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2015年04月12日15:41

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善良な魂が行う、うつくしき復讐の光景 『ブルー・リベンジ』

殺人と復讐を美しい光景が彩(いろど)る。
悪行と悪人の判断とは、結局、相対した見方へ由来する。*1
善き人もやんごとなき理由で犯罪を犯すのだ。

本作で復讐を行うドワイト(メイコン・ブレア)は、
むしろ善良で臆病な魂の持ち主。廃車寸前の青い車を寝床に路上生活を営み、
日々、読書へいそしむ。

だが境遇は平坦ではない。
過去に両親を殺害した犯人が刑期を終え釈放されると、
書を捨て、廃車のハンドルを彼は握る。沈黙のままに。

寡黙な作品だ。
極力台詞を排し、風景でドワイトの心象を代弁する。
その映像が非常にうつくしい。映画が高いレベルか否か?
判断の1つは、静止した状態で切り出したときの場面の想定だ。
小物や密度、物語を意識した色使いが成立しているのか?
監督の空間や美術、物語への認識が宿る。*2

ドワイトの心象を意識した監督は、最初は青や緑の寒色をキーカラーに。
復讐を覚悟したあと赤や黄の暖色をキーカラーへ置く。
後戻りできない行動。あざやかさに色づくドワイトの世界。せつない。*3

ドワイトのやることは許されざる事だ。ゆえ作品はドワイトを救済などはしない。
犯人一家は身内を殺害され、報復は連鎖する。
事件の内野と外野が吐き出す暴力の“言葉”の数々。*4
そんななかでドワイトは、ただ寡黙に事を成す。
最初に引き金をひいたのはドワイトだ。
罪人は彼だ。その罪人に一番のナイーブさと善良さを感覚する。やるせないことに。


※1 もちろん一般常識(殺人や犯罪)で世界共通の悪人と悪行は存在する。ただ、それでも最初から絶対的悪を抱き誕生する人間はいない。ある個人には善人でも、世間の見方は悪人。世間の見方は悪人でも、ある個人には善人だということはままある。

※2 おそらく、その意識が、映画を娯楽か芸術にわけるのかもしれない。

※3 復讐によってドワイトの世界は変り、人生に“血”が通う。目的ができる。赤色のソファ、ミディアムのステーキーの肉の断面、ダイナーの暖色の壁、着替えた服装。その変化は、せつない以外のなにものでもない。

※4 一般の人間も、復讐の相手も、簡単に“暴力”の言葉を吐きまくる。世界は暴力に満ち満ちる。その部分は監督の意図であろう。
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