政治に苦しめられた滅びんとする満州族に属することを述べていった。やがてあの黄砂の谷間で親は自分にハイホア――海の花と名を付けたとも。こんな砂漠の真ん中に海という名の娘がいる、それは満族であれ回族であれ国粋主義にとらわれるな、もっと遥かなものに向かって生きよとの願いであったろうと。両親を失い革命少女となった君は中華民族を掲げることすら潔しとせず、毛沢東にさえ与せずに単身、青島(チンタオ)からの密航船で仁川に上陸、潜伏して機会を窺っていたのだと。おお、海花、おれが海を渡って敵地日本を目指したのは、おそらく君の旅あってこそだったのだ。遥かな旅路を選ぶ者――。俺の長征は延安を目指すのではなく、名も同じ金正浩(きむ・ちょんほ)の足どりで異土の地勢を訪ねてまわる地図造りの様相を帯びていった…。なにゆえの日本の岬めぐりか、尋ねられても困るのだが…おそらくは下部構造の質の問題なのだ。俺は百姓ではない、褓負商(ぽぷさん)は土地に根づくことをしない駄目なカーストだが、「渡りあるく農村体験」がおのれのものなら、その原点に従って生きるしか方法はなかろう。祖先の辿った大きな旅を、現世の俺が小さな旅としてなぞるのだ。なぞる地は何故ともいえず、俺には日本しか考えられなかった…。満州から銀川まで流れた君だから、この旅する身ぶり足どりを伝えてくれられたのだ。君への感謝に、俺は支えられ、活かされてきた…。無論いっこの人間としては資本主義は憎い。国粋主義と結べばなおのこと憎い。日本はそういう思考の不幸な尖兵としてたまたま俺たちと対立したわけだが、こちらが遥かな地点にあこがれて動くならば、もはや日本が敵かどうかなどはどうでもいい。並立し相対するなどとは不幸なことだ、平行線は無限遠において交わるのだろう? 俺が岬のさき島に彫りのこした呪符には譬えばこうある――
 二河白道を辿る者
 奈落の闇を覗きおり
 手には苧殻(おがら)の杖を持ち
 糸より細い声をあげ
おおおおい…。そこは明るい地獄だろうか、それとも陰気な極楽か。いずれはかない手を取りあって歩んでいくだろうアジアの未来だ。俺はあまりに出自を大事にしすぎて、革命家にはなりきれなかった。一方、おのが原風土と政治性との原点から一歩も離れず小さな活動を続け、獄中で果てた君を俺は忘れられない。海花、だが俺は、どうしようもない俺自身を投擲して、生きてみせることをここに誓う。それが俺の愛だ、海花。

どこかで風が吹く――。

寅愛 君の心中深くにどんな熱と、どんな寒風とがあったのか、一度も君は語らなかった。つむじ風の娘よ。その旋風はしかし、生きるものであって語るものではなかったのだろうな。俺は生きていく、君に恥じぬ生を生きていこう。雪溶けの小径を踏んで/チゲを負い、枯葉を集めに/姉と登った裏山の楢林よ/山番に追われて石ころ道を駆け下りるふたりの肩に/背負縄はいかにきびしく食い入ったか/ひびわれたふたりの足に/吹く風はいかに血ごりを凍らせたか――。そうして、これがお前の遺したことばだ。若き日の孤独を灼きつくす情熱をわれらに与えよ/われらをして戦いに凍えたる手と疲れたる唇に/友を享(う)けしめよ。
 死して違(たが)わぬ同志ゆえ
 鎖を鍛(つ)ぎし大理石(なめいし)の
 空のあなたに君遠く
 時はわれらに辛かりき
 光を嗣(つぎ)来(き)し同志らに
 花さき匂う青春(はる)くれど
 我は獄(ひとや)に朽つるべき
 さだめに笑みて君を思う  

寅愛、語るうち、背後の明るい障子にひそかに文字が浮きでてゆく…。







寅愛 びょう、びょう、びょう、と…。君は消えていった。されば俺も…。だが、独りでなのか…いつまで俺は、独りでおればいいのだ…。ああ、海花、帰ってきてくれ、海花…。

間――。

寅愛 (ルールーになり、あくび…)ふあ〜ぁ。ねえ正浩、終わった…? 返辞がないね、じゃあ、今日のところはこの辺で、オシマイ。寅愛ごくろうさまね、あたいも帰るねー。

間――。寅愛、のろのろと覚醒し、起きあがる…。

寅愛 はあ…。(飲み残しのコップの水を飲み)やれやれだよ。え、覚えてるのかって? 覚えてますよ、みぃんな。ただ他の人格に体を貸してやってるだけで、あたしの意識が眠るわけじゃないんだ。どうです、先生。お気に召しましたかね?――先生? あれ、どこ行っちまったんだろ。どうしてこの芝居は誰も出てこないんだ。ちょっと、先生ってば、柳先生…?

また、風――。

寅愛 (不安に)おかしいね。さっきまで確かに、そこに…。――いたかな…?(ますます不安に…)いなかった、かな…。あ…。(また眉間を押さえ…)ねえ、皆さん、どうなんでしょう、本当にあるんでしょうか…。え? 何がって、つまりその、この世界ですがね…。誰が本当にいて、誰が本当にこの世界にいて、そういうことって、どうにかすればはっきりするんでしょうか。こうして幻のような姿で、ただたちまち消えゆく声ばかり発し、波紋のように拡がって人生は過ぎ、やがてはかなく消えてゆく…。確かな証拠、あたしならあたしが確かにいた、という証拠は、いったいどうやったら見つけられるのか…?

寅愛、ハッとしてふり向く。「飆(ヒョウ)」の文字、ガタガタ揺れ始める…!

寅愛 (正浩になり)亡霊だ。俺が亡霊だ。俺の祈りよ。見果てぬ思いよ。俺は生きつづける。海花ッ――、俺たちは、さまよえる祈りだ――!

狂おしく障子の方に歩いてゆき、よろめいて濡れ縁から転落し、見えなくなる――。











上演記録

〔初演〕イエーツの会/二〇〇七年八月十九日/宮代町郷土資料館旧加藤家住宅/演出・高野竜/出演・岡部巴、吉植荘一郎、高澤理恵、大野修司、おまけ屋九三、高野竜/特殊効果・速水鷹司//〔次演〕「立体講談『ジョンホ伝』」/二〇〇七年十月二八日・十一月三日/高井戸アトリエローズ/構成出演・吉植荘一郎







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