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2015年05月17日02:07

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2015/04/30(木)寄生獣 完結編@TOHOシネマズ錦糸町、其の一

だいぶ遅くはあったものの原作にハマり、前編も映画館で観る事が出来たので、その勢いで完結編も観て来ました。

パンフレットには、かなり詳しいインタビューが載っていたので、映画版の監督、脚本の意図が知りたい場合は、そちらを読まれると、とても興味深いと思います。


ここからはネタバレありですので、ご注意ください。










映画前半の雰囲気を保ち、基本的に原作への思い入れは感じられつつも、より「情」を描く面を強めた印象でした。

村野が覚悟と受容に裏打ちされた愛情を示すシーンや、ミギーが後藤に対して「怖い」と感じたり、人間の感性を「美しい」と表現するなど、原作との違いは前半よりも印象に残ります。



三木役のピエール瀧が「これしかない」と言うハマり具合で最高でした。
役とのイメージの一致と言う意味では、個人的には一番だったかもしれません(笑)。


新一と村野が過ごす一夜は、「生きる」と言うテーマをストレートに生かすために、監督の指示で生々しいものにしたそうです。
言葉のやり取りだけでは表せない部分を表現する上で良かったと思います。

また、失った右手、胸に残る大きな傷跡、と言う、新一の弱さ・欠落の象徴を眼にして、それでも村野があるがままに受け入れる、と言う覚悟の強さを表すシーンでもあったように感じました。


後藤との焼却炉でのバトル。

原作に無い「プランCだ」などと、ハリウッド映画のようなセリフを言うミギーの(意図しない)ユーモアが、観ていて「戻って来てくれた」と自然にホッとすると気持ちに繋がっていて、上手いと感じました。

統制を失った後藤のCGでの表現は、CGだと判っていても「凄い」と、ある意味畏れを感じるもので、エグさと、生物としての肉体美、破滅的な美しさに、クリエイターの本気を観た思いでした。


結末部分では、新一が「パラサイトも人間やその他の動物と同じ、自分の命を全うしているだけ」と気付き、一旦は、止めを刺さずに立ち去ろうとします。
しかし、「自分の守るもののために、自分達のエゴで害となる生物の命を奪う」と言う覚悟を真っ向から決める所は、原作の精神性を表していると感じました。

ミギーの手ではなく、新一自身の手で止めを刺す所に、倫理観とけじめの付け方が表れていました。

また、新一が、田宮から赤ん坊を受け取った時の両手で抱える姿で、後藤を抱えて焼却炉に投げ込む構図は、「人の命を受け継いだのと同じ手で、人の命を脅かす命は葬る」という対比を視覚的にも表しているのだと思います。



…つづく。
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